ロベスピエールは生まれつき平和な人間で、暴力と流血を憎んでいた。彼は国王の処刑ののち、これ以上死刑はあるべきではないと言明した。しかもフランスを戦争に投げ込んだ人々に対する彼の憎悪、裏切者と反革命派に対する彼の恐怖のゆえに、そして-こう附言しうると思うが-※ギヨッタン博士の新しい首切り機による死は、極めて迅速で見たところ無痛であったので、彼は、彼の良心に彼の理性が、彼の理性に国家理性がうちかつことを許し、ついには彼のうちのピュリタンは宗教裁判官となり、「徳なくして威嚇は大いなる災厄を生み、威嚇なくしては徳は力を持ちえない」という語を説くことになった。
※ギヨッタン(1738~1814) 革命前は医者で三部会の代表となり、彼の主唱した断頭台は、彼の名をとってギヨッティーヌと呼ばれ、恐怖の的となった。恐怖政治の下では獄中にあったが、ロベスピエールの没落後解放され、医者の職に戻った。
ジャコバン体制
両国民議会は、国王の大臣を信頼せず、支配したいと望んで、内閣の政策を監督し、必要ならばこれを覆すとめ、常任委員会を選出した。国民公会がこの伝統と決別するなどありそうもないことだった。公会もまた、平均24人の委員からなり、政府の各省を担当する21にものぼる委員会をもうけた。1793年4月6日の公安委員会は、もともと9人のジャコバン派からなり、このうち2人、バレールとランデはずっと後まで委員であった。5月末、委員は一時14人に増加されたが、ダントンが罷免された7月10日には再び9人に減員された。ロベスピエールは7月27日までは参加しなかった。カルノー含む4人の委員が付け加えられ、9月6日には委員数は総数12人にのぼった。そしてこの12人は、10か月後のジャコバン政府の没落まで、毎月再選された。なぜなら委員会は、名目上は国民公会の代表であり、いつでも公会によって罷免されえたからである。そして委員会は、恐怖させることによって支配したとしても成功することによって支配したのでもある。それは内閣であったが、首相のない内閣であった。
委員会の元来の職務は、「臨時行政会議、すなわち1792年8月10日に議会によって臨時に任命された大臣たちの担当している行政を監督し、スピードアップすること」であった。委員会は、「緊急情勢において、国内国外ともに総防衛の施策をとること」を認められていた。委員会は機密費を国庫から引き出せた。まもなく、「容疑をかけられた、または警告を受けたすべての人々」を逮捕する権限をもった。年末までに委員会は、大臣だけではなく、将軍および諸行政機関をも統御し、全国の地方自治機関、裁判官、軍司令部からのたえざる報告-これが規則正しく提出され、注意深く閲読されておれば、委員会は全能であると同時に全知になったことであろう-とを受け取った。その権限への唯一の制限は、委員が国民公会によって毎月再選されること、財政的に国庫に依存していること、議会の同意なくしては逮捕されないという議員の特権のみであった。
ロベスピエールとフランス革命 3/4~恐怖政治
アメリカ覇権という信仰
ドル崩壊論、日本国債・日本円暴落論者とは基本的な考え方が合わないのかなー。超つまんねー本だったw
FRBが保有する資産に問題が生じなければ2009年度のFRBは大幅な増益を記録するだろう。FRBは市場を支えるために様々な証券を購入したが、それらの多くは底値に近いところで購入されている。また平時よりもFRBの資産は長期化しているため、平均的な利回りは高くなっている。しかし逆にFRBが持つ資産に大きなデフォルトが発生するような事があると、その損失は財務省、つまり米国民の税金で補填されることになる。現在の財務長官は1月までニューヨーク連銀総裁としてFRBのFOMCの副議長を務めていたT・ガイトナーだ。彼は約束どおり税金を使ってFRBを援助しようとするだろう。しかし、問題は米議会である。これまで議会はバーナンキ議長の積極的な信用緩和策を基本的に支持してきた。しかし、ひとたびFRBに損失が生じると、納税者負担が顕在化するだけに、FRB理事会が連邦準備法第13条3項を次々と発動してきたことが議会で問題視される恐れはある。
第13条3項は、異常かつ切迫した事態(unusual and exigent circumstances)における例外規定として07年まで一度も実施されたことはなかった。しかし2008年来、FRBはそれを適用して、信用緩和策を推し進めてきた。第13条3項は、5人のFRB理事の賛成があれば適用できる。2009年2月10日の米下院金融サービス委員会では、その是非がテーマとして議論された。議会のチェックを経ずに(国民から選挙で選ばれたわけではない)5人のFRB理事の賛成票だけで納税者負担につながるかもしれない巨額の貸し出しなどを次々と実行してよいのか、という問題意識がフランク委員長(民主党)らにはある。
「為替レート=通貨の信任」ではない
フランスのサルコジ大統領は、11月15日に開催されたG20金融サミット直前に「ドルはもはや唯一の基軸通貨ではない」と述べて米国に揺さぶりをかけた。英国のブラウン首相も「新ブレトン・ウッズ体制」といった言葉をちらつかせて、米国に奪われた金融覇権への思いを募らせる。麻生首相は「ドルの基軸制を守る」と述べたが、中国はドルへの不信感を隠さない。ロシアのメドベージェフ大統領もドルの一極体制への批判を強めている。新興国の間では、ロシア・中国、或いはブラジル・アルゼンチンなど、ドル以外での交易決済への交渉を開始しているのが現状だ。
聖書の常識 1/6~聖書は一冊の本ではない
現在の日本聖書協会発行の「旧・新約聖書」の目次を見れば、旧約は創世記からはじまって39冊の本、新約はマタイによる福音書からはじまって27冊の本から成り立っていることがわかる。そしてそのおのおのが本(ブック)であって、章(チャプター)ではないことは英訳聖書を見れば明らかだろう。それらはそれぞれ独立した別々の本であり、聖書を一冊の本と考えるのは間違いと言わなければならない。ではそれらは互いに関連のない本かというと、そうではなく、一定の方針で編集された全書と考えたらいいであろう。
預言者は未来を占わない
「預言書」、「預言」という言葉も他の多くの聖書訳語と同じように中国語訳の流用である。最近では「予」という言葉も使うが、「予」はあらかじめ、「預」はあずかるで、意味が違う。預言者のことをナービーというが、これは元来、沸騰するという意味だという学者もいる。いずれにせよ、内心から沸騰するものが口をついて出てくるような状態を示す言葉で、入神状態で神の言葉を人に伝えるものの意味だったのであろう。したがってその歴史はきわめて古い。それは必ずしも未来予知を意味していない。未来を見るものとしては聖書に「見る者」(ローエー)「先見者」(ホーゼー)、という言葉があり、預言者(ナービー)にその能力がある場合があっても、その本質は神の言葉を預託された者という意味であろう。
唯一の神がなぜ複数形なのか
昔の文語約聖書を見ると神について、ただ「神」という場合と「エホバ神」という場合と二通りの言い方をしているのがわかる。では新しい口語訳はなぜ「エホバ」という言葉をやめたのであろうか。実をいうと、エホバとは誤読なのである。なぜ誤読が生じたかというと、ヘブライ語には母音表記がない。だから神の名を欧文表記に直すとYHWHとなるだけで、本当のところはどう発音していいかわからない。これを「神聖四文字」といい、学者によっては「YHWH」としか書かない人もいる。というのは言語学者たちが推理した「ヤハウェ」にしても、果たして正しい発音かどうか不明だからである。「エホバ」という読み方は16世紀になってキリスト教の神学者によってはじめられたにすぎない。
いずれにせよ、創世記その他で神名をYHWHと表記してある部分の資料をヤハウェ資料すなわちJ資料と呼ぶ。これに対して神を「エロヒム」-「エル」(神)という言葉の複数形を使っているのをE資料とする。聖書の唯一神がエルという単数でなく、エロヒムという複数で表されているのが興味深い。そのまま訳せば「神々」になってしまう。神自身、自分を呼ぶのにも「われわれ」といっており、創世記第3章22節には「主たる神は言われた『見よ、人はわれわれのひとりのようになり・・・』という言葉があり、これが複数形に訳されている点では、文語約聖書も口語訳聖書も同じである。古代東方世界では、尊貴の複数という言い方があって、王様などの絶対的権力者は単数を使わなかった。それは、王の意志は国民全体の意志だということを表すためで、現代でも国王などが自分のことを「われわれ」というのがこれである。しかし、聖書の加味の場合、たんに尊貴を意味する語法でなく、絶対を意味したのではないかという見方もある。
「現代の聖書」への道すじ
