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1980年代以降、科学の世界では大きなパラダイム転換を迎えます。不完全性定理は、クルト・ゲーデルによって1931年に発表された定理ですが、簡単に説明すると不完全性定理とは「一つの系が完全であることを、その系において証明することはできない」ということです。これが数学全般にわたって証明されたのは1980年代に入ってからです。また、同じ時期に物理学の世界でも「すべての物理現象に不確実性がある」という量子論が証明されました。神を「それだけで完全なもの」もしくは「すべてを決定するもの」と定義するなら、神は1980年代に科学によって完全に否定されたのです。世界の知のトップレベルでは「この世に完全性はない」ことは、当たり前です。今、唯一絶対の神を信じる科学者がいるとすれば、数学や物理学を知らないということになります。ところで、この現代の科学者が何十年もかけて証明した結論を、2500年前に語っている人がいました。それが釈迦です。釈迦は数学も物理学も用いず、瞑想という思考実験でそれを解明してみせました。宗教で量子論と同じ結論に至ったのは、仏教しかありません。
インドに墓はない
実際に行ってみるとわかりますが、インドには日本にあるような墓や霊園はありません。キリスト教の墓はありますが、ヒンドゥー教や仏教の墓は存在しないのです。ちなみに、世界遺産として知られるタージ・マハルは、王妃の墓として建てられましたが、イスラム文化の時代に作られたものです。現在でもインドでは人が亡くなると、その遺体をそのままガンジス川に流す風習が残っています。インドでも儀式としての葬儀は行われています。釈迦はそれも弟子に禁じました。なぜならば、宗教は生きている人間のためにあるべきであり、死んだらただの物質である、というのが仏教の考え方だからです。ただし、釈迦は一般の人が死者を弔うことまでを禁じたわけではありません。


インドで仏教が滅んだは嘘
日本人が本当の仏教について知らされていなかったことを端的に示しているのが、日本の仏教で言う「イスラム軍の侵攻によりインドの仏教は滅亡した」という表現です。インドでは仏教が滅び、中国で仏教は廃れ、ちゃんとした仏教国は日本だけだと思っている人が今でもいます。しかし、この認識は事実とはかなり異なります。ここで、釈迦の死後、仏教がどのような変遷をたどったのかを、簡単に振り返ってみましょう。釈迦の死後、教団は分裂し部派仏教が成立します。その流れのひとつが、スリランカなどに残る上座部仏教です。そして釈迦の死後400~500年ほど経つと(紀元前1世紀ごろ)、大乗仏教が起こります。大乗仏教は、7世紀になると神秘主義を取り入れます。ここが密教と呼ばれるものです。バラモン教に対抗するため、密教では呪術などの超能力を取り入れ大衆の人気を獲得します。バラモン教と仏教は、どちらがよりすごい超能力を出せるかを競い合っていたのです。密教は、一時期、インドで大成功を冷め、その結果として、ヒンドゥー教には釈迦が神の一人に入っているほどです。
そして13世紀の初頭、イスラム軍がインドへ侵攻し、仏教の寺院を破壊しつくします。そのとき、インドの仏教指導者たちは、今のネパールやチベットへ逃げ込みました。そして、後にチベット仏教の主流派のひとつになったのです。つまり、インドという場所から仏教が消えたかもしれませんが、仏教そのものは布教される場所が変わっただけで継続しているのです。これは現代におけるダライ・ラマ14世の亡命の例で考えるとわかりやすいでしょう。1949年に中華人民共和国が成立すると、漢民族はチベットを席巻し仏教が弾圧されます。そこでチベット仏教のダライ・ラマ14世などの指導者はインドへ脱出し、1959年に亡命政府を作ります。13世紀にイスラム軍によりインドからチベットへと逃げた経路を逆にたどったのです。彼らの亡命により、チベット仏教は「滅亡」したのでしょうか。そう表現する人はまずいないでしょう。なぜならインドにおいてチベット仏教は続いているからです。つまり、インドの仏教も滅んだのではなく北へ逃げ、チベットにおいてより密教化し、チベット仏教と呼ばれるようになった、と書くのが正しいでしょう。
人間の脳は、自分にとって重要なもののみを認識するようになっています。RAS(Reticular Activating System)によって、自分にとって価値が低いと思う情報は遮断されています。すべての情報を認識していると、脳の情報処理が到底追いつかないからです。RASによって見えなくなるもの、認識の盲点を「スコトーマ」と言います。コーチングはスコトーマを消すことで新たな認識を得る技術です。