主権国家は、主権国家として認められていなければ主権国家として存在しえない。主権国家は国家主権を認める国際社会の中においてのみ存在する。
主権国家から成る国際社会と、国家以外の複数の主体が形成する広域社会は異なっている。

ラサ・オッペンハイム 1905年 国際法概説書
主権国家は排他的な国際的人格であり、国際法の主体である。国家の存立には、人民、国土、政府、そして主権という4つの要件が必要であった。もし国家が十分主権を書いているならば、それは不十分主権国家であり、不完全な国際的人格だと理解される。

アンドリュージャクソン 1832年、国民主義者の立場から、各州は実質的にもはや主権者ではない。州市民の忠誠は合衆国政府に移行した。
1861年南部諸国 アメリカ連合国大統領 ジェファーソン・デイヴィス 人民が主権を行使できる唯一の政治共同体は州であり、主権は分割されない。

デイヴィット・ヒル
フランス革命で単に君主から人民に移行しただけの絶対主権は、人権の否定につながった。それはアメリカ革命の生家の対極位置するものであった。たとえ民主主義であっても、帝国主義的で反立憲主義的なものになりうる。ナポレオンが体現した絶対的民主主義は人間に信頼を置くものだったが。合衆国で開花したワシントンの民主主義は原則に信頼を置くものであった。

アメリカ人は人類歴史上初めて、法の支配への同意が主権の放棄ではないことを示した人民である。

ソ連の考え方によれば、世界には「プロレタリアート民主国家」と「資本主義・帝国主義」国家が存在していた。「主権の制限」は「共通利益」や「共通善」などと同様に「最強の帝国主義諸大国の欲深い目的」の一環でしかない。対してソ連の主権は、社会主義的理想のもとに国益と国際協力が融合している新しい主権概念である。アメリカの「絶対的・無制約主権の概念」は社会主義諸国の一体性の対極にあるものだ。

1970年代から80年代に焦点を当て、主権概念をめぐる新しい動向に注目する。主権制限論の消滅と主権概念の形式化という現象は受け継がれ、国債立憲主義と呼ぶものが現れてくる。国家擬人説に基づいて国際社会と国内社会を単純に比較する習慣的思考法は、減退するのである。かわって国際社会でも国内社会でも共有される価値規範を強調する見方が隆盛する。1972年にイギリスは3度目の申請がようやく受理されてヨーロッパ共同体(EC)へ加入をはたした。その時主権の問題は議論されたが、主流派の論者たちは実利的目的のために主権を行使すること、あるいは「経済的主権の制限」を受け入れることを提唱していた。

「国家主権」という思想: 国際立憲主義への軌跡

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