旧約聖書がほぼ現代の形で成立したのは、紀元100年のヤブネの会議においてである。この聖典成立史はそれ自体が独立した学問で専門的な大著が出ている。だが簡単に要約すればもっとも古いのがJ資料の成立で、これは紀元前9~8世紀、成立の場所はエルサレムの南のヘブロンと思われる。ついでに約一世紀おくれて北でE資料が成立したと思われる。このあたりはあまりはっきりしない。これがD資料となると、聖書自体にその成立の経過が記されており、割合にはっきりとしている。それが記されているのは列王記下の第22章で、ユダ王国の王ヨシヤがエルサレム神殿を修復していたら「律法の書」が発見されたという記述がある。紀元前622/1年のことだ。ヨシアの宗教改革の支柱になったこの書は、申命記の中心資料をなすもので、これを申命記のギリシア語訳「デウテロノミオン」の頭文字を取ってD資料と呼ぶ。申命記にもいくらか他の資料も入っているが、ほとんどD資料イコール申命記といっていい。もう一つのP資料というのは、祭司(その頭文字がP)資料で、だいたいバビロン捕囚時代に編纂が進められたものと推定されるが、その一部をDと同時代とする学者もいる。その名のように神殿の祭司グループの手になるもので、その祭司たちはこの資料を書いただけでなく、J・E・D・Pの4つの資料を編集して、モーセの五書にまとめあげた人たちでもあった。
ではそのように編纂されていった旧約聖書が明確に聖典化されていなくても、全体として一つのものにまとめられたのはいつだろうか。おもしろいことにこれは、聖書の書かれている皮紙の質によって分かれる。羊皮紙とは元来は原皮1枚を2枚にはいで造るのが普通だが、尊いとされる聖書だけは一枚皮に書いてある。現在、聖典に入っているものは全部聖典化される前からそのような一枚皮の羊皮紙に記され、その区別ははっきりしている。死海写本として発見されたヘブライ語のイザヤ書写本は、現在のところ最古のヘブライ語完本本文で、紀元前1世紀にさかのぼるが、これも一枚皮に書いてある。同時に発見された多くの断片も、聖書に関する限りは一枚皮であり、すでにこのころ、聖典という概念が生まれていたと考えることもできる。
しんがり 山一證券 最後の12人 4/5~三菱重工CB事件
木下はそのあと何度も嘉本のヒアリングに応じた。それだけでなく、自ら顛末を示した論文を調査委員会に提出した。その木下論文に、証券界と山一のバブルが詳細に描かれていた。彼はまず、日本中がバブル景気に沸いた1980年代前半に、山一にヘドロがあった、と書き始めている。
延命副社長から聞いたところによると、84年9月の人事異動で高木眞行氏が第一事業法人部長を任される際、「ヘドロ(大きな損失が生じており回復の見込みの無い一任ファンドのこと)を抱えたままの事業法人部は引き受けられない」と固辞した。だが、当時、事業法人本部管掌だった行平副社長が説得に乗り出して、渋々、部長職を引き受けたとのことである。とすれば当時、既に法人部門では「握り」に伴う大きな損失を抱えていたことになる。「握り」とは、法人顧客の資金運用に関して取引を事実上、一任させて貰い、その代わりに一定の運用利回りの獲得を強く匂わせる勧誘行為である。旧証券取引法の下でも売買一任勘定取引は禁止的制約を受け、また利回り保証は明確に禁止されていた。そのため現実の勧誘は、証券法に直接的に抵触することを避けるために、特定金銭信託ファンドを設定し、取引注文は顧客法人から発注されたように段取りを整え、利回り保証に代えて目標運用利回りを相互に確認するといった方法が取られるケースが多かったようである。このような「握り」は、証取法に違反する可能性が強いばかりでなく、経営上も大きな危険を内在していた。
「自信を持って投資を勧められるのは1年に1,2回」。嘉本はそんな仲間内の言葉を聞いている。むしろ予想が当たるのは稀で、外れることが多いのだ。しかし、証券業の本質はリピート営業である。顧客に繰り返し投資させることで利益を得ているのである。
> 自信を持って勧められるなら良いけど、「年に数回、相場が分かる時ある」発言、度々聞くけどムッとするね。予想が当たるのは稀なのは90年以降、80年代なら予想が外れるのが稀だったはずだよ。買いしかやってないだろうからね。
「ニギリによって巨額の一任運用ファンドを獲得した法人営業マンは、社内でスター視され、大きな顔ができた。それはずば抜けた手数料収入を稼ぎ出していたからだけではありません。一任ファンドの運用で高利益が生じても、顧客法人には当初約束の利回り相当分だけを渡せばよく、超過利益をどうするかは事実上、営業マンの裁量に任されていました。そこで仲間の運用ファンドで損失が生じているときは、そのファンドを簿価で引き取り、これを自分のファンドに生じている超過利益で相殺することが行われました。これは困ったときの仲間同士の相互扶助であり、しばしば『貸し借り関係』と呼ばれていました」
当然、借りては貸し手に恩義を感ずることになり、そこには特殊な人脈が発生しやすい。このような貸借関係は営業マンの間だけでなく、時には決算期末の損益調整のために商品部対法人営業部の間でも行われた、という。
ロベスピエールとフランス革命 2/4~ジャコバン派
1791年夏のロベスピエールの下宿移転は、彼の生き方に変化をもたらした。家主のモーリス・デュプレイは繁昌している大工兼建築家で、政治好きの妻、まだ学校を行っている少年、孤児の甥、3人の結婚適齢期の娘があった。最年長の娘、エレオノールはロベスピエールの心の友となり、全家族は賛美に満ちた聴衆となった。晩にはデュプレイ夫人は、政治上の友人と隣人に家を解放した。のちにパリ市長になるペティヨン、元僧侶でのちにテロリストとなりボナパルトの警視総監となるフーシェ、3年後ダントン派とともに刑死するデムーラン、エリザベトの婚約者ル・バ、ロベスピエール崇拝からジャコバン派となったサン=ジュスト、画家のダヴィット、不具の狂信者クートン、政府御用印刷人の二コラ、そのほか多くの人がやってきた。
> フランス革命、ジャコバン派のメンバーがそろった溜まり場だ。面白そう。
サンジュストでも絵でも載せようかぐぐったら、日本語と英語であまりにも違うのが面白かったので、
英語版 Saint-Just
日本語版サンジュスト
コミューヌと国民公会
1792年8月10日の事件は外国の観察者を途方に暮れさすと同時に恐怖におののかせた。これまでパリの地区と述べてきたものは、実は1790年の自治体法でパリ市を分割したところの48の地区であった。もとは60であった選挙区、もしくは市選挙区で、この再分割は、市参事会(ミニュシパリテまたはコミューヌと呼ばれる)に対する独立性を弱める意図で行われた。しかし人口平均12500、「能動市民」(有権者)の数平均1700を持つ各地区は、政治的クラブと同時に国民衛兵の代替の中核となり、これまで以上に1つの政治的単位となり、どんな党派であろうと地区議会の多数を握った党派によって制御され、その要求を武力によって裏付けることができた。これらの地区のあるもの、比較的上流の諸地区はまだ国王の味方であったが、他の地区、ことに市の東隅とセーヌ南岸の人口の密な区域は、猛烈な共和主義であった。多くの地区はこの2つの見解の間を動揺していた。戦争の勃発に続く敗北と国土侵入の4か月によって、1地区を除いてすべて国王の廃位を遂行するのに十分な多数が確保されえたのである。中央よりの指示に従う本能はなおきわめて強かったので、正式に選ばれた地区代表である市参事会の権利をはく奪し、「蜂起コミューヌ」の名で暴動を遂行することが必要であった。
8月10日、大臣たちは依然その官庁に出勤しているが、彼らの地位の基礎である行政権は存在しない。憲法はなお有効だが、憲法の根本をなす王政はなくなっている。軍隊はなお前線を守っているが、その将軍たちは忠誠を共和国へ移すであろうか。フランスは全体として革命にしがみついているが、国王なしにすまし、パリ・コミューヌの独裁を許す用意があるであろうか。これらの問題は、王権の没落(8月10日)から国民公会の招集(9月20日)までの6週間、全国を途方にくれさせた。ブラウンシュヴァイク公が国境を越え、プロシア軍がパリへ進軍中であるという報は、事態をはなはだしく悪化させた。
ロベスピエールは、ジャコバン、ジロンドいずれの王権攻撃にも積極的に参加することなく1792年の夏の事件を見守っていた。しかし彼は、これが人民の勝利に終わり彼の唯一の理想である正義と徳の共和国に新たな道を開くことをひそかに希望していた。彼は8月10日の攻撃を組織した連盟兵委員会、地区委員会のいずれのメンバーでもなかったが何が進行中か知っていた。議会におけるマルセーユの利害の選ばれた代弁者として彼はその連盟兵の進軍を賞賛し、蜂起における彼らの役割を宣伝した。8月10日が近付くにつれ『憲法の擁護者』は、蜂起の味方として公然と姿を現し、蜂起は国王と議会との双方の代わりに、真に人民を代表する国民公会を設立するのを目標とすべきだと述べた。しかしロベスピエールは、剣をよこたえたデムーランのように街に姿を現さず、また蜂起コミューヌに参加したダントンのように、市役所に姿を見せなかった。彼はすべてが終わるまで家に-政敵によれば地下室に-ひそんでいた。そして夕方例のごとくジャコバンクラブに姿を現して演説し、国民公会の選挙を力説し、この日についての公式の解説を地方全体に配布すべきことを示唆し、自由を確保するまで武器をおかぬよう人民に忠告した。
