1990年3月の証券13社の連結決算で、野村證券が5千億円を超える利益を挙げた時も、野村の5千億円の利益のうち1000億は証券事故の処理に使われているとささやかれていた。
うーん、変な文章だな。利益から事故処理に使うんでなくて、経費に事故処理をねじ込んで利益は減るんじゃないの?
30%ルール、株式の各銘柄ごとに1ヶ月間で特定証券