米、英、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドが共同で運用してきた全世界通信傍受・解析ネットワーク「エシェロン」に関して、フランスを中心とする欧州諸国は1990年代の末になって突然に、それが企業や個人の通信まで傍受し、エシェロン加盟国以外の国の経済活動に損害を与え、個人のプライバシーを侵害していると問題にした。しかし、エシェロンの存在は昔から知られている。それを今になって問題にするのは、その情報収集分析活動が与える影響の大きさについて無関心であったことに他ならない。日本にいたっては三沢基地における受信施設の設置を長年にわたって許してきたし、エシェロンの存在を問題にせず今でも許している。その理由の一つには冷戦の時代、元来、対ソ通信傍受システムとして発足したエシェロンを既成事実とし、間接的には自分も情報提供を受けられるか利益になるとして、その存在を許してきた点があるだろう。
エシェロンの誕生は1947年で米国とイギリスは第2次世界大戦における両国間の情報協力態勢を基礎として、全世界の通信傍受・情報交換協定を締結した。当時の通信手段は無線通信が主体であったから、発信源の方向を正確に測定するため勘定にアンテナを配した大規模な通信傍受施設が造られた。三沢基地で「エレファント・ケージ」と称される直径400メートルものアンテナ施設がこれである。無線通信傍受は現在でも重要な分野で、全世界で数十箇所あり、太平洋方面では日本のほかにグアム島、アラスカ、ハワイ、クエジェリン島、オーストラリアの5ヵ所、ニュージーランドのタンジモアナなどに置かれている。フィリピンにも傍受施設があったが1993年に米軍撤退した後どうなったかはわからない。
2001年、タリバン政権はアフガニスタン北部で米国の無人偵察機を撃墜したと発表、ラムズフェルド国防長官も無人偵察機が行方不明になっているという事実を認めたが、これはCIAが運用するIナットという無人偵察機であった。ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争で、セルビア人武装勢力の動きを探るためにアルバニアから飛ばしたのが実戦使用の最初である。リンクスという小型の合成開口レーダーを搭載し、25キロ以上離れた場所からレーダー写真を撮影して10センチの解像度を持つというから、轍の跡や足跡の識別ができる。高度6000メートルを飛行するので、タリバンに撃墜された可能性は少なく、データリンクが途絶えたために不時着したか、氷結したために墜落したかと見られている。
米政府は2001年9月、アフガニスタン作戦を前にスペース・イメージング社のイコノス衛生が撮影したアフガニスタンと周辺地域の写真をすべて買いあげる独占契約(毎月190万ドル)を締結し、同年12月まで毎月更新、2002年1月になってようやく一般販売を許可している。このように民間商業用の画像衛星であっても、その国にとって都合の悪い場所の撮影を停止させられたり、画像の自由販売を禁じられることを「シャッター・コントロール」という。
LACROSSE(レーダー撮影)衛星は、1機10億ドル以上で、2002~3年に最後の衛星が打ち上げられ、それ以後は光学、レーダー両用型のFIA(フューチャー・イメージャリー・アーキテクチャー)と呼ばれる新型偵察衛星が光景となる。米国の写真撮影型レーダー方偵察衛星の開発製造は従来ロッキード・マーチン社に独占されてきたが、このFIAはボーイングが担当している。衛星の寿命は6~8年が見込まれているから2009~10年ごろから交代用の衛星が必要となる。
米空軍の航空輸送戦力
通常の空輸任務には主にC-130、C-141が使われ、これに民間のチャーター機が加わっている。米国にはCRAF(民間予備航空部隊)という制度があって、民間航空会社はこのような長距離戦略航空輸送に使える大型旅客機・貨物機を米政府に登録し、国防長官の権限で動員が決定されると、国防総省からの指定に応じてその輸送機を群の輸送任務に投じるようになっている。その代わりに輸送機の調達時には政府が補助金を出し、軍用貨物輸送に適するように大型貨物扉をつけたり、床の強度を増すなどの改造費も政府が資金援助をするほか、航空会社が希望すれば米軍関係の輸送契約を与えてもらい、一定の仕事を常に確保できるようにもされている。登録機数は毎年変わるが、300機弱が常に登録され、湾岸戦争の時はその一部が動員された。
