差別、ナショナリズムの確立、宗教、第一次世界大戦と展開していきます。
セポイの反乱
セポイとはインド人傭兵。
弾薬筒の秘密:ベンガル軍に新しく開発されたエンフィールド銃が導入されることになった。ライフル式で射程距離・的中率とも
にすぐれ、弾丸と火薬を含む弾薬筒を使用する点では画期的であったが、装填はまだ弾薬筒の端を歯で噛み切って銃口か
ら挿入する仕組みであった。ところがブラフマン(カースト制度の上位)出身の一兵士が新しい弾薬筒には、牛や豚の脂がぬ
られてあるという事実を突き止めた。牛はヒンドゥーから神聖視され、豚はムスリムから不浄視される動物である。その脂を口に
しなければならないというのはセポイにとってはまさに一大事件であった。
セポイたちは夜ごと集まって密談を重ね、エンフィールド銃と弾薬筒が支給されても受け取らぬことを申し合わせた。軍事基地
メーラトで例の弾薬筒が手渡されたが、受け取ったのは90人中わずかに5人であった。命令を拒否した85人は軍法会議に
かけられ、10年の重労働を言い渡された。翌朝メーラトの三個連隊が一斉に蜂起した。セポイ蜂起の報せが伝わると、てんで
に棍棒や刃物を持った群集イギリス人居住区に向かって殺到し始めた。暴動鎮圧に出勤した警官までが、制服姿のままで
群集に混じっていた。兵舎・徴税所・郵便局・教会とイギリス人に関係あるすべての建物に火が放たれ財産は略奪された。
反乱軍はデリーに向かって進軍し、デリー駐屯軍は城門を開いて彼らを迎え合流した。バハードゥル・シャーを擁立し、帝国
の復活を宣言した。セポイの蜂起は名実ともに、軍隊内のたんなる暴動からイギリス支配に対する人民解放戦争の性格を持
つことになった。しかし、2年間にわたって燃えさかった反乱の火は、地下にもぐった残党を残して、ほぼ完全に鎮圧された。
その要因
前年ペルシア反乱が鎮圧され、中国の太平天国の乱も下火になっていたため、イギリスは強力な軍隊をインドに結集することが
できた。反乱は、中北部一帯においては民衆的な規模にまで発展したが、インド全体を見渡す時、民族的ないし国民的という
に程遠かった。インド全土の4割を占める土候国の多くが反乱に対して、中立の立場をとるか、シク族のように積極的にイギリスの
味方をしたこと。初め反乱軍側について土候や地主たちが戦況の不利が伝えられると特権の維持のためにイギリスの買収に乗せ
られて同胞を裏切ったこと、都市の富裕商人や新興知識層の殆どが冷淡な傍観的態度をとったことなどがあげられよう。
インドナショナリズムの台頭
過激派の指導者オーロビンドは言う「ナショナリズムは政治的な政策ではなく、神からきた宗教である。それは不死であり、それに
よって我々が生きなければならない信条である。」
穏健派の西洋思想に対し、民衆の生活に密着した土着の宗教信仰をナショナリズムの中心原理に置いた。
1905年カルカッタで開かれた会議(穏健)派大会では、ベンガル分割に反対し、外国商品のボイコット、国産品愛用、自治、
国民教育の新興が決議された。
ムスリム連盟
イギリスがインドを侵略し始めた頃は、衰退期にあったとはいえ、まだムガル帝国の治世であり、地方でも多くのムスリムが行政の
重要ポストを占めていた。それゆえ、イギリス人によって、直接政権の座を奪われたのは、これらムスリムであり、支配者が交代し
ただけのヒンドゥーとはおのずからイギリス支配に対する受け止め方が違っていた。宗教的に、異教支配下に置かれることを極度
に憎むムスリムは、英語を学び、イギリス人の下で働くのは、宗教の堕落であるとして、イギリス人との接触を自ら敬遠する態度を
取った。そのためムスリムは、弁護士、教師、医者など新しい時代の職業から閉め出された。
対極的なヒンドゥーとイスラームの慣習
ヒンドゥーは多神教、イスラームは絶対的一神教
ヒンドゥーの信仰に欠かせない偶像崇拝、イスラームにとって偶像は呪いであり、破壊すべき
侵略者であるモスリム栄光の歴史は、ヒンドゥーにとっては悪夢のような思い出。
音楽を用いるヒンドゥー教徒の礼拝様式は、静粛を旨とするムスリムには騒音としか思えない。
ヒンドゥーが神聖視する牛をムスリムが食用にし、ムスリムの忌み嫌う豚肉を食うヒンドゥーがいる。
第一次大戦下のインド
インドはイギリスの植民地として、自動的に戦争に巻き込まれた。一部過激派学生や革命家たちのあいだで独立が叫ばれ
ボイコットやテロ事件はみられたが、土候国はもとより、会議派までが進んで戦争協力を申し出た。土候たちが積極的に協力
したのはイギリス政府が彼らの特権の擁護者と考えたからである。
一方、モスリム連盟は、イギリス政府が連盟に相談も無くベンガル分割案を撤回したこと、バルカン戦争でイギリスがトルコに
冷淡であったことは、親英的な連盟に大きな不信感を与えていた。そこでトルコがドイツに味方をしたとき、インドのモスリムに
とって、イギリスに協力するのは教主(カリフ=トルコ)に弓を引くことになるとして連盟ははっきりと反英決議をうちだしたのである。
大戦中に100万近い兵士を戦場に送り、10万人の尊い血を流したと伝えられる。戦争景気にあおられ、鉄鋼・石炭・紡績
などの生産は高まり、タタ財閥を先頭とするブルジョアジーの進出はめざましかったが、食料・燃料の不足が目立ち、悪徳商人
の買占めのために物価は高騰し、民衆の生活は辛苦をきわめた。
インドの独立闘争と言えば、即マハトマ・ガンジーの指導のもとに展開された非暴力運動一本槍のような印象を受けがちである
が、ガンディーの出現までには無数の革命家がイギリス帝国主義に対して、あるいは合法的に、あるいは暴力をもって立ち向か
ったのである。
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