ジャコバン派とジロンド派は明確な政党ではなく、志を同じくする個人のグループであった。議員は大臣になれなかったから、両派の指導者たちは内閣を作らなかった。ジャコバン派とジロンド派とのあいだの争いは、政治の方法についての相対立する考え方、革命生活の相対するやり方の間の真の闘争であった。右翼の数が多いほうの少数派は、その最上の雄弁家がジロンド県選出の議員であったので、ジロンド派と呼ばれた。左翼の数が少ないほうの少数派は、その指導者たちがパリ選出の議員で、ジャコバン・クラブの幹部会員であったので、ジャコバン派と呼ばれた。ジロンド派は「89年の人々」を代表し、革命の諸目的は良い法律、理性への呼びかけ、経済的自由放任によって達成できると考えていたことである。一方ジャコバン派は全体として、1791~2年にもっと経験を積んだもっと現実的な考え方を代表し、中央統制のより偉大な施策の必要を信じていた。ジロンド派は、中産階級の利益と投資とが安全で、人生が快楽に満ちている国家を望んでおり、ジャコバン派のユートピアは、計画主義的な民主政治、福祉主義的な独裁政治であるべきであった。
【民族主義・革命・風雲児】
2015.01.19 偽りの明治維新 会津戊辰戦争の真実
2014.09.19 日本人へ 国家と歴史篇 1/6~賢者は歴史に学ぶ
2014.07.23 岸信介 -権勢の政治家- 1/3~帝大から農商務省
2014.05.26 世界の歴史 ギリシアとローマ 1/2~マケドニア王
2013.05.13 孫文 5/5 ~革命の情けない実態
2013.03.08 藤原氏の正体 1/4 ~鎌足と蘇我氏
2013.06.03 わが闘争 下 国家社会主義運動 3/7~演説と扇動
2013.05.16 わが闘争 下 国家社会主義運動 1/7~民主主義
2013.04.18 王城の護衛者
2011.10.25: インドネシア 多民族国家という宿命 1/3~歴代大統領
2011.08.31: マハティール アジアの世紀を作る男4/4 ~がんばれアジア
2011.08.26: マハティール アジアの世紀を作る男1/4 ~東南アジアの雄
2011.02.17: 田中角栄 その巨善と巨悪 ~議員立法
2010.12.06: 田中角栄 人を動かすスピーチ術 ~カネの使い道
2009.01.07: ユーゴスラヴィア現代史 ~国家崩壊への道
シンガポールの公共インフラ~ジャカルタより愛をこめて
シンガポールの環境について書くには、ジャカルタはとても良いです。改めてシンガポール政府の努力と開発の成果を感じることができます。写真を撮ってから、ジャカルタに来るまで、時間的制約の都合もありましたが、基本的に私は暇なので、このくらい書ける時間は取れたはずなのです。でも、ジャカルタに来ると筆がよく進みます。道路など基本的な社会インフラ、大事なものは失ってみて初めてその大切さがわかる、ということだと思います。
ジャカルタとシンガポール? 俺には関係ねー、じゃ済まないですよ。私はいまだに回復しない被災地の石巻も、ジャカルタも見ています。仮に東京が地震で壊滅的な状態になったとき、東北地方とは比較にならない東京の人口過密状態が、ジャカルタ化を引き起こすこともありえます。人が多く住むということは、それだけ町は汚れるということです。
バス停。
HDB群の任意の地点からバス停まで、アーケードの下を通って、雨でも濡れずにバス停まで移動できるように作ってある。はずですw 雨にぬれずに移動できる領域はかなり広く、私も実験的に歩いてみたことがありますが、3ブロック分、30分以上かかるくらいの領域です。(直線に直せば5~10分ですが、雨にぬれずの制約条件下)
バス停の上に屋根(アーケード)があって、それがマンション棟まで続いているのが伝わりますでしょうか? しかし、ジャカルタに居ると、車の数はシンガポールも多いですがバイクはほとんど走っておらず(ってこの写真で思いっきり目の前にいますがw)、片側2車線、時差式信号・右折レーンで整然とキューが進んでいる、大変ありがたい道路インフラですw 私は車に乗らないのですが、写真を撮りながら普通に歩ける広い歩道が確保されているのも大きな違いです。後に載せますが、ジャカルタの歩道、というか道路の脇ですが、マジで酷い。
公営プール。
プールを撮影すると変態かと思われそう(ちなみに撮影したいような大人の女性は公営プールにはおらず、居るのはガキばかりですが、それを撮って警察呼ばれるのもあまりにも不本意)だったので、プールが見えない遠目の位置からの撮影ですいません。シンガポール自慢の公営プールで、50メートルが2面もあり、入場料は平日1SGD、休日1.3SGD、ロッカー代20セントです。横浜市営プールもありますが、350~450円くらいしていたはずなので、とても安いです。でもそれは横浜市がぼったくっているのではなく、横浜の貴重な土地を有効活用するために、1年のうち、7月~9月というわずか3か月のためだけにプールを作るわけにはいかないのです。なので、室内の温水プールにし、その熱はゴミ処理場の焼却から得るという、涙ぐましい節約と努力をしているのです。穴を掘って水を入れるだけのシンガポールのプールと値段が違うのは当然ですが、25mプール1面で4倍とは、地の利を生かしてシンガポールのプールで泳ぎたいものですね。これもまたアジア全域生活圏構想。わかるかね? 家からプールは歩いて5分強くらいです。
駅前。
バス、電車が接合し、モールもついています。にしてもこのポリアンのだらしない体と歩き方が気になるわw お陰で、シンガポール来てから、姿勢が良くなった。なんか、嫌なんだモーン。あのガニマタ、ヨタヨタ歩き。シャンとしろシャンと! シンガポールに来たばかりのころ、どんなに綺麗な服を着ていてもあの姿勢と歩き方では、何の意味もない、とラッフルズプレイスの金融街で思っていました。
駅。
電車が来るシャッターチャンスを5分ほど待ってしまいました。ジャカルタだと30分待った挙句に、「今日は電車来ない」とかありえるので、5分待てば必ず来るシャッターチャンスもありがたや、ありがたや。シンガポールのMRTです。香港はMTRです。マレーシアリンギットはMYRです。って、ん?
電車は、かならず高架線か地下鉄になっています。ここは郊外なので高架線ですが、中心部に行くと電車は地下に潜ります。なのでシンガポールでは踏切という概念がありません。これは日本とも違う、車至上主義。踏切という効率の悪い交通システムはここには存在しません。すべてのレールを地下か高架線上に敷くほどしか、面積がないのが、そうできる理由ですが・・・。
ついでに、この写真で偶然映っている、ゆとりある歩道。ジャカルタに居ると大変ありがたい、歩行者のための道路。これのお陰で、シンガポールの民は、前を見ずに、横を見ながらチンタラ歩いています。「キチンと前向いて歩かんか、このボケッ」と殺意を抱く日常ですが、ジャカルタとは違い、前と足元を見ずに、横の商業スペースを見ながら歩ける幸せを噛みしめているのだ、と思うことにしましょう。
貯水池
海ではありません、貯水池です。海沿いも貯水池と同様に、歩くための道、走るための道、自転車の道など、運動する人のための道を周囲に作ってあります。私もそのうちの一人ですが、歩いたり走ったりしている人が多いです。この貯水池は、治水・水害対策という役割の遊水地だけではありません。シンガポールには水がないんです。川もない(リバーバレーとかあるので、本当はあるんですけどね)。日本の石油備蓄と同じで、水の備蓄の意味があります。マレーシアの気まぐれで水を止められたら、シンガポールは終わりです。水が無いというのは石油以上に深刻で、全員死亡してしまうという綱渡り状態です。なのでシンガポールは海水を飲料水に変える技術などがありますが、それで400~500万人の飲料を確保できるのかは不明です。マレーシアが長く水を止めれば止めるほど、シンガポールが苦しくなるのは間違いありません。インドネシアの一部の政治家が「シンガポールは都市であり、国としての体をなしていない」と発言するのも、うなずけますね。
立体交差
ジャカルタにもありますよ。しかも、たくさんあります。でもねぇ、ジャカルタにはもっとたくさん立体交差が必要なんです。だってこれはシンガポールで貯水湖があるような端っこの側にも、立体交差があるということなのです。
筆:ジャカルタにて
【私の愛するシンガポール】
2015.04.22 バタムに学ぶ新都市建設の可能性 4/4~シンガポールの属国
2014.11.26 物語 シンガポールの歴史 3/3~嘘だらけ?
