私はかれこれ20年近く煙草を吸っている。その時に使うライターについてだが、物忘れが激しく、よく失くす
ので、高級ライターは使いたくない。煙草ともにあるのは100円ライターだ。
であるから当然、シンガポールでもそのようなライターを買うことになる。こちらでも、コンビニで、1-2SGDラ
イター(65-130円相当)が買える。何度もこのライターを買っているのだが気がつくことがある。
シンガポールに来て2年程度でありながら、”何度も”買っているのだ。失くしているのではない。壊れてい
るから”何度も”買っているのだ。しかもこの前なんか、落としたら爆発しやがった。日本で買ったライターが
使い切る前に壊れることはほとんど無いというのは喫煙者諸君は知っていることだろう

転がる香港に苔は生えない2」にも書いてあったことを思い出す。
香港と日本ではどちらが物価が高いか
同じ程度の金額を使いながら、香港で感じるこの挫折感は何なのだろう。法外な贅沢をしたいわけ
ではない。今日一日を少しだけ豊かな気分にさせてくれる
ちょっとおいしいパンやちょっとおいしい
チーズ、ちょっとおいしいバター・・・つつましい生活環境の中でかろうじて自分の尊厳をささえてくれ
るそんな日常の脇役を手に入れようと思えば、それは自分の日常圏内にはなく、いちいち香港島
外資系百貨店や高級食材店へ出向かなければならない。問題なのは、そんなささやかな希望
を持った人間に卑屈間を味わわせるほど、それらを提供する店が高級だということだった。
一般的に日本の物価は1SGD=65円程度であるならば、シンガポールよりも高いと言っていいだろう。
100円ライターと1SGDライター、値段的にはさほど変わらない。ところが質が、あまりにも違うのだ。
ライターに関して言えば、日本で手に入る当たり前の質を追求しようとすると、おそらく日本よりも高くなる。
このような例は、おそらくライターだけにとどまらないだろう。
貧富の差が少ない日本では、”標準+”の買い物と生活を手に入れることが容易であることを示している。
日本以外の一般社会では、金を出さない者は、百回火をつけると壊れる確率が異常に高いライターを使え
ということを強要される。低い所得格差に加え、あれほど高いクオリティのライターがわずか100円で手に
入る日本は、生活感においても平等感の高い社会が形成されているように思える。
100円ライターもしかりだが、私が10年以上着ている服もしかりだ。10年間も洗濯し続けて破れないクオリ
ティとはなんとも凄まじい。(私の本人の体型維持の努力も認めて欲しいところではあるが・・・。)
ただ、面白いことがある。いわゆるJapan Qualityがそうさせるのかというと答えは複雑だ。
なぜならば、100円ライターも私が着続けている安物の服もMade In Chinaである
ことが多いのだ。
私は一つの仮説を打ち立てた。
グローバリゼーションの中、Made Inはもはや意味はなさず、Bought Inこそが意味を持つという仮説である。
しかし、この理由については、現在のところ、わかっていない。あくまで推測に過ぎないのだが
同じ中国という生産地であっても、日本輸出向けだけは品質Checkが厳しいのだろうか?
消費者・利用者としては結果として、質の高いものを安く手に入れられればことが足りるので理由は必要
ない。製造業大国日本とはいえ、Made In Japanはかなり少なくなっている。現代は、結果として
“Bought In Japan”がより強い意味を持っていると言っていいだろう。
“Bought In Japan” これ、俺が考えた造語だが、流行らせてくれて構わないぞ。
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