ビクター・バウト
1967年タジキスタン生まれ モスクワの名門、軍事外国語学校を卒業し、6ヶ国語に堪能だった。英語はまったく問題が
なく、フランス語もほぼ完璧だった。冷戦が終わって所属していた空軍が解散になると自分で事業を始め、数年という短
い期間で、彼は複数のパスポートと身分証明書を手に入れると同時に、個人としては最大級の数の航空機を所有するこ
とになった。所有機の大半は老朽化したソ連製のアントノフ機だった。これらの飛行機を使って、リベリアのテーラーやシエ
ラレオネのRUFをはじめ、アフリカの怪しげな軍隊のために数百トンもの精密兵器をヤミで運ぶのが仕事だった。
1996年には50-60機の飛行機をベルギーを拠点として運航していた。しかし東京の目が厳しくなってきたのを察知する
と本拠地をUEのひとつジャルジャに移した。もっとも所有機のほとんどは、リベリアの会社セヌ・リベリア航空所属としていた。
その理由は国連の報告によるとこうだ、リベリア籍の会社ならば世界中どこにでも事務所を置いてよいことに加え、世界のど
の国とでも自由にビジネスができる。さらに、会社の役員や株主の名前を届け出る必要も無ければ、資本金の最低制限
もない。会社設立の法的手続きも一日でできる。
アフリカでは、バウトの専門は国際的な武器禁輸破りだった。注文通りの武器を注文どおりの数をそろえて短期間のうちに
発注者の手許に届けるやり方は他の追従を許さなかった。バウトは武器以外の物もてがけ、アフリカのどこにでも運べない
ものはない、との評判をとった。実際、中央アフリカ周辺に国連の平和維持群を空輸したこともあったし、米国が中心となっ
た飢餓救援物資の輸送も手伝ったし、ザリガニや野菜を南アフリカから欧州に空輸したりもした。1997年5月、当時の
ザイールの首都キンシャサがローレント・カビラ率いる反乱軍の手に落ちなんとする間際、バウトは独裁者モブツ・セセ・セ
コの国外脱出を助けるために飛行機を飛ばしたこともあった。反乱軍は飛行機を追撃できる距離まで迫ったが失敗に終わ
った、1990年代末、バウトはコンゴの内乱では敵対する複数の勢力と武器取引を行っていた。またアンゴラのUnita(アンゴ
ラ全面独立民族同盟)や、テーラーやRUFにも武器を納めていた。こうした勢力はすべて、武器禁輸対象となっていたにも
かかわらず、である。バウトがアフリカの内戦だけに商売をとどめておけば、国際的な調査を受けることはなかったかもしれ
ない。しかし、1990年代後半になると、バウトの新たなつながりが米国の情報機関にとって大きな懸念材料となった。
アフガニスタンのタリバンとアルカイダへの武器提供である。2002年2月25日、ベルギー政府はインターポール(国際刑事
警察機構)を通じて違法武器取引の罪状で、バウトに逮捕礼状を出した。
令状は直ちにバウトが年のうち数ヶ月を過ごすモスクワに送付された。米政府当局者には、ロシアは必ずバウトの身柄
をベルギー当局に引き渡すか、あるいは少なくとも逮捕するだろうという自信があった。ところがロシア側は、バウトは
ロシアには滞在していないと言い張ったのだ。バウト逮捕の試みは一気に進んだが、消えるのも早かった。欧州の
情報筋によると、バウト逮捕が撤回されたのは9.11後、アフガニスタンでの戦争が始まった際、バウトが米国当局と
交わした取引の中に、米国の秘密工作員と貴重な弾薬等の補給品を北部同盟に空輸し、その見返りとして、過去の
行動は不問に付されることになったという。
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