オーストリアの観光名所と言えば、ハプスブルク家の記念碑とも呼ばれるシェーンブルン宮殿であろう。ウィーンの森のはずれにある緑豊かな広人とした敷地に、伸びやかに広ある宮殿である。シェーンブルンとはそもそも「美しい森」という意味。初めてここに狩りのために館を建てさせたのは、マリア・テレジアの祖父レオポルト一世だが、テレジアがここに瀟洒な宮殿を建設して初めて、シェーンブルン宮殿はのちの名声にふさわしい王宮に生まれ変わったのである。バロックの巨匠ファン・エアラッはの設計になる宮殿は外観は“マリア・テレジア・イエロー”と呼ばれるクリーム色、内装はロココ調で、金箔をふんだんに使った漆喰装飾とボヘミアン・グラスのシャンデリア、陶器製の暖炉などは豪華そのものだ。
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ハプスブルグ家の歴史が今日、人々の注目を集めているのは、決して単なるノスタルジーではあるまい。なんといっても天才作曲家モーツァルトをはじめ、ベートーベンやシューベルトやヨハン・シュトラウスなどがここで活躍した。世紀末になるとマーラーやブルックナー、画家ではクリムトやエゴン・シーレ、作家ではマゾッホやカフカなど・・・。オーストリア=ハンガリー帝国の栄光が、今も人々の血を騒がせるのは、これら天才たちの希有の才能を開花させた、ウィーンという都の持つ、妖しいまでの魅力ではないだろうか?

ブルックナーか・・・僕のお好みは Bruckner No.7 ですが、いかがですか?
それから・・・楽曲としては・・・、あまり好きではないのだがタイトルだけ 「ウィーンはいつもウィーン」 これ良い日本語訳。とても素敵なタイトルだと思います。

アルプスの一豪族から興り、日の沈むことの無い世界帝国を築いたハプスブルク一族。その王朝は今世紀初めまで、約650余年ものあいだ、ヨーロッパ史の中心を編りなす縦糸であり続けた。しかしここにご紹介するのは、栄華のきわみにあったハプスブルク帝国ではなく19世紀末、死に瀕した重病人のごとくあえぐ、黄昏のハプスブルク帝国の壮大の悲劇である。孤独の王妃エリザベートの暗殺事件、皇太子ルドルフと男爵の娘マリーの悲劇の心中事件、メキシコに自らの王国を築こうとして夢見たマクシミリアン帝の処刑事件、ハプスブルク家とゆかり深い作曲家モーツァルトのなぞに満ちた偏し事件。一切の地位と名誉を捨てて南米に向けて出帆したのち姿を消してしまったヨハン大公失踪事件、作曲家ワーグナーへの愛と築城への情熱に生きた、孤独の王ルードヴィヒ二世の変死事件、第一次大戦の引き金となったサラエボでのフランツ・フェルディナント大公夫妻暗殺事件など。わずか半世紀あまりのあいだに、一族をこれほどの悲劇が襲ったのである。

やはりここでも専制君主制から共和への革命が舞台となる。清末・フランス革命も面白いと感じるので、革命の歴史は何か私をひきつける魅力がある。ブログに記録を残しているだけでもハプスブルク家の本は2冊読んでいるな。そしてこの本も含めて、全ては王制崩壊へ向けての時代背景ばかりだ。昔の記事を読んでいたら、こんな記述があった。 ハプスブルク家を見習って
結婚とは恋愛の延長上にあるという建前の下、戦略的かつ合理的に結ぶ契約である。byエキゾ 投資一族のブログ 2009年10月
ううっ、恥ずかしい! 口だけだっ! 戦略的かつ合理的な結婚など一度もしたことが無い! 「なんだかんだ言って、結局女にはアマい!」と嘲笑している女たちの顔が目に浮かぶようだ。いつか言ってみたいものよのぉ・・・
「なんで結婚したんですか?」
「この国の国民としての権利を手に入れ、その権利を行使するためだ!」 そして妻の方を向いて “Because I love you.”

ハプスブルク家の歴史
ヨーロッパの王朝といえば、ちょっと考えるだけでも色々の名前が挙げられよう。フランスのブルボン王朝、ロシアのロマノフ王朝、イギリスのスチュアート王朝・・・。なるほどこれらの王家はそれぞれの国の歴史に重要な役割を果たしているはいるが、西洋史全体から眺めれば、時代的に地域的にもごくわずかなものでしかない。ブルボン王家でさえ、17~18世紀のフランスを支配したに過ぎず、フランス以外はせいぜいスペインや北イタリアに勢力が伸びたくらいである。それに対して西洋史全体を通して、ヨーロッパ全体にわたって大きな勢力を持ち続けた唯一の王朝がある。それがオーストリアのハプスブルク王朝である。ハプスブルク王朝は13世紀~今世紀初めのおよそ650余年間にわたってヨーロッパの政局の変転に大きくかかわり続けてきた。しかもその勢力はオーストリア国内だけでなく、ポルトガル、イタリア、ドイツ、ポーランド、バルカン半島南部などヨーロッパのほぼ全領域におよんだのである。もとはライン河上流の小豪族にすぎなかったハプスブルクの名が歴史に登場するのは1273年、王朝の始祖であるルドルフ一世が、神聖ローマ帝国のローマ王に選出された時である。

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