冷戦後の地域紛争としてのユーゴ紛争
ユーゴ紛争は、時間と地域で分類すると
ⅰ)民族主義激化と連邦機能麻痺・解体までの小競り合い(91年6月まで)
ⅱ)スロベニア戦争(91年6月から7月)
ⅲ)クロアチア戦争(第一次=91年春から92年1月。第二次=95年5月から8月)
ⅳ)ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争(92年春から95年秋まで)
ⅴ)コソボ・マケドニア紛争(87年から現在まで)
この本は99年4月発行だが、コソボは99年6月、マケドニアは02年に終焉する。
91年11月27日のコール首相の演説に端的に表れている。クロアチアとスロベニアの独立承認の決定をクリスマスまでに下すと言明した。同時にこの決定がドイツのなんらかの野心(勢力圏拡大など)からではないと弁明しながら、次のように説明した。
1.ドイツ国民は戦争(第二次大戦)の惨状を記憶しており、クロアチアの被害に無関心ではいられない
2.ドイツに居る70万人のユーゴ人の2/3はクロアチア人でドイツ経済発展に貢献してくれた
3.ドイツ人は隣国の同意があって初めて、民族自決権を行使し、国家統一が可能になった。そのためクロアチア・スロベニアの独立承認ついても、これを道徳的な義務であると感じている。
スロベニア戦争が勃発する91年6月以前は、ドイツの連邦政府は、公式にはクロアチア支援に慎重な姿勢を表明していた。ところがスロベニア戦争がはじまると事情は一変した。ドイツはECの停戦工作を支持しながらも、開戦から1週間~10日後の91年7月初めには、クロアチア・スロベニアの早期承認方針を固める。7月18日にはトゥジマン・クロアチア大統領がボンを訪問し、ドイツ側はトゥジマンが提起した「クロアチアとスロベニアのパッケージ承認」方針を受け入れる。ドイツの暴走を止めるため、ミッテラン(仏)はクロアチア内のセルビア系住民の保護という点で、クロアチアの法体系と実態がその基準に合致していないとの認識を示しながら民族的に単一に近いスロベニアと異なり、さらにボスニアやマケドニアでは問題はさらに複雑であるため承認はできないというものだった。フランスはもちろん、アメリカ、イギリスもクロアチア承認に反対した。「大ドイツ」登場を警戒するオランダ、「マケドニア」の国名に反対するギリシャなども強硬に反対した。
ユーゴはアメリカの国益と関係ない。
アメリカはなぜECにまかせっきりにして、ユーゴ問題にかかわろうとしなかったのだろうか、ベーカーは、アメリカにとって重要だったのは、第一にソ連情勢、第二に中東和平などであり、ユーゴ問題は「死活的利益がない」「たんなる地域紛争だった」。アメリカが最重要視し、ミロシェビッチにも改善を特に働きかけたのは、コソボ自治州のアルバニア人の問題だった。コソボで武力紛争が起これば、マケドニアやその周辺にも飛び火し、NATO加盟国であるギリシャやトルコにも波及する。ギリシャとトルコは「同盟国」だが、歴史的に犬猿の仲にある。
アメリカのボスニアのムスリム人勢力の関係は湾岸戦争以降のアメリカの中東政策と無縁ではないだろう。アメリカは、戦火がクロアチアに限定され、調停活動の中心をECが担っている間はボスニアを含む旧ユーゴの紛争そのものには「アメリカの国益は無い」との立場を取っていた。しかし、クロアチア戦争が収束する時期になると、アメリカは「ボスニアへの飛び火阻止」を重点に本格的介入に乗り出す構えをみせる。いったんボスニアに戦火が拡大すれば、イスラム諸国がムスリム人支援の立場で動くことは確実と考えたアメリカは、湾岸産油国をふくむイスラム諸国がボスニアのムスリム人勢力を支援する立場を明確にするよりも前にボスニアのムスリム人勢力に接近する。
クリントンは93年春、やっとボスニア対策に動き出した。しかし、米軍地上部隊のボスニア投入を一貫して拒否しながら、対セルビア側空爆やもスリム側への武器禁輸解除などの強硬策を主張したため、現場に地上軍を送っている欧州諸国が「戦争をいっそう激化あせるものだ。武器禁輸を解除するなら撤退する」と反対し不調に終わった。
アメリカはあらゆる手立てでボスニアのセルビア人勢力(カラジッチ)の孤立化、方位をすすめようと考えた。そのためにブッシュ前政権が「戦犯容疑者」と名指ししたミロシェビッチを、手のひらを返すように、「平和への可能性を握るキーパーソン」と位置づけ、重視することにあった。新ユーゴ、とくにその軍隊は、その後明らかになるようにボスニアのセルビア人勢力への軍事的支援を打ち切ったわけではなかった。またミロシェビッチは都合の悪い時には「自分はボスニアのセルビア人には影響力をもっていない」と言い張り、別の機会には彼らの「後見人」「代理人」として振る舞うなど恣意的に態度を変転させたが、西側にはもはや手っ取り早い「手掛かり」としてはミロシェビッチしか残されていなかったのである。
クリントン政権は、94年秋、クロアチア本国とボスニア政府(モスリム人主導)への軍事援助を開始した。米国防総省は9月27日、クロアチアのトゥジマン大統領とシュシャク国防相が訪米した際、クロアチアと軍事協力協定を締結し、アメリカでのクロアチア軍将校の訓練、クロアチア軍の命令指揮系統改善するための顧問団の派遣などを約束した。国連の武器禁輸決議は旧ユーゴ全部が対象となっているためにクロアチアに対しても公然とした武器輸出はできない。きわどい分野の軍事援助には民間の軍事コンサルタント企業のルートが使われた。そのひとつ、ミリタリー・プロフェッショナル・リソーシズ社(MPR=バージニア州)は94年12月から少なくとも大規模空爆が実施された95年秋まで、元米国某情報局(DIA)局長ソイスター中将ら15人の米軍退役将校をクロアチア国防省に派遣していた。目的は「共産主義から民主国家の軍隊への移行の支援」で武器輸出や実戦の作戦指導はしていないと同社は言うが疑いは晴れていない。米国防総省はサラエボにもシーウォール退役少将らの顧問団を派遣している。CIAやDIA要因がボスニア政府軍や国連保護軍内部にいたとの未確認情報もある。
http://www.mpri.com/web/
良かったー、上場はしてないっぽいよ流石にw
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