2600億円の簿外債務を、実際には誰が管理しているのか、という根本的な疑問である。「簿外債務」という塊がポンと存在するわけではなく、損失を抱えた有価証券類や売買取引書類がどこかに隠されているはずだ。そして、その有価証券類の日々の値動きをチェックし、管理している人間がどこかにいるはずだ。それは事業法人本部か、経理部か、それとも経営企画室か。その人物は数字に明るく、几帳面で、上司の信頼が厚い人間だろう。もし、簿外債務の管理が6年前の1991年ごろからひとりの手で続いているとすれば、その人物は部長か、それに近い地位に就いているのではないか。そして、その人物は絶対的に口が固い人間のはずだ。そのうちに竹内の脳裏に、社内の誰もがその私生活を知らない、ある幹部の顔が浮かんできた。
もしかしたら、あの「異才」なら何かを知っているかもしれない。それが、企画室関連事業課長だった大槻益生であった。今は関連企業部担当理事である。山一の国内関連会社の管理を統括し、関係会社の方針を立案したり、会計処理に当たったりしていた。なんとなく思い浮かんできただけで、それは直感としか言いようが無かった。経営企画室は、簿外債務の秘密を握っていた。とすれば、その手足のひとりとして大槻が選ばれていても不思議は無いと竹内は考えた。
「ギョウカンで簿外債務のことを調べているんです。大槻さんほどの人ならわかっているはずです。教えてください。わかっていることだけでいいんです」 すると大槻は眼鏡の奥から竹内をじっと見つめた。
「何が知りたいの?」
「簿外債務がどこで管理されているのか。いや、簿外債務について大槻さんがご存知のことを全部お話願えませんか。お願いします」
「うーん」 ためらいを見せたあと、隣の応接室に大槻は竹内を連れて行った。同室の事務の女性に聞かせたくなかったのだろう。ソファで向かい合うと淡々とした調子で切り出した。
「僕が毎日、管理して書き入れているんだよ。株価も」
その瞬間、竹内の体に電流のようなものが走った。大槻のあっさりとした口調に思わず顔を見つめた。彼は目下のものにも優しい物言いを通すのである。
「副社長だった延命隆さんか、木下公明さんから相談を受けたと思うよ、監査役の木下さんだよ。そのころは木下さんも企画室長付部長だったね」 延命は事業法人部長を所轄した実力者で、既に亡くなっていた。一方の木下は東大法学部卒の法務担当者である。木下は「特命社員」として社内では有名な存在で、「実力者の延命から直接指示を受けている」と言われていた。
「平成3(1991)年の11月だったかな。延命副社長から『うちの会社に飛ばしの受け皿となるような会社はないか』と相談された。評価損を抱えた厄介な有価証券がって、相手企業の勘定から山一の勘定に移したいというんだ。受け皿会社といっても緊急のことで新しく会社を作る暇が無かったから、『日本ファクターを使いましょう』と提案したよ。山一ファイナンスが作ったノンバンク会社だよ。経理部と企画室で平成3年3月に設立していたんだ。山一の不良債権をそこに移して缶詰にしていた。株主は山一エンタープライズになっているけどね。山一本社はもちろん、山一ファイナンスとも関係を離しておきたかったんだよ。距離を置いて監査を受けないように」
「受け皿会社は日本ファクター以外にもあるんですか?」
「うん、相談を受けた翌年の2月に『エヌ・エフ・キャピタル』と『エヌ・エフ企業』を設立した。同じ年の11月にも『アイ・オー・シー』と『エム・アイ・エス商会』を設立しているよ」
これらはいずれもペーパーカンパニーである。嘉本が藤橋常務から報告を押し付けられ、憤慨しながらもSESCに報告した文章に載っていた、あの会社群だった。日本ファクターは3月決算だが、エヌ・エフ・キャピタルとエヌ・エフ企業は11月決算、アイ・オー・シーとエム・アイ・エス商会は10月決算だった。-一体、こんな会社を設立したのは誰だろう。竹内が顔を上げると言葉を待たず大槻は
「僕が作った」
とはっきり言った。
「評価損を一箇所に集中すると目立つだろう。だから分散した。一つの会社の負債総額が200億円未満であれば、会計監査の対象にならないことは知っているよね。小分けにすれば監査でも問題にならない。決算期をずらす方法も僕が考えた。飛ばしを念頭においていたし、税務上も目立たないようにとね」
「ああ・・・」。竹内の声が漏れた。言われてみれば、なるほど不良債権を隠蔽するためにうまく作ってある。決算期が近づけば、不良債権を別のペーパーカンパニーに移し、そこの決算期が近づくとまた元に戻したり、別のペーパーカンパニーに飛ばしたりするのである。つまり決算期の異なるペーパーカンパニー間で、飛ばしのキャッチボールを繰り返し、損失の表面化を防ぐ捜査をしていたのだった。
「税務上」という言葉にも深い意味が含まれている。税務当局の調査能力は警察や検察当局よりはるかに優れており、金融機関の天敵であった。91年6月に証券業界の損失補てん問題が浮上したそもそものきっかけは、東京国税局調査部の2年にわたる税務調査である。これを読売新聞が報道して大スキャンダルに発展し、通達で禁じられていた損失補てんは証券取引上でも明確に禁止されることになった。大事なのはペーパーカンパニーをひそかに作って簿外債務を抱えさせることではない。その秘密の会社を証券会社本体やその周辺の関係会社から遠ざけておいて、国税局に関心を持たせないことが必要であった。
「これにはどこが関与しているんですか」
「企画室、経理部、法人営業本部、それから商品連絡部だね」
やはり会社ぐるみだったのだ。
「関与したのはどなたですか?」
「延命さん、三木さん、法人営業部長の・・・」
名前の上がった幹部は計9人。木下を除き、そのすべてが役員だった。三木は当時、副社長でその頃から関与者だったのだ。
「飛ばしの株式はどこに保管されているんですか」
「地下の金庫だよ。証券管理部の金庫にキャビネットを借りてね、そこに保管しているんだ。ずっとそこに裸で置いてある」
地下金庫とは山一證券兜町ビルの巨大金庫のことである。地下1階そのものが金庫になっており、顧客から預かった株や債権の多くが厳重に保管されていた。厚さ25cmの鉄の扉の向こうに、テニスコート2つ分の大部屋があって、19列の可動式キャビネットが備えられていた。その1つに大量の株券が包装もされないまま隠されていたのだった。
「鍵はどこにあるんですか?」 すると大槻は目の前の机の中を指差した。
「ここだよ。僕が管理している。キャビネットをあまり開けたことは無いけどね」
大槻はさらに自分の机の中からB4の封筒を取り出して見せた。その中には数十枚の用紙があって、株の銘柄や株数、日々の株価などが手書きでびっしり記されていた。
「こうやって僕が値動きを書き込んでいるんだ」
彼は顧客企業から山一に飛ばした膨大な株式の1つ1つの値動きを、自分で作った管理簿に日々書き入れていたのである。この6年間、書き込んでは自分で照合し、机の中に仕舞い、鍵をかける。それは上司の誰もチェックしない孤独な作業であった。
> 大槻さん・・・シブい・・・、なんか通じるものを感じるなぁ・・・。俺は自分の金を上司も誰もチェックしない孤独な作業で管理しているだけだから「飛ばし」てないんだが・・・
しんがり 山一證券 最後の12人 清武英利 講談社 2013-11-13 |
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