高橋是清の死から62年が過ぎた。日本は戦争、敗戦、復興、高度成長と激動を経て経済大国に生まれ変わった。だが、昭和時代の末期、大型バブルに遭遇する。平成2年1990年からバブルの崩壊が始まった。バブル崩壊が始まって7年が経過し、ついに大型金融倒産が発生した。都市銀行の一角を占める北海道拓殖銀行と証券大手四社の山一證券が一週間の間に相次いで倒れた。拓銀は預金量が7兆1千億円余、店舗数が202、従業員は5500人に上った。都銀最下位とはいえ、「マネー・センター・バンクス20行」の経営破綻は戦後初めてである。大手金融機関は戦後「護送船団方式」という大蔵省の厚い保護行政に守られて、長い間破綻はありえないと信じられてきた。ところが「不倒神話」はあっけなく崩れた。大蔵省は「都銀、長期信用銀行、信託銀行の大手20行は潰さない」と何度も公言してきた。三塚蔵相は「公約破綻」については言葉を濁して答えなかった。
行平次雄 1955年 一橋大学法学部卒業
三木淳夫 1960年 東京大学法学部卒業
野澤正平 1964年 法政大学経済学部
東大卒社長じゃなくなった瞬間に、3ヶ月で倒産した。用意された社長であったわけだが、山一きっての凄腕営業マンだったんだろうねぇ・・・頭を下げることを知らないエリート社長じゃ、この会見は無理よのぅ。
8:00辺りから野沢社長の営業マンっぷりが神がかってくる。So Cool!

2つのバブル
バブルの膨張から崩壊を経て金融危機へ、日本人は1910年代後半から現代に至る80年のあいだに、二度同じ出来事を体験した。最近の10年間と大将から昭和初期の10年を比べると、2つの時代はいくつかの点で軌を一にしているところがある。問題はその後だ、70年前は昭和2年(1927年)の金融恐慌に対して政府は3週間のモラトリアムと日本銀行による無制限特別融資などの緊急措置を講じた。ひとまず恐慌を収めて危機を乗り切った。だが、バブル後遺症に端発する日本経済の病巣は取り除かれたわけではなかった。危機はさらに続いた。
4年7月に成立した浜口雄幸内閣は、超緊縮・行政改革断行・金解禁実施などを柱とする「十大政綱」を掲げた。徹底したデフレ政策で危機突破を目指した。だが浜口デフレ路線は、対象バブルの崩壊以来長く続く長期不況を更に悪化させた。運悪く暗黒の木曜日に端を発する世界恐慌も重なった。昭和恐慌が襲来する。
大戦景気 第一次世界大戦
日本の参戦についてはほとんどの閣僚が賛成した。国威の発揚と中国における権益拡大のチャンスと見た。経済の疲弊と財政の困窮を考えるととても戦争に参加できる状態ではないと若槻蔵相は判断した。「たとえ戦局が拡大してもドイツの海軍が日本に攻めてきたり、それに屈服するといったことは無い。莫大な戦費を要することにはならないだろう。」 8月23日、日本はドイツに宣戦布告した。産業界で大戦勃発によってもっとも大きな影響を受けたのは繊維である。この時代の日本の主力産業だった。綿糸布や生糸、絹織物の輸出は激減した。糸の価格が暴落する。大阪の綿糸先物取引は回線の6日後の8初3日から6日間、市場ストップに追い込まれた。横浜の生糸先物取引も4日から14日まで休止を余儀なくされた。大阪の北浜銀行は8月19日支払い停止となった。
この時代、大蔵省の建物は霞ヶ関ではなく、大手町にあった。大戦が始まってから毎日要に大蔵省の次官室に顔を出す男がいた。横浜正金銀行頭取の井上準之助である。「戦況はどうですか。日本の財政・金融政策にどう影響しますか。生糸や綿糸の産業の実態は」 浜口に詳しく尋ねる。井上は欧米の金融や貿易の動向に関する最新情報を入手している。大隅首相は経費節減、国民負担軽減、公債募集の中止、正貨維持、輸出促進などの方針を掲げた。ところが正面から異を唱える人物がいた。野党の政友会で屈指の経済通と評判の高い高橋是清である
高橋は最初、農商務省に勤務した。が、明治22年、辞めて南米のペルーに渡る。銀山経営に従事した。帰国後、日銀に入った。一度、横浜正金銀行副頭取となる。44年に日銀総裁に就任した。第二次大隅内閣の一つ前の山本権兵衛内閣では蔵相を勤めた。大隅内閣の誕生によって野に下った。「若槻・浜口ライン」の経済・財政政策を手厳しく批判した。高橋は大隅内閣が経済危機に対して緊縮・消極政策で臨んでいる点を問題にした。国の産業経済を発展させるために、財政政策は積極的に活用されるものだというのが高橋の持論である。大戦の勃発という好機を捉えて、積極的な手段を講じれば日本の貿易は飛躍的に増大すると高橋は訴えた。開戦によって経済が好転したことは疑いなかった。が、戦争が始まってしばらくの間、これが数年にわたる代景気につながると予想した人はほとんどいなかった。何よりも戦争の規模に対する見方が甘かった。実際は交戦国が国力を使い果たすまで戦うという総力戦となった。が、日本では過去の例に比べて桁違いに大きい戦争になるという認識がなかった。ところがエネルギーと物資の消耗は予想をはるかに上回った。世界的な物資不足が起こる。物価は各国とも高騰した。日本は戦場となっていない。貿易上、極めて有利な立場に立った。
【市場概観】
2011.01.25|政治と株価 総理就任期間と株価の相対パフォーマンス
2010.09.21: 株メール Q8.レバレッジの効用と弊害
2010.05.12: 中国株先物が取引が開始
2010.03.30: 日経平均配当指数 そもそも日経平均が変な指数
2009.12.14: HとAどっち?
2008.10.15: 製造業至上主義的産業構造分析
2008.07.17: 車業界勢力図
2008.06.19: 原油先物の取引高
2008.01.14: またも出た 異なる時価総額ランキング
2007.12.29: 時価総額の計算方法
2007.12.21: 小型株は一部割安感有り
2007.11.30: 中国株はチキンレース