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大川周明は、東西文明対抗と大アジア主義を唱え、大川塾塾生をアジア各国に派遣し、「(現地で)一人で良いから、信用できる人を作れ。」と言ったという。このブログはデリバティブブログを排し、東南アジア放浪記なのか? というご批判はよくわかるが、そう思っているチープな発想しか持たない諸君に是非読んでもらいたい。アジア一国一愛人構想は足掛け5年、構想設立当初から基本的な理念と名前は変わらないものの、状況に応じたその意義の変容をまとめてみた


世界一周旅行、自由人の象徴のような企画である。正直、私は世界一周旅行をできるだけの時間的余裕がある。だが、それはしない。世界一周旅行とアジア一国一愛人構想を比較する。1年かけて世界一周旅行して50カ国周れば、平均1週間の滞在となり、2年かけるなり、国の数を減らせば2週間くらいは滞在できるだろう。だが1~2週間滞在しただけのウズベキスタンの不動産やプライベートエクイティに金出せる? 金を出すからには、愛人作るくらいの気概でその国にコミットして臨まなければ、不動産投資なんかできないでしょ? アジア一国一愛人構想とは、色んな国の女性と肉体関係を持ちたいということではなく、自己本位的・野心的な消費活動であることが、”世界一周旅行”と比較すれば分かりやすいと思うのだがどうかな?

1章 ~アジア一国一愛人構想・設立当初:
旅行=金融取引だった

08年10月リーマンショック当時、私はシンガポールから香港に旅行していた。株式市場が大暴落を引き起こしている中、中国元の売りと米国債を売り、株を買うための資金にするために、香港に行く必要があったのだ。当時は、旅行というよりは中国の事実上の預金封鎖に対抗するための”金融取引”だったのである。しかし、香港滞在時代の中国の愛人と再会したことが、アジア一国一愛人構想の発端となった。勝手知ったる香港という土地柄、自らの勢力圏を積極的に広げることよりも、その名の通り ”一国一愛人”の要素を強く持っていた。ただ逆に、勢力圏の拡大を意識していない分、旅行代金を消費してしまうことに対する正当化は、人民元オンショア預金を利食うという直接的な金融取引が主たる目的であった。
2008.10.29 資金引上

2章 ~消極的アジア一国一愛人構想:
リーマンショックと株価の低迷による不安から、失業対策、低コスト生活を探し始めた時期

タイ落下傘部隊の記念すべき第一号は、ハーレムナイトよりも歴史が古い。もっとも当時は落下傘部隊ではなくたった1つの落下傘を訪ねていく規模のものであった。
2009.07.02 Chiang Rai タイ潜伏計画
に詳しく書かれているが、これは金融取引でも勢力圏の拡大でもなく、失業対策という消極的理由であったようであるw リーマンショック後、先の見えない株式市場に不安を覚えていたのであろう。シンガポールで失業し、労働ビザを喪失したら、どこの国で潜伏するのがいいのか? なるべく生活コストが低い環境が望ましい、とかいう”守り”の姿勢であったことがうかがえる。
2009.07.22 タイ旅行 農業と宗教vs金融と資本主義
この後、何度かショートの旅行に出かけているようであるが、完全なる遊びと観光にすぎず、アジア一国一愛人構想の片鱗すら見せていない。また運用の仕事の都合上、あまり長期間、旅行するわけにもいかなかったことにも起因する。記念すべき第一号・タイ落下傘部隊の擁立から2年半が過ぎようとしていた・・・。だが、この2年半はアジア一国一愛人構想を休止していたわけではない。PR(シンガポールの永住権)の取得により日本オフショアの居住地を確保したこと、そしてなによりも、株の譲渡益が急拡大したことが、最大の変化であったw