2014.05.30 私のシンガポール日常生活
2013.09.05 シンガポール6年目にしてジョホールバルに初めて行きました
2012.03.09|タイ旅行 11/11~在住国を見直す
2012.01.11: マクリッチーとスンガイブロウ
2011.10.04: Ubin島にサイクリングに行ってきました
2011.08.25: ブキティマ山に登ってきました
2011.04.21: Facebookのむかつく広告
2010.04.15: オラ日本さいくだ from SGP
2010.03.05: 何をやっても中途半端なシンガポール
2010.01.12: シンガポールスタイルの結婚式に行ってきました
2009.06.10: 所得税不服申し立て成功 油断も隙もありゃしねぇ
2009.04.29: ファーストフード店に見るシンガポールの社会構造
2009.03.19: Noと言えない日本人、Yesとも言えないシンガポール人
2009.01.27: Globalに通ずる現地化度Check試験設問
2008.09.17: Singapore的美的感覚
第5次ジャカルタ攻略 Zero~必要な社会インフラを考える(重要)
ふー、もう5回目か…。ジャカルタのKOST(アパート)暮らしも3回目だ。私が何度もジャカルタに足を運んでいるため、よく発生する勘違いなので最初に言っておくが、ジャカルタは面白いところではない。楽しさならマニラやバンコクの方が上である。ではなぜジャカルタなのか?
1.必要な社会インフラがないと、民の生活はどうなるのか? を見ることができる。
2.新興国の将来 を見ることができる。
順序を逆に、2の新興国の将来とは何かをまず説明する。例えば「カンボジア、ミャンマー、バングラ、もっといえばアフリカ諸国が今貧乏なんで、絶対発展する」という極めて楽観的な新興国への投資話をよく聞く。これらのフロンティアは、農業依存を脱し、軽工業・重工業という道を歩むことになるが、インドネシア・ジャワ島は工業化を終えた段階でも、まだまだ先進国には程遠く、豊かとも言えない状態である。ジャカルタのこの状態を見て、やっと軽工業化し始めた国に対して、「今貧乏だから将来絶対伸びる」と言えるだろうか?
ジャカルタの状態とは? ここで1に戻る。国民生活に必要な社会インフラが無い。先進国では空気のように当たり前に存在する基本インフラなので、気が付かないが、ジャカルタが、その必要性を教えてくれる。繰り返し述べていることなのでヘビーユーザーな読者には申し訳ないが、先進国住民はこの意識がない。(まぁ、空気のように存在するのだから当然なのだが)
1-1.通貨の信用
1-2.道路
1-3.地方都市
1-1.
悪性のインフレが発生しており、インドネシアルピアの価値はこの2年、対ドルで40%下落している。1997年通貨危機並みの水準である。年に一度ジャカルタに来ているが、同じコンビニのタバコやビールの値段が本当に毎年10%値上がりしている。毎年取ってきたエキゾ・ジャカルタ物価指数だが、今年はなんとコンビニビールの販売禁止。コラーーーッ、政府の勝手な都合で、統計の邪魔をするな!
ビンタンビール 330ml標準モノ Blok M コンビニ価格
2015年9月 パパヤ 18,500
2014年8月 セブン 18,500 サークルK 18,500 ファミマ 18,200
2013年6月 セブンイレブン 16,500 サークルK 15,800
2012年10月 セブンイレブン 14,000 サークルK 16,000
サンポルナメンソールマイルド
2015年9月 セブン 18,000
2014年8月 セブン 15,500 サークルK 15,500 ファミマ 15,200
マールボロ赤
2015年9月 セブン 19,500 アルファマート 19,100
2014年8月 セブン 17,500 サークルK 16,800
う~ん、ビールは上がってないように思えるが、スーパーで6本セットで買ったからちょっと安くなったのかもしれない。タバコは激しく値上がりしているのが分かる。ちなみに年率10%のインフレが何を引き起こすか、日本人諸君らは想像もできないだろうから、もう一度言及するが、コンビニの値札は信用できない。インフレに値札がついてきてないのだ。だからレジを通すと値札と違うことがある。買わないと実際の価格が分からない。経済だ金融だ株だ全く関係ない国民生活に影響が出てるだろ?
そんなインフレ下に置かれたジャカルタの一般市民たちのセリフだが、
「銀行に預けても金利は、月に1%しか付かない」
年間金利で12%だぞ。信じられないだろ? キャリートレードとか毎月分配とかやってる連中には。実際、現在の銀行預金で10%を超えるところはあまりないが、7~8%の金利は普通に期待できる。だが、民は銀行に金を置くことを嫌っているのだ。銀行の信用ではなく、通貨の信用がないからだ。給料はすぐにモノに変えないと、カネそのものの価値が落ちていくということを肌感覚で知っているのだ。
「自動車ローンで車買いたい」
普通預金金利がこの状態なので、ローンの金利はさらに高い。でもなぜそう思うのか。インフレで給与そのものが確実に来年上がるから、借金して車にした方が得だという考えなのである。これを高度経済成長慣性系、インドネシア慣性系と私は呼んでいる。日本だって1960年代はそうだったのだ。インドネシアルピア預金をしている日本人の先輩がいるのだが、彼は、「こんなに高い自動車ローン金利を払ってまで車を買うのは理解できない」と言っていた。
1-2.
ジャカルタ市内には自動車が走れる道路はある。空港から市内への高速道路もある。じゃあ何が問題なんだ!と思うかもしれないが、都市人口に見合う道路がない・都市設計ができていないのだ。人口2億を超えるインドネシアにおいて、ジャワ島・ジャカルタ市内1000万、首都圏内3000万人と、工業化と都市化の成功により、凄まじい人口集中が起きてしまった。
3000万人の人口を養うには道路が必要なのだ。ジャカルタの地図を見てみよう。
オレンジ色が高速道路だが、ジャカルタ市内を中心に環状道路にもなっていて、ちゃんとしているじゃないか。と思うだろう?
では、諸君らがよくご存じ、首都圏人口4000万都市の東京の地図を同じ縮尺でご覧に入れよう。
地図で見るとわかるね? 網の目のように高速道路が走り、何重にも環状線があり、東京を中心に放射線状に各都市に分散していく様が綺麗に出ている。それでも「東京は渋滞がひどい」とか文句を言ったことがあるだろう? ジャカルタと東京は首都圏人口としてはほぼ同じ。3000~4000万人が車で移動するのに必要な道路は、どんなものか知っている諸君らは、もう一度ジャカルタの地図を見返してみたまえ。「ジャカルタは道路がない」 このセリフもあながちウソだと思えなくなってきただろ?
地図だと観測できないが、高速道路、高架線道路、鉄道、立体交差、地下道、信号、こういったものがあるにはあるが決定的に不足している。信号もひどい。時差式、右折のみ、右折レーンなど、様々な工夫をして、渋滞緩和に努めている東京と比べれば、交差点で4つある道路のうち、一つだけの道路から3方向にしか動いていないような信号もある。これも急速な工業化と経済発展で、都市の人口爆発に都市機能が追い付いていない現象の一つだ。こうしたジャカルタの状況を見ると、東京の道路インフラは、空気ではない。政府や東京都が時間と莫大な金をかけて、作り上げてきた一大インフラだと意識が生まれてくるはずだ。
1-3.
少し細かくて見落としてしまうが、ジャカルタから地方都市へ向かう道路が、各方向1本しか伸びていない。東西を走るのが国道1号線、Cikampek道路である。この長い高速道路のほんの100mを労働者によるデモ隊数千人が塞ぐだけで、ジャカルタ経済は一日ストップしてしまうのだ。そして、この道路しかないようでは、地方都市の開発もうまくいっていないことが推測できる。
「誰も使わないような道路に国費を投じてけしからん。田舎の役所は立派すぎる。」 私もそんなことを思ったこともある。しかし、インドネシアを見ていると、そうでもしないと地方都市は発展しないことがよくわかる。
どうだ? 東京の道路インフラに感謝の気持ちなんて抱いたことないだろ? 日本の行政に文句しか言ったことないだろ? ジャカルタに学べ。さすれば日本の行政に感謝することになる。それが私がジャカルタを訪れる理由なのだ。日本の小学校の修学旅行は、ジャカルタにしたら、納税や行政の意義が理解できるかもしれないな。
ジャカルタに訪れる理由を述べるだけで1日使ってしまった・・・。
【アジア国際関係・国際都市】
2015.07.10 日本全土落下傘計画2015年 横浜編 2/2~みなとみらい開発計画
2015.04.03 タイ全土落下傘計画2015 9/15~タイ南部ハートヤイの街
2015.02.16 タイ全土落下傘計画2015 1/15~日曜休日の店が多い
2015.01.29 海道の社会史 1/4~ジャワ以西の地、スラウェシ
2014.11.28 第二次フィリピン遠征 4/10~一人で遊べるセブ
2014.09.22 中国の地下経済 3/3~国は頼りになる?
