岩手県南九戸郡野田村駐在巡査 遊佐左仲がいる。午後8時20分頃、野田村駐在所から1キロほどの地点まで来た時、かれは、ドーン、ドーンという音を聞いて足をとめ、海上を凝視した。その時、眼に火の色が映った。それは提灯ほどの大きさで、数十個の怪火が沖合から陸地にかけてゆらゆら揺れるように漂っていた。遊佐巡査は、俗に伝えられる狐火かと背筋の凍るのを意識してたたずんでいたという。音響と怪火は、巨大な波の壁から生じたものであった。波はその頂でほのじろい水しぶきを吹き散らし、海上一帯を濃霧のような水の飛沫でおおった。ジャバ島附近のクラカトウ島火山爆発による大津波につぐ、世界史上第二位、日本最大の津波が三陸海岸を襲ったのだ。
宮城県下の被害は死者3,452名、流失家屋3,121戸、青森県下では死者343名に達したが、この両県に比して岩手県下の被害はさらに甚だしく、死者は実に22,565名、負傷者6,779名、流失家屋6,156戸にも及んだ。村落は荒地と化していた。津波の運んできた大小無数の岩石が累々として横たわり、丘陵のふもとにある家々がわずかに半壊状態で残されているだけで、海岸線に軒を並べていた家々は跡形もなく消えていた。死体が至る所に転がっていた。引きちぎられた死体、泥土の中にさかさまに上半身を没し両足を突き出している死体、破壊された家屋の材木や岩石に押しつぶされた死体、そして、波打ち際には、腹をさらけ出した大魚の群のように裸身となった死体が一列になって横たわっていた。
梅雨期の高い気温と湿度が、急速に死体を腐敗させていった。家畜の死骸の発散する腐臭も加わって、三陸海岸の町にも村にも死臭が満ち、死体には蛆が大量発生して潮風に吹かれながらおびただしく空間を飛び交っていた。やがて、山間部の村落から有志によって組織された救援隊がやってきて、乏しいながらも食糧が生き残った人々に支給された。が、死骸を取り片づけるには労力不足で、死体はそのまま処分もされずに放置されていた。
食料の窮乏は日増しに深刻なものとなって食物の奪い合いなども起こったが、これについては岩手県庁が宮古町に残っていた貯蔵米をひとまず海岸の各被災地に放出、6月22日には函館で米を大量に買い付け、アメリカ汽船に積み込んで現地へと送った。が、それらの米の量では、被災者の飢えを救うのにほとんど効果はなく、食糧対策は重要な課題となった。
ようやく災害地にも、本格的に救援の手が差し伸べられ、腐乱した死体の処理も始まった。が、葬儀などを行うような状態ではなく、死体は流木の上にひとまとめにしてのせられ重油をまいて焼かれた。肉親を捜してあてどもなく歩くものが多かった。精神異常を起して意味のなく笑う老女や、何を問いかけられても黙り続ける男もいた。
> 災害の様子は、私が石巻で聞いた話に酷似している。100年経っても自然の前では、人間はなすすべもないということだろう。
津波に対する恐怖以外にも、死体の散乱する海岸一帯は不気味な地域として人々に恐れられた。死体の多くは、芥や土砂の中に埋もれていた。生き残った住民や他の地方から応援に乗り込んできた作業員たちの手で収容されていたが、掘り起こしても死体の発見されない場合が多い。そのうちに経験も積み重ねられて、死体の埋もれている個所を的確に探し出せるようになった。死体からは脂肪分がにじみ出ているので、それに着目した作業員たちは地上に一面に水を流す。そして、ぎらぎらと油の沸く箇所があるとその部分を掘り起こし、埋没した死体を発見できるようになったのだ。海岸には連日にように死体が漂着した。人肉を好むのか、カゼという魚が死体の皮膚一面に吸い付き、死体を動かすとそれらの魚が一斉にはねた。また野犬と化した犬が、飢えにかられて夜昼となく死体を食い荒らしてまわった。住民が犬をおいはらおうとすると、逆に歯をむき出してとびかかってくる。犬は集団化し危険も増す一方なので、野犬退治が各所で行われた。
私は三陸海岸が好きで何度か歩いている。北は岩手県久慈から南は宮城県女川あたりまで、海岸づたいにバスに乗ったりトラックに乗せてもらったり、また村落づたいに歩いたりした。私を魅する原因は、三陸地方の海が人間の生活と密接な関係を持って存在しているように思えるからである。観光業者の入り込んだ海岸の海は、観光客の目を楽しませることはあっても、既にその土地の人々とは無縁のものとなっている。海は、単なる見世物となっていて、土地の人々の生活の匂いが感じられない。また都会や工業地帯の海はただそこに塩分を含んだ水がたたえられているというだけにすぎない。海の輝きもなく、それらは汚水の流れ込む貯水場でしかない。それらにくらべると、三陸沿岸の海は土地の人々のためにある。海は生活の場であり、人々は海と真剣に向かい合っている。
【ビーチ・自然系観光】
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