3章 ~積極的アジア一国一愛人構想:
シンガポール=ASEAN加盟国を意識し、香港時代の東アジア偏重を打破すべく、東南アジア圏への勢力拡大に走る

2012.02.21 タイ旅行 5/11~タニヤのキャバ
この時点では、タイ旅行のついでに、一人で残って、タニヤで夜遊びしただけのことであった。しかし、このちょっとした夜遊びが、その数ヵ月後、タニヤのキャバ嬢Yuちゃんがシンガポールに出稼ぎに来たことで、アジア一国一愛人構想として返り咲くことになる。
2012.03.22 KTVデビューしました 1/5 ~フィリピンパブの制度
・タイでは偉かったYuちゃんを、シンガポールでは俺が助ける。気弱になる外国における”義理”がタイで2倍になって返ってくることを確信。
・ハーレムナイトでエキゾブランド、「エキゾさんとは仲良くしておいたほうが良い」という広告効果を狙い始める。
・ビザが切れたら、嬢たちは頻繁に帰ってしまう。そしてタイ全土に拡散していくことからタイ落下傘部隊を養成。
こうして、『旅行、ハーレムナイト、アジア一国一愛人構想』が有機的に結びつき、現在の体制を確立させていったのである。暴落通貨を買い入れることによる測度変換や、失業対策で生活費を抑えるとか、居住権の確保などではなく、来るべきアジアの動乱を収益化するためのアジア一国一愛人構想へと変化を遂げていった。日本のネット世論でありがちな”韓国たたき”をする時間があるなら、アジアの2巨頭である中国とインドネシアを叩くべきだ、との持論を実行させるべく、逃げと守りから、2012年は”積極的アジア一国一愛人構想”として矢継ぎ早に各国に繰り出している。

4章 ~新・積極的アジア一国一愛人構想:
アジアの動乱の収益化=国民としての権利の買収、高度経済成長の体感 へ

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2012.05.30 第二次タイ攻略 1/15 スクンビットのホテル
2012.08.06 北京・ハルビンに行ってきました 1/13 ~北京の優良ホテル
2012.08.23 ジャカルタに行ってきました 1/9~空港から中心部へ
2012.10.16 第二次ジャカルタ攻略 1/11 ~なぜジャカルタ?
2012.12.17 タイ全土落下傘計画 1/17 ~計画の概要・概念
タイ・バンコクに比べれば明らかに観光地として劣るインドネシア・ジャカルタに出かけているのは、アジアの動乱の収益化に加えて、もう一つの意義を見出しているからである。それは高度経済成長の体感である。日本では1960年代、所得倍増計画、国民車構想、土地神話など右肩上がりの経済で、日本の民が電化製品の三種の神器をこぞって求めた時代。株式市場に携わる人間として、株価の上昇に必要な経済の勃興と成長を、実生活から体験し、また高度経済成長下(時に私はこれをインドネシア慣性系と呼んでいる)で生きる民の声を聞くことができる。「あの頃は良かった・・・」という現代を知る老人の思い出話ではない。バブルの崩壊や経済の停滞など考えたこともない民の声だ。現役の労働者諸君の世代で、日本の高度経済成長を経験している者はほとんどいないほどの昔の事であるが、それは現在、50年遅れてインドネシアやフィリピンで起こっている。東南アジアの優等生、タイ・マレーシアは、先進国過ぎて、この究極の経済成長慣性系を感じることが難しい。東南アジアの劣等生、インドネシアとフィリピンでこそ、見て感じることができる現象なのである。「年金もらえるのかな?」と将来に対する不安ばかりある日本国民と戯れるのもかまわないが、
「明日は必ず今日より良くなる」という夢を信じて疑わない民の姿を見ることに価値を感じないか?
【投資方針】
2014.01.06 2013年の投資一族 勝つこと、勝ち続けること、それが一番大事
2013.09.19 初フィリピン・マニラ編 2/14 ~炸裂したアジア一国一愛人構想の説明
2013.09.04 ジャカルタ・リラクゼーション・アワー 10/16 ~人生初のプロポーズ
2012.03.13 株メール Q12.PERとPBRのリスト
2011.05.27: 株メール Q10.PBRの計算 ~LYNAS編
2010.09.30: 株メール Q9.俺が言ってるのはStrategyではなくTacticsだ
2010.09.08: 株メール Q6.株価を買わず会社を買う
2010.08.04: 無駄遣いを止める方法
2009.12.28: よくある素人の資産運用=老後の心配 
2009.05.14: 2009年度予算案 
2009.04.15: 貯蓄率にみる人々の自信度合い 
2008.10.17: 最近数ヶ月の投資総括 
2008.07.04: 投資人生の必要条件
2008.05.14: 自分自身の財務諸表