2014.06.03 中国全土落下傘計画 湖南省編 2/10~長沙の規模
2013.07.03 インドネシアがシンガポールを挑発(爆笑動画付)~ヘイズ問題が教える一人当たりGDPの虚しさ
2013.10.02 ジャカルタ・リラクゼーション・アワー 14/16 ~ジャカルタの電車
2013.09.12 初フィリピン・マニラ編 1/14 ~空港・周辺ホテル
2012.02.21: タイ旅行 5/11~タニヤのキャバ
2011.02.23: アジア発展の構図 ~アジア地域の特徴 1/4
2010.02.19: マラッカ(マレーシア)旅行 ~KL、マラッカ観光編
2009.11.30: アジア情勢を読む地図
2008.11.14: 国際観光動向考察による人民誘致戦略
2008.08.21: 東南アジア横断 ~総括 アジア覇者への道
しんがり 山一證券 最後の12人 3/5~飛ばしの管理人
2600億円の簿外債務を、実際には誰が管理しているのか、という根本的な疑問である。「簿外債務」という塊がポンと存在するわけではなく、損失を抱えた有価証券類や売買取引書類がどこかに隠されているはずだ。そして、その有価証券類の日々の値動きをチェックし、管理している人間がどこかにいるはずだ。それは事業法人本部か、経理部か、それとも経営企画室か。その人物は数字に明るく、几帳面で、上司の信頼が厚い人間だろう。もし、簿外債務の管理が6年前の1991年ごろからひとりの手で続いているとすれば、その人物は部長か、それに近い地位に就いているのではないか。そして、その人物は絶対的に口が固い人間のはずだ。そのうちに竹内の脳裏に、社内の誰もがその私生活を知らない、ある幹部の顔が浮かんできた。
もしかしたら、あの「異才」なら何かを知っているかもしれない。それが、企画室関連事業課長だった大槻益生であった。今は関連企業部担当理事である。山一の国内関連会社の管理を統括し、関係会社の方針を立案したり、会計処理に当たったりしていた。なんとなく思い浮かんできただけで、それは直感としか言いようが無かった。経営企画室は、簿外債務の秘密を握っていた。とすれば、その手足のひとりとして大槻が選ばれていても不思議は無いと竹内は考えた。
「ギョウカンで簿外債務のことを調べているんです。大槻さんほどの人ならわかっているはずです。教えてください。わかっていることだけでいいんです」 すると大槻は眼鏡の奥から竹内をじっと見つめた。
「何が知りたいの?」
「簿外債務がどこで管理されているのか。いや、簿外債務について大槻さんがご存知のことを全部お話願えませんか。お願いします」
「うーん」 ためらいを見せたあと、隣の応接室に大槻は竹内を連れて行った。同室の事務の女性に聞かせたくなかったのだろう。ソファで向かい合うと淡々とした調子で切り出した。
「僕が毎日、管理して書き入れているんだよ。株価も」
ロベスピエールとフランス革命 1/4~王政と憲法
まもなく革命によって解体されようとしていたフランス社会の古臭い構成において、僧族および貴族の二特権身分と、特権は持たないが、財政的、職業的には重要なブルジョワジー-イギリスの中産階級にあたる-とは、勤労者の表面を覆う薄皮にすぎなかった。概数でいって50万の二特権身分と100万のブルジョワに対して2500万の勤労者がおり、その9/10は農民であった。しかし少数の大都市、パリは人口約60万で、6つばかりの海港や工業中心地は各10万に近かった。多くの地方都市とでもいえるものでは、大寺院のお偉方たち、教区の僧侶たち、地方自治体の役人たち、司法官、弁護士、その他民生機構および宗政機構のすべての小役人たちは、自己の立場を維持する以上のことを望んでいた。
アラスはそんな地方都市の1つであり、ロベスピエール家はそんな家の1つであった。この一家はこの地方に300年来住んでおり、もしマクシミリアンがその性格のうちに何か外国風なところを遺伝していた、彼はしばしばアイルランド系だと告発された、としてもそれはずっと遠い祖先から来たものに違いなかった。
シンガポールの引きこもりが勇気を出して部屋を出る(写真付)
と言っても、今、ジャカルタに居るんだけどね。俺、住所不定だからなぁ。そう言うとかっこ悪いから「アジア全域生活圏構想」と呼ぶようにしているんだがね。日本を含むアジア各国を移動しながら、その領域の中でも最も割安な商品とサービスに消費するというシンプルな考え方だ。一番簡単なのは、食事。現地のものは現地で買うのが最も安い。日本酒は日本で、タイ料理はタイで。そして、高付加価値商品は日本で買うのが最も安い。
普段はシンガポールの部屋でほとんどの時間を過ごすという「引きこもり」なんです。最近購入したSurface Pro3というタブレットを持って、写真でも撮りに部屋の外に出てみよう。と思って、ジョギングを散歩に切り替えて撮影してきました。100SGDもするジョギングシューズで贅沢ウォーキング。ジャカルタに比べればシンガポールの道路は遥かに安全なのですが、走る時は交通上注意が必要なので、周りを見ながら走ることはできません。歩きながら、立ち止まったり、周りを見渡してみるというのも、ありなのかなと思い、歩いてみることにしました。
※インドネシアの名誉のために言うと、ジャカルタの道路が危険なのは治安ではなく交通上の問題です。キチンと足元を見て歩かないとケガをするようなボコボコな道路状態に加え、明らかに信号が必要な交通量があるのに信号はなく、バイクと人体の当たり判定の小ささを利用して、かわすように横断する必要があります。う~ん、逆にインドネシアの不名誉?
