日本は明治以来、資本主義と日本文化の間で、巧みにバランスを取り、修正する仕組みを作ってきた。資本主義には優勝劣敗の冷徹な論理が働く。封建社会を抜け出したばかりの日本にこの仕組みを埋め込んで競争力を高めていく一方で、いかに社会的な摩擦を減らしていくか。渋沢資本主義 「義理合一」と「論語とソロバン」。戦後の混乱期を経て、日本に新しい渋沢資本主義が誕生する。その主役は、興銀、大蔵省、新日鐵だった。

三光汽船 ジャパンライン買占め事件
三光汽船 河本敏夫(後の通産大臣)
ジャパンライン 土屋研一

外航海運の船腹量の90%が6つの企業グループ(日本郵船、大阪商船三井船舶、ジャパンライン、川崎汽船、山下新日本汽船、昭和海運)に再編、集約体制に参加した企業だけ計画造船の割り当てや日本開発銀行融資の利子補給を認めるという、究極的なカルテル型産業政策だった。シナリオを描いたのは興銀である。

この海運集約体制に真向から刃向かったのが三光汽船、
日本船籍の船には日本人船員を載せることが全日本海員組合との交渉で義務付けられていた。三光汽船はパナマ・リベリア籍の便宜置籍船を作り外国人中心の運航体制。
時価発行増資と第三者割当、浮動株を抑えて増資を繰り返し、73年3月には新日鉄を超えた。株式市場や株価に一切関心を示さずに、興銀を中心とした長期借り入れで経営をまわしてきた新日鐵が三光汽船に逆転された。当時の三光汽船の浮動株比率3.7%。

ジャパンライン買占めの仲裁

興銀->中山素平->児玉誉士夫
そごう社長水島廣雄 興銀出身、学者でもある一方で、児玉という闇の世界の人脈にも通じていた。

滝井繁男 弁護士->最高裁判事、尾上縫事件で興銀の責任を追及、グレーゾーン金利廃止。