東アジア・太平洋方面の米軍配備兵力は、1998年の「東アジア・太平洋地域に対する米国の安全保障戦略」に示された10万人規模が当分維持されると考えられるものの、中東や南アジアを含む広い地域に対しては、海軍や空軍の実質的増強が予定されている。この地域において、母港を定めている米空母は横須賀のキティ・ホークだけだが、西太平洋地域を母港とする空母の数を増やすとはされていないし、母港とするには空母を修理する施設と艦載機を降ろせる航空基地、5000人以上の乗員を収容できる宿舎が必要になり、航空基地や宿舎はともかく、10万トン近い空母を入渠修理できる乾ドックは、ハワイ以西、インド洋アフリカ東岸までの間の地域で横須賀にしかない(第6ドック)。ここから空母をこの地域に母港化することはせずに、巡洋艦や駆逐艦、フリーゲート、あるいは戦闘補給艦の母港か数を増やして、ハワイや米本土との往復時間を節約する方法をとるものと思われる。その母港とされる場所は、政治的に米軍を受け入れ、その政権が安定していて修理機能がある、宿舎が確保できるなどの条件を考えると、当面は日本の横須賀、佐世保とグアム島しかないだろう。
ベンガル湾から日本海までの地域において、日本と韓国以外の国では米軍の恒久的な基地はほとんどない。シンガポールはパヤレバー空軍基地に米空軍の戦闘機部隊(F-16戦闘機8~16機程度)を2週間のローテーションで受け入れ、北のセンバワンには第7艦隊の補給を管理する部隊が常駐し、2001年の4月からは新設のチャンギ海軍基地に米空母と原子力潜水艦の寄港を許しているが、戦闘部隊の恒久的な基地を提供しているわけではない。1991年に米軍基地存続の条件批准が否決されて92年にかけて米軍がすべて撤退してしまったフィリピンは、戦略状況の変化で米軍との防衛協定の必要性が高まり、政権交代したこともあって1999年に新しい協定が結ばれ、米軍が再びフィリピンの基地を使用できるようになった。
オーストラリアやタイの基地はこれまでにも米軍が利用してきたがさらにマレーシアやベトナムの基地、特に港湾にアクセスできる協定を結ぶことが検討されているといわれる。マレーシアは冷戦直後、ルムト海軍基地への第7艦隊艦船寄港を積極的に受け入れる姿勢を見せたが、その跡、米国との関係が揺れ動き、常にアクセスできる状態には無い。ベトナムは米国との正常な関係が樹立されたばかり(1995年)だが、ベトナム戦争時代に米軍が拡充したカムラン湾の海軍施設は東南アジアにおいて白眉とも言える。深い水深、静かな水面は大型艦を受け入れられ、日露戦争でロシアのバルチック艦隊が最後の補給と休養を行った場所としても有名である。その因縁の地にベトナムが南北統一を果たした後にソ連が進駐し、大規模な海軍、航空、そして電子情報収集施設を建設した。新生ロシアになってもカムラン湾に維持されていた小規模なロシア軍も2004年には遂に撤退することになった。
2002年、英BBCが米国とウズベキスタンの間にカルシ・ハーナーバードにある航空基地を25年間にわたって米軍が使用する協定が結ばれたと報じたが、米中央群はそのような事実は無いと否定している。ただし、ハーナーバードの航空基地を米軍が暫定的に使用する点については否定していない。このほかキルギスのマナスにある航空基地を米軍が使用する可能性も米中央群は認めている。しかしながら、これらの中央アジアの基地は海から遠く離れた場所で、そこに到達するためにはロシアやパキスタン、あるいはグルジア、トルクメニスタンなどの国々の領空を通過せねばならず、しかもこれらの国はNATO加盟国でもないから、その通信や補給システムは米軍のものと合わず、米国は全てをおそらく燃料も持ち込まねばならない。政治的状況が変化した時の脆弱性と、この兵站補給の問題などから大規模な米軍部隊を長期にわたって駐留させる可能性は少ない。
【軍事・軍隊・国防】
2014.03.27 北朝鮮に備える軍事学 1/3~お粗末な北
2013.12.18 わが友マキアヴェッリ 4/6 ~傭兵ではない自国の軍隊の必要性
2013.06.20 わが闘争 下 国家社会主義運動 6/7~ヨーロッパ外交政策
2012.10.11 北京・ハルビンに行ってきました 7/13 ~初一人行動・軍事博物館
2012.08.08|マキアヴェッリと君主論3/4 ~権力の維持
2011.05.11: 日本改造計画3/5 ~対外・国際関係
2011.03.08: ミサイル防衛 大いなる幻想
2011.01.28: 小泉官邸秘録 ~有事法制の整備
2010.07.20: ドイツの傑作兵器・駄作兵器 ~開発体制
2010.06.11: インド対パキスタン ~両国の核兵器開発とこれから
2009.11.05: 核拡散 ~新時代の核兵器のあり方