部屋に戻ってから、その写真を見返してみると・・・、出るわ出るわ、引きこもり固有の悪態が…。というわけで普通のブログっぽく、写真を載せて言葉が少ない記事を書くまでに3回も悪態ついてしまいました。いずれの記事もシンガポールに対する愛に溢れています。
2015.08.27 ナショナルデーパレードを見て思う民の国家貢献
2015.09.02 シンガポールの真実、経済成長の傍らにて
2015.09.08 シンガポールの公共住宅HDB
さ~ぁ~で~かけ~よう~♪
では早速、玄関。
ドアは外扉と内扉の二重になっているのがHDBの基本です。コンドは普通はドアは一つです。コンドのセキュリティーの代わりでしょうか? 鍵をなくしたときにプロを呼ぶと、5秒くらいで開けてくれるので、二重ドアに何の意味があるのか意味不明ですが、誰でも通してくれるコンドのセキュリティーと同程度の意味はきっとあるのでしょう。ちょっと細かいですが、写真から、内装も少しわかります。床はタイル調、配電盤はむきだし、そして壁の塗装もなんだかこだわりがありません。ここは、たぶん、築20年くらいですが、築10年以内のHDBだと、この内装も「経済成長」していまして、グッと綺麗になります。
孔子 日本人にとって論語とは何か 2/2~宗教と慣習の違い
孔子が最も具体的に偉いところは「子は怪・力・乱・神を語らず」に要約されると教えていただいた。紀元前500年という孔子の時代に「怪・力・乱・神を語らず」と言えるのは、大変な理性だからです。そういうと各宗派の人に怒られるかもしれませんが、釈迦、キリスト、マホメットなど宗教はみな教祖のオカルト的伝説で人心を収攬していく。キリスト教の中でもカトリックはキリストは神の子として処女懐妊をしたと信ずる。どの宗教も「怪・力・乱・神」を話して布教するわけです。今の新興宗教も同じです。
魑魅魍魎や百鬼夜行の世界は存在するかもしれないが、明瞭な日常生活の中で説明できるものではない。したがって理性の対象にはならない、と学問上の理性の枠組みをきちんと整える。学問とは理性で証明し、かつ理性で反駁できるもの以外はないというわけです。孔子の死後、儒教は何度も仏教の影響を受けるが、宗教にならず、啓蒙の学問、人倫の道として発達し定着するのも、こうした理性が働いていたからです。
カーネギーは大金持ちになって、これ以上お金を儲けても仕方がないと思ったのかどうか、慈善事業を始めたら、金儲けに努力していたときより、ずっと品性の卑しい人間と多く会わなければならなくなったと述懐しているんです。商売の場合は、お互いに信用し合い、契約書を取り交わし、守らなければ社会的なペナルティーを受ける。ところが慈善事業を行う人は自分の正義感ばかりが先走りして、他人がそれに従うのが当然だと思うから品性が卑しくなることがある。
しんがり 山一證券 最後の12人 2/5~黒幕の行平会長
三木「次の会長は君に頼みたいんだよ」
五月女「え、こんなところで突然、言われましても・・・」
三木「わが社の状態は君が一番わかっているはずだ。誠実な君なら社員の信頼もある。ぜひお願いしたいんだ」
五月女「新社長はどうするんですか」
三木「野澤君に頼んであるんだ。この話はまだ、私と行平会長しか知らない。よろしく頼みますよ。」
三木はその直前に野澤にも電話を入れていた。
三木「僕の後任は君がやってくれないか。いろいろあって君しかいないんだ」
野澤「えーっ!私はその器じゃありませんよ」。そういう野澤の答えの中に、僥倖の喜びがにじみでている。行平も野澤に電話を入れていた。じっとり粘るような口調であった。
行平「頼むな。逃げないで仕事に向かってくれ。いろいろあるんだよ」
二人のトップが言う「いろいろ」とは、緊急副社長会で明らかにされた「指三本」の簿外債務のことだったのだろうが、野澤が深く聞くことは無かった。本心をめったに口にしない三木が、側近にポツリと漏らした。
三木「野澤が社長になっちゃったよ」
「取引で儲ければ自分の才覚、損をすれば証券会社のせいだ」。苦情客の中にはそう考えるものもいる。
> いつの時代もいるねぇ。でもそうである限り、証券業のブローカレッジビジネスはなくならねぇな。
アメリカ・フロリダに行ってきました 4/4~毎日ロケット発射が見れる
アメリカ飯の定番、ステーキを食べに行きました。
Charley’s Steak House
8255 International Drive Orlando, FL
サイドを頼むなら、4人で肉2人前で十分です。典型的なアメリカンステーキですが、味は比較的スモーキー。なかなかおいしいです。最近は日本でも霜降りだけでなく、赤味の肉も流行っていると聞いていますが、4人、実質2人分でワイン一本頼んで、120USD程度です。一人5,000~10,000円の価格帯でそれほど高くないのはアメリカの良いところなのではないでしょうか。アメリカンステーキは私にとっては、アメリカに行ったら必ず食べるようにしている一品です。しかし、子供にとっては、「筋があり固い」という予想通りの反応です。
Wall Green
民スーパー。ウォールマートよりは店舗が小型のイメージでしょうか。ホテルがあるInternational Driveにいくつかあり、ホテルから徒歩圏だったので、利用しました。主としてビールやワイン、水などを買いました。25 FL oz(約750ml)の特大缶バドワイザーがお気に入りです。私は味の薄いアジアビールが好きなので、アメリカだとバドは定番になります。アメリカらしいビッグサイズの25oz缶がなかなかお洒落です。ワインも1ボトル1000円台(10ドル台)で買えるので、日本より若干高いですが、シンガポール基準で考えれば安い安い。タバコは一箱6ドル台なので、とても高すぎて買うことはできません。まま、シンガポールは10ドルなので、それよりは安いですが、グローバルアービトラージャーとして高いタバコは買ってはならないのです。フロリダなので、ディズニーグッズ、キーホルダーなどが2ドルくらいで売っています。お土産はディズニーランドで買わず、こちらで買うと割安でしょう。
シンガポールの公共住宅HDB
タブレットを買ったので、写真が取れるようになりました。ノートPCを持ち歩いて、バッテリー気にしながら、カメラとして重すぎて手元グラグラしながら写真を撮るのも嫌なので。タブレットとはいえ、PC代わりなので、シムも入らなければ12インチもあり、常時持ち歩くには不便な大きさです。
底辺の生活に触れる前に、シンガポール在住の一般的な日本人の居住区に触れておこう。私の経験上、最も日本人と遭遇率が高いところはマリーナベイサンズだが、ほとんどが宿泊者=観光客と思われるので、これは除外する。シンガポールのリトルトーキョーは、ロバートソンキーと呼ばれるところとなる。最寄り駅のクラークキーまでは歩いて15分ほどで、あまり便利ではないが、そこからさらに徒歩で10~20分のリババレ(リバーバレー)・グレワ(グレートワールドシティ)までのコンドミニアムが、標準的な日本人居住区といえよう。
日本人学校が、島の東部・西部にあるので、子育て世帯は、日本人学校近傍のコンドミニアムに住んでいることもある。独身世帯だと逆にオフィスまでの立地だけを重要視したラッフルズプレイスにあるコンド、Sail(セール)もよく聞く。裕福な世帯は、オーチャード近郊やセントーサのコンドミニアムに住んでいるが、数はあまり多くない。一方、中華系・インドネシア系の富裕層が住んでいる一軒家地域は、日本人が住んでいるというのは聞いたことがないほど珍しい。
お待たせいたしました、ここからが底辺の世界になるが、シンガポール人の8割が住んでいるHDB(公共住宅)を底辺と呼んでしまうと、ほぼ全員底辺になってしまい、真の貧困層がほとんど皆無のシンガポールの記述として不適切な気もする。繰り返すが、中国やインドネシアの貧困層に値する層は、シンガポールにはいない、と言ってしまってよいだろう。日本にもいないのだが、「日本の貧困層」と同じ感覚でとらえるならば、底辺と解釈してもよいだろう。
底辺という言葉を使っておきながら言うのもなんだが、実はHDB(公共住宅)とコンドミニアムは、大して変わらないw ここからはシンガポール賛美=HDB賛美だw
家賃:HDBが2500~3500SGDに対し、コンドミニアムは3500~5000SGD程度である。もちろん、上記の富裕層の住むコンドミニアムは10,000SGD以上も普通に存在する。家賃20万円と40万円の違いなので、違うといえば違うが、20万円の物件に住んでいて底辺というのも…厳しいだろ?
セキュリティ:コンドミニアムには、ゲートにガードマンが居る。が…、「フレンド、インサーイド」とか適当言えば誰でも入れるのでほとんど意味のないセキュリティレベルであるw
内装:HDBの分譲はハコのみの状態で売り出されるので、内装はオーナーによる。内装の質は時代によっての流行りや改善が見られ、最近建設されたHDBならば、コンドミニアムと遜色ない内装と言ってよいだろう。ポンゴールというシンガポール北部にある新興HDB群(とはいえ、Punggol21という開発プロジェクトは1996年、Punggol21 Plusが2007年なので超最新ではない)に遊びに行った時は、あまりの綺麗さに驚いた。住んでいた日本人が几帳面で、彼の家はいつも綺麗にお洒落に保たれているというバイアスがちょっとある。
孔子 日本人にとって論語とは何か 1/2~本場中国と解釈の違い
論語が決定的な影響力を持つようになったのは、言うまでもなく江戸時代です。当事は四書(大学、中庸、論語、孟子)、五経(易経、詩経、書経、春秋、礼記)と朱子の「近思録」を読んでいないと一人前の知識人として認めてもらえなかった。幕末の武士、たとえば西郷隆盛や大久保利通の青年期の読書を見ても、まず四書五経を読んでいる。また、渋沢栄一の父親は武州血洗島の農民に過ぎなかったけれども、四書五経はよく読んでいて、それを引用しながら息子の渋沢を訓戒したそうです。つまり、武士に限らず当事のちょっとした知識的な農民や商人なら「論語」を暗記しているのが当たり前だったのです。仏教のお経は読んでも意味がわからない。読んで聞かされてもわかりません。しかし「論語」なら字なりに読めるし、読んだとおり理解できます。解釈の上で非常に難しいところはあるけれども、お経のように、音声だけ聞こえてきて意味は全くわからない、というようなことはない。
ただ、日本人の論語の受け取り方は、中国人とは非常に違うそうです。すべて日本的に-日本の実情に都合のいいように解釈している。もっともこれは、ヨーロッパの聖書に対する考え方についても言えます。「新約聖書」のうち「ルカ伝」以外はすべてユダヤ人が書いたと言われ、またルカにしてもユダヤ教に改宗したギリシャ系の人間だから、「新約聖書」はすべてユダヤ教徒によって関われたわけで、そこには当然、伝統的なユダヤ人の考え方がある。ところがヨーロッパに入ってくるとそうしたものとは違った解釈が生まれ、それが一つの文化を作っていくようなところがあるのです。ローマ帝国がキリスト教を公認したのは、紀元325年ですが、そのとき小アジア西北部のニカエアで開かれた「ニカエア公会議」でキリスト教の基本信条が決定された。「ニカエア信条」と呼ばれるものですが、それと同時にその信条案を提出したエウセビオスという人物が、初めての教会史を書いたのです。それを見ると、いわゆる「旧約の歴史」はイエス・キリストが出現するのを準備していた期間だということになっており、それがそのままキリスト教徒の理解になっているのです。ところが、ユダヤ教徒には最初からそういう理解は全くない。「聖書」に対する受け取り方が基本的に違っているわけです。そしてこれと同じことが日本人と「論語」についても言えると思います。
長い間「論語」に親しみ、その影響を強く受けながらも、中国のものの基本は輸入しなかった。日本人の法意識に最も強い影響を与えているのは、鎌倉時代に制定された「貞永式目」ですが、それを唐律と比較すると日本と中国の違いがわかります。中国は伝統的に「父子制血縁集団」の社会ですから、例えば処罰についても「縁座」ということが非常にはっきりしていた。反乱を起こした場合、本人の父親と16歳以上の男子は死刑、15歳以下の男子と妻妾子女は奴隷に落とされ、伯父と叔父は流3000里-流刑に処せられるのが通例でした。しかし、貞永式目には原則として縁座がない。共同謀議をしないかぎり、血縁者だからという理由だけで処罰されることはありません。ただ正妻は夫に協力したに決まっているということで、領地を没収される。中国の法律とは明確に違うわけです。財産相続法も非常に対照的です。中国は均分相続で、家督は一人が継ぎ、家産は均分に相続する。ところが貞永式目はそうなっていず、父親がこれと思った人間に譲り状を渡して相続させるのです。
しんがり 山一證券 最後の12人 1/5~小池隆一
「なぜ自主的に廃業しなくてはいけないんですか!どうして会社更生法はだめなんですか。営業権譲渡など、他に生き残り方法もあるでしょう」五月女は野沢に代わって、社員の前でいきなり告白した。「山一には約2600億円の帳簿外の債務があります」それは長年にわたって社員たちに隠されてきた秘密であり、名門企業を瀕死の淵に追いやっているものの正体であった。執行役員たちは息を飲んだ。「ふざけるな!」という罵声の代わりに「ううう」という低い唸りのような声が漏れた。「大蔵省証券局は山一がそれを隠していたのは許せない、というのです。会社更生法で立て直すという方法は無いのか、と私たちも動きましたが、東京地裁は『簿外債務のような法令違反行為があると、更生法の適用は難しい』という判断です。さらに更正法を適用するには会社が大きすぎるし、財務体力も銀行の支援も無い、ということなんです」
> そういえば、会社更生法ではなくて自主廃業でしたね。
「総会屋との取引関係」とは、総会屋・小池隆一に対する利益供与事件を指している。始まりは、野村證券の内部監査を担当していた若手社員がその不正に気付き、1996年に東京地検特捜部やSESC(Securities and Exchange Surveilance Commission)にひそかに内部告発したことであった。「野村證券が自己売買部門で稼いだ利益を小池のダミー会社である『小甚ビルディング』に付け替えてやっていた」というのである。それが年末ごろから少しずつ利益供与疑惑として新聞で騒がれ始め、翌97年3月25日には東京・日本橋の野村證券本社が特捜部やトクチョウ(SESCの特別調査課)の捜索を受けていた。不正のきっかけを作ったのは、第一勧業銀行である。1989年2月に小池に約32億円の無担保融資を実行し、小池はそれを元手に、野村、大和、日興、そして山一という四大証券の株を30万株ずつ取得していった。これで得た株主提案権を楯に、小池は株主総会めがけて各社に揺さぶりをかけつつ利益供与を求めていたのだ。
> 株主をナメ腐った日本企業の経営陣に、株主兼総会屋として噛み付いたのは悪いことではないと思うが、89年に証券株を買ってるあたりは、相場師として劇的にセンスが無いよなぁ・・・。株を買いつつ、その後ろでForwardを2倍ショートしてたとしたら、神様並みに崇めてやっても良いけど、店頭デリバティブ解禁は残念ながら1998年だ。
アメリカ・フロリダに行ってきました 3/4~ユニバーサルスタジオ
ディズニーランドと似たようなものだ。アメリカの物質文明の極み。良く言えば、アメリカの豊かさとエンターテイメントの象徴だ。子供向けの施設ではあるのものの、大人の場合は、映画オタク(アメリカ映画だがw)、アメコミ・オタクが喜びそうな環境で、スパイダーマンとかベティちゃんなど(後はあまり知らないので認知できない)の専門ショップがあるようだ。ディズニーランドと比較すると、若干、雰囲気がマシで、それを定量的に表すのが、やはり、「喫煙所」の数だ。実質上使えるのが一箇所しかないディズニーランドに対して、ユニバーサルスタジオでは、吸おうと思った任意の地点から、徒歩圏内に喫煙所が存在する。
それにしても高い! 2Park Ticketで一人147USD+で156USD。×4で600USDを越える。1USD=125円とすると、75000円! 俺、生活地味だから、一日で75000円も使ったこと、この何年でないんじゃないかな。しかもだよ、「絶叫系のジェットコースターは怖い」とか言いやがる。行けばわかることだが、1回2500円はしそうな巨大なジェットコースターがいくつかあるのに、それに乗らず。俺なら高そうな豪華ジェットコースターから機械的に制覇していく(しかしそれは本当に楽しんでいるのか?と自分でも疑問だ)。ジュラシックパーク・エリアによる、円形ボートでの川下りも雨天で、いつ再開するかわからず、並んでいる間にあきらめる。お目当ては、ハリーポッターの城とDiagon Alleyでのショッピング。城はけっこうすごいです。映画を真面目に見たことはないのですが、様々なところに映画さながらの演出がしてあるようです。それはさておき、城の中をゴンドラに乗って回るのですが、ゴンドラの動きと周辺の風景と映像の組み合わせで、本当にほうきに乗って?空を飛んでいるような高次元なバーチャルリアリティでした。これは納得の2500円級アトラクション。さて、これと同等のアトラクションを7個乗らないと元が取れないぞっ! 目の前にあるグリフォンライダー?、ジェットコースター、これもすごいぞ! どうだ! 拒否だ。怖いそうだ・・・むぅ・・・。
本日の主目的であるDiagon Alleyでハリポタグッズの買い物だ。ユニバーサルスタジオは2つのパークが並列しており、ハリポタの「城とDiagon Alley」は別々のパークに設置されているというなんとも嫌らしい構成になっている。ハリポタ両方に行きたければ、2パーク料金を払えということなのだ。すさまじい商魂だ。2パーク間はハリポタ電車で移動可能。本物の電車に乗りながら、窓はハリポタスクリーンになっている。ゴンドラで上下しながら移動する城といい、電車といい、実際の体感と映像を組み合わせた演出は同じだ。
Diagon Alleyの買い物の予算、お友だちのお土産にいくらお小遣いが出るのかでモメている。しかも金額は2000円、16ドル程度で、買える物はここにはほとんどないぞ。少ない予算、すなわち強い制限がある中での買い物は面白くないだろう、よしお前に選択肢を与えよう。「ユニバーサルスタジオがお前にとっての第一希望であり、ディズニーランドは違うな・・・。ならばディズニーランド行きを1日諦めて、俺とホテルでゴロゴロしているだけなら、1日分諦める毎に80ドルをプレゼントしよう。」 4回行く予定だったディズニーランドだが、私は初日で嫌気が指してしまい、残りは彼等3人で行ってもらい、私はひとりでホテルで待つように変更した。待つ人数が一人増えるたびに、100ドル以上が浮くので、その一部を還元してやろう、という提案だ。
シンガポールの真実、経済成長の傍らにて
日本で(特にテレビ)見るシンガポールといえば、マリーナベイサンズ、オーチャードばかりだが、「NYだけ見ても、ブッシュJrがなぜ当選したのか?が理解できない」ように、シンガポールも同様の事情がある。
オーチャードなどのCBD(Central Business District) Areaと呼ばれる中心地は、労働生産世代ばかり、シンガポールの高度経済成長後の世界で育ってきた若者が多い。平均所得も当然上がっていることと思うが、マナーや話方など立ち振る舞いは改善し、英語のアクセントも、年寄り世代とは異なる。若年層が話すシングリッシュは、若干改善されているものの、シングリッシュはシングリッシュなので、心配しなくても、中央エリアで観測可能であるw 私は普段、シングリッシュに接することがほとんどないが、一番、耳にするのは意外なことに、部屋に引きこもっているときである。私の趣味のYoutubeだが、Youtubeの広告は、ローカル(接続国)によって提供される。私が日本語のYoutubeを見ていても広告は、シンガポールのものになる。突然、不快なアクセントでシンガポールの政府広告、CPFの説明を、リー・シェンロン首相の動画と供に流されたりする。(動画検索してみたが、見つからなかった)
しかし、ポリアンと話していて、一番イライラするのは、不快なアクセントではない。よく聞くのは、「カネの話ばかりしている」というが、私もカネの話は好きなのだが、彼らとは話は合わない。なぜならば、どうでもよい給与の話や、シンガポールの不動産価格、そして株=シングテルだw S&P500のImplied Volatilityとか言っても全く通じないのは間違いない。ましてやもっと難しい概念であるアジア一国一愛人構想、「中国・インドネシアを震源地とするアジアの動乱が起きた時に、アジアの地図が変わる。そしてその時、シンガポールなどという国は存在しない。」という考え方はまったく理解できないと思ってよいだろう。
また、これも会話の内容になるのだが、独特の「3文字熟語」を知らないと全く何を言っているのかわからない。先ほどから出している、CBD、CPF(年金)に代表されるが、HDB(公共住宅)、MAS(金融監督庁)、PIE・CTE(道路の名前)、ERP(Electronic Road Pricing、自動課金ゲート)など、うーん、他にもいっぱいあるはずだが、これらの3文字熟語を全部知らないと会話についていけないことは間違いない。3文字熟語と言っても、これらは英語ではなく、シンガポールでしか通じないシングリッシュなので、覚えても、ポリアン以外にはまったく通じない意味の無い熟語である。
ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録 5/5~日本郵政社長の苦闘
郵便貯金の預入限度額は金融自由化への対応を理由に、なし崩し的に拡大され、1988年には300万円だったのが3年後の91年には1000万円になった。90年代に入るとバブル経済時代の行動やバブル崩壊後に相次いで発覚したスキャンダルなどから金融業界への不信が強まり、国民の資金は政府保証のある郵便や簡易保険に集中するようになる。2004年度末の郵貯残高は214兆円の巨額に達し、当事、最大の民間銀行であったみずほフィナンシャルグループの預金量80兆円の2.5倍を誇っていた。また簡保の総資産は121兆円で、日本生命・第一生命・住友生命・明治安田生命の大手生保4社の総資産の合計額に匹敵するものであった。
郵貯に預け入れられた国民の資金は2000年までは大蔵省の資金運用部に全額を預託する義務があった。預託期間は7年間で金利は10年物国債の利回りに0.2%程度が上乗せされた。
> これが西川頭取が「民間では絶対真似できない金融商品」と吠えたアメリカンスワップション付き10年固定利回り定期預金を、郵便局が提供できた理由である。
2008.04.30 定期預金は金利デリバティブ
2008.03.17 一族家における投資教育 ~貯金と金利
民営化された日本郵政では、運用ノウハウの確立と運用担当者の育成に苦労させられることになるのだが、いきさつを振り返れば、それも至極当然ことなのだった。郵貯は、市中よりも有利な金利で自動的に”運用”でき、資金を集めることだけに専念していればよかったのである。言うまでもなく、預託された資金は財政投融資などの資金となり、これがまた特殊法人のずさんな経営を生む一因にもなっていた。郵政事業は独立採算だったが、預託金には上乗せ金利が適用されたり、法人税や事業税、預金保険料が免除されたりするなどの「隠れた補助金」「見えない補助金」がたくさんあった。こうした「官業ゆえの特典」ともいうべき民間よりも有利な競争条件が市場を歪め、公的金融の肥大化を招いていた。簡保を合算すると郵貯は家計の金融資産1400兆円の1/4を占めるまでになっていた。財政投融資制度の改革により2001年度からは資金運用部への預託義務は廃止された。つまり全額を自主運用しなければならないのだが、郵貯は政府保証付であるのだからリスクの高い運用はできず、国債や地方債に偏重した運用がなされ、巨額の資金が官に流れる構図は全く変わらなかった。財政当局にすれば、巨大な買い手がいるのだから国債発行の規律も乱れがちになるのは当然だ。
ある商社の会長さんから聞いた話、1000万円を渋谷郵便局から引き出し、神田の某銀行の支店に送金しなければならない用事ができたという。郵便局と銀行間の決済ネットワークがつながっておらず、「近くの銀行に現金をお持ちになって、そこから送っていただくといいと思います」。渋谷の街中で1000万円を持ち歩くのは危険なことであり、そもそも郵便局から送金できないこと自体が理解できなかった。銀行に持ち込んだものの今度は不正なマネーロンダリングをチェックする入金ルールがあり、所定額以上の送金には厳しいチェックがある。
全銀システムと郵政のシステムがつながっていない根本的な問題は、大いに技術面にあった。銀行と郵貯では口座データのうちの「店番号」と「口座番号」の桁数が違い、それがネットワークとの接続を難しくしていたのだ。銀行がそれぞれ3桁と7桁であるのに対して、郵貯は5桁と8桁。全銀システムとつながるようにするために桁数を共通化する必要があった。民営化後に全銀システムとの接続が実現したが、これは全銀システム側が、郵貯の5桁と8桁を全銀側の3桁と7桁に”翻訳”して処理してくれたことで実現した。
ファミリー企業との関係を見直す
調達コストの削減と調達戦略一元化、顧客接点の一元化を徹底し、さらにグループの一体化により総合力を発揮していく上で、避けて通れない問題が、いわゆる「ファミリー企業」と呼ばれる関連会社との関係の見直しだった。その実態を知れば知るほど、実に手回しよく作ってあるものだと驚いた。たとえば「かんぽの宿」。かんぽの宿自身はいわば管理会社で、その周りに営繕や清掃の会社を作ってかんぽの宿から仕事を得ている。ユニフォームの調達でも郵政公社と民間事業者の間に挟まる形でファミリー企業があり、コストを膨らませる一因になっていた。とにかく年賀状の印刷にしてもハガキの作成にしても、切手にしても、郵貯や簡保の帳票類にしても、ゆうパックの箱にしても、調達規模が大きいだけにファミリー企業が介在するうまみがあるのだ。情報システムの構築でも緊密な関係にある会社が4社あった。このそれぞれに大手電機メーカーやシステム会社が出資していた。これらは事実上のトンネル会社で、開発の主導権を持っているわけではなかった。そこに何人かのOBが天下り、入札をするとその会社が応札するし、ベンダーが応札してもその会社を通して納入するので、どっちにしてもお金が落ちるような仕組みになっている。ATMを全郵便局に1台ずつ納入したとしても24,000台だり、こんな大規模な調達案件は無い。しかも特殊使用なのでコストが増えるのも当然と考えられていた。こうした関連会社との関係の見直しとコスト削減の連動は民営化したからできることだった。ただ、なかには財団法人など公益法人となっているものも多くあった。公益法人は主務大臣の認可を得て設立されている団体だから、私たちの手で解散したり廃止したりできるものではない。
第一次報告が公表されたのが8月7日のことだったが、この段階ですでに「郵政福祉」という財団法人との関係見直しについての検討結果が明らかにされていた。郵政福祉は郵政弘済会・郵政互助会・郵政福祉協会の3つが統合してできた公益法人で、職員の退職給付の3階建て部分の拠出金を、毎月の給与からの天引きで集めて運用していた。しかし、加入は任意で、加入率は84.6%であった。外部の任意団体に職員の旧都に関する情報を提供するのは個人情報保護の観点からも許されるべきことではない。報告を受けて日本郵政は、直ちに給与天引きを廃止した。そもそもこの団体は特定郵便局の局舎を約1500ほど所有し、公社が家賃を支払う形になっていた。賃料は結構高く、利回りにすると10%で回っていた。しかも財団法人は公益法人なので税金がかからない。その団体が局舎を郵政に貸し出して賃料を得、それを運用して職員の退職金に上乗せするという構造はどう考えてもおかしい。
もう1つ、大きな組織で財団法人「郵貯振興会」があった。ここはメルパルク(郵便貯金会館)の運営をやっている法人でメルパルクは全国に11箇所あり、コンサート会場や結婚式会場として利用されている。ここの経営形態も妙なものであった。メルパルクは「郵便貯金の周知徹底のための宣伝施設」と位置づけられていて、土地や建物は公社が所有しているものの、売上収入はすべて郵貯振興会に入る。賃料なし、税金なしなので利益率は高い。初めて説明を受けた時は、賃料も取らずによくやっているものだと驚き、呆れたが、周知徹底のための宣伝施設なので施設を所有していること自体が宣伝広告費として扱われている理屈にはあんぐりとしてしまった。郵政民営化法では2012年9月までに譲渡または廃止すべきとされている。
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