マルクス主義の宗教的性格
マルクスの予言は、資本主義社会の矛盾を克服する救済の道筋として、人々の感性に強く訴えた。ほとんど宗教的な影響力である。最後の階級闘争と資本家階級と戦うプロレタリアート階級の存在、資本家階級の支配する国家はやがて死滅する、プロレタリアート階級が国境を越えて団結し人類の解放者となる、最後には共産主義社会が到来する・・・というマルクスの予言は、キリスト教の聖典である『ヨハネ黙示録』が預言する千年王国の到来と内容が共通している。『ヨハネ黙示録』は、選ばれた人々が救世主の絶対性を信じて組織化され、悪の跳梁する社会において戦いを繰り広げて悪なる者たちに勝利し、千年の間、救世主とともに地上の王国を支配した後、復活した悪なる者たちとの最後の戦いに勝利し、さらに最後の審判が下されたあと理想の国が実現される、と預言する。これをマルクス主義に置き換えれば、「共産党宣言」が予言の書であり、最後の階級闘争を資本家階級と戦うプロレタリアートが選ばれた民であり、資本主義社会は「搾取」という原罪の上に成り立つ悪なる社会であり、資本主義の危機とその消滅が最後の審判であり、共産主義社会が理想の国の実現なのである。ついでにいえば、プロレタリア独裁は千年王国の期間に相当するであろう。マルクス主義は、たしかに「科学的な」社会主義であった。しかし『ヨハネ黙示録』になぞらえるほどの、強烈な宗教的色彩を帯びた「救済思想」でもあった。


ロシア型マルクス主義の出現
マルクスは1883年に死去したが、その予言に反して、万国の労働者は団結せず国家も死滅しなかった。ヨーロッパの各国では資本家と労働者の階級対立が、政府が制定した労働時間制限、健康保険制度などの労働立法により緩和されていた。選挙制度の拡大と議会の社会的機能の増大を背景に、国家の枠組みを承認して社会改良を目指す「修正主義」が、マルクス主義者の間に台頭していた。暴力革命による社会主義革命の実現は放棄されたのである。
ボルシェヴィキと、その思想であるボルシェヴィズムの特色は以下の点にある。
 第一には、プロレタリアートによる社会主義革命の実現が、人類を救済する道筋だという強固な信念を持つ。日本では、ボルシェヴィズムを奉じる共産党員たちがその信念を放棄する行為を「転向」と呼んだが、「転向」は信仰を放棄する「改宗」の同義語であり(英語ではともにConversion)、ボルシェヴィズムが、マルクス主義の「宗教的」側面を反映する思想であることをよく示している。
 第二には、社会主義革命を実現するために、厳格な規律の革命組織(やがて共産党を称することになる)を有する。そしてこの革命組織が前衛となり、人々に階級意識を植え付けて人為的に階級闘争を巻き起こし、同時に政治権力を奪取するために巧みな政治工作を推進させる。
 第三に、ロシア革命後の1918年には、共産党の手足となる軍隊(赤軍)が創設される。赤軍の特色は、コミッサール(政治委員)と呼ばれる共産党員がすべての部隊に派遣され、軍人である指揮官と同等の権限を有して赤軍を統御したことである。
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1914年の第一次世界大戦の勃発は、国外に亡命中であったレーニンたちに、政権獲得への決定的機会を与えた。第一次世界大戦中、ロシアは協商国の一員としてフランスと連合してドイツと戦ったが、度重なる敗退と戦費の重圧で国力は疲弊し、1917年の3月には革命が勃発した。そして皇帝が退位して帝政ロシアは姿を消し、リヴォフ公を首相とする新しい臨時政府が組織された。ロシアでは1905年の日露戦争中に革命動乱が発生し、翌06年にはドゥーマと呼ばれる国会が設置され、制限選挙の下での複数の政党が存在していた。新しく組織された臨時政府の内閣は、社会革命党など諸政党の代表により構成され、メンシェヴィキの代表も入閣する。そしてドイツとの戦争を継続した。しかし一方では、1905年の革命的動乱で出現した労働者のソビエト(評議会)が、新たに労働者と兵士のソビエトとして全国各地に組織され、臨時政府との間での二重権力状態が出現していた。
この状況下に国外で戦争停止を主張していたレーニンに、ドイツ政府が接近する。ロシアがドイツとの戦争を停止すれば、ドイツ政府が接近する。ロシアがドイツとの戦争を停止すれば、ドイツはフランスとロシアに対する両面作戦から解放され、戦争を有利に戦えるからである。その結果、ドイツ政府は有名な「封印列車」を仕立て、レーニンらを亡命先のスイスからロシアの首都ベテルスブルグに送り込んだ。レーニンは1917年4月3日に帰国すると「戦争の終結」と「すべての権力をソビエトに」を提唱し、精力的に活動し始める。そして臨時政府内の政党各派がリーダーシップを発揮できずに事態の混迷が深まる中で、ボルシェヴィキは11月に労働者の武力を背景に首都のベテルスブルグで臨時政府を打倒し、社会主義政権を樹立した。いわゆるロシア10月革命である。レーニンはこの後、1918年にドイツとの間に極めて不利なブレスト=リトフスク条約を締結して戦争を終結させ、同時に国内の他の政治勢力を強引な手口で抑え込み、権力を確立する。ちなみにドイツがレーニンを送り込んだという事実、さらにレーニンたちがそのあとドイツと密接に連絡を取り合った事実は、「神聖な」ロシア社会主義革命の汚点という認識からであろうか、研究所では伏せられていることが多い。
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