シエラレオネ政府援軍の正体、南アフリカ エグゼクティブ・アウトカムズ、1995年、反乱軍を討伐。
クロアチア人がバルカン半島の均衡をいともたやすく変えたことができた理由は? ミリタリー・プロフェッショナル・リソーシズ・インコーポレーテッド(MPRI)の果たした役割の詳細。LLLの傘下。
コソボ問題の人道支援、軍を使いたくない米国は、テキサス州土木建設会社、ブラウン&ルート・サービシズ。ディック・チェイニーが会長だったことも。ハリバートン傘下。

1993年アンゴラ、南アフリカ エグゼクティブ・アウトカムズ、再訓練と空襲でUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)司令部を奇襲爆撃、IDAS(International Defence and Security)社、アンゴラ政府の持つダイヤモンド鉱山を防衛。空中偵察と情報収集(エアスキャン社)、地雷除去(ロンコ社とDSL社)

コンゴ モブツ政権(ジオリンク社) vs カビラ新政府(ベクテル

英国国防省 2001年「保証制予備役」制度、海軍の航空機支援部隊、陸軍の戦車輸送部隊、空軍の対艦給油飛行隊などで、1998年コソボ紛争、2001年アフガンなどで活躍。

米国 1994~2002年までに、米国国防総省は、米国に本拠地を持つ企業と3000件を超える契約を結んだ。契約金額は3000億ドルを超えると推定されている。糧食業務と言ったマイナーなものだけでなく、警備、軍事的助言、訓練、兵站支援、隊内治安維持、専門技術、情報収集など。

ロシアの原子力潜水艦クルスクが爆発した時、最初の目撃者は民間の請負査察船、エアスキャン社。

貿易は、汝自らの武器による保護とその恩恵の下に運営かつ維持されなければならない・・・貿易は戦争失くして維持することはできないし、戦争は貿易なしに行うことはできない。 ヤン・コーエン(オランダ東インド会社総督)

フランス王は歩兵部隊の大部分をスイス兵に頼っていた。スイス軍団はナポレオン戦争(1803~1815、イタリア遠征を含めれば1796年から。1803、イギリスのフランスへの宣戦布告))の直後までフランス軍に勤めた。今日でさえ、スイス人傭兵の伝統が残っている。ローマ法王の近衛軍はスイス人で1502年に教皇ユリウス二世の軍隊を補充するために雇われた軍団が進化したものである。

変化の最終的な曲がり角はナポレオン戦争、18世紀の終わりに始まった。1700年代を通して傭兵軍は存在したものの、この時期に王たちの戦争はついに国民の戦争に進化した。初期のころは個々の戦闘技術の方が人数よりも重要だったけれども、戦争の水準が上がり始め、戦場で規模の有利さという新しい考えを利用しだした。根本的な原因は火器の技術的開発が続き、必要な訓練の期間が大幅に減ったことである。クロスボウや初期の短銃は何年もの習得準備が必要だったが、マスケット銃だとかなり短い訓練期間で誰でも有能な銃士になれた。

なぜ安全保障が民営化されたか?

冷戦の終結、軍隊の削減と国家の消滅によって、公開市場に元兵士が溢れた。国家の軍隊は1989年に比べて700万人もの兵士を削減した。旧共産圏は特に。米国人は冷戦時のピークに比べ1/3ほど減っていて、英国陸軍は過去二世紀で数では最も少なくなっている。南アのアパルトヘイト政権の終焉と近隣国家が同時に改革を行った結果、軍事構造に同様の変化が起きた。削減が大きいのは後方支援の領域である。たとえば米国陸軍装備研究所だけで60%削減、しかし、軍事的展開の頻度は予想よりはるかに高くなり、米国が冷戦後の新しい介入を支援する能力にほころびが生じている。この綻びこそ、数十億ドルの兵站外注部門の始まりとなった。

軍縮が意味したのは訓練された人員が世界市場にあふれるだけでなく、大量の在庫兵器が公開市場に出回った。

サイドライン社は、シオラレオネのカバー大統領のクーデター勢力撲滅努力への助言、カマジョール民兵軍団の再建、300トン以上の兵器の空輸について、1000万ドル以上の契約をしたと報道された。この度の融資家はラケシュ・サクセナで、元タイの銀行家である。当時、サクセナはBCCI銀行詐欺事件で演じた役割のため自宅軟禁され(報道によれば、タイ国立銀行から1億ドル搾取したかどとか)、カナダから国外追放されるのを待っていた。サクセナはアフリカに事業上の権益をいくつか有していて、コノ地方のダイアモンド採掘権と引き換えにカバーを支援する交渉をしたいと望んでいた。

MPRI社は、少なくとも2002年までは、戦争犯罪法廷で名が出たことがない民営軍事請負業で唯一の企業。