スキピオ・アフリカヌスの力によってイベリア半島は前206年に完全にローマの手に帰した。スキピオが翌年ローマに帰ってカルタゴ攻撃を申し入れた時、元老院はいつもの慎重さからそれに反対した。国庫の窮乏は甚だしいし、イタリアの端にはまだハンニバルが機会を狙っているのである。ところがスキピオは民衆の間にカルタゴ討伐論を盛り上がらせ、ついに遠征の司令官となった。上陸後カルタゴはいったん降伏を認めた。しかしこの期に及んで召還されたハンニバルが1万5千の老兵を連れて到着した時、カルタゴの主戦派と前202年ザマの会戦となった。ハンニバルは多数の像を並べたが、この武器もローマ軍の研究と対策によって全然役に立たなかった。優勢なローマ側の騎兵が敵の騎兵を蹴散らした後、敵陣の背後から包囲したので勝敗が決まった。ハンニバルがかつてカンネーでローマ軍を全滅させた時の作戦を用いてスキピオは大勝したのだ。
Gradiator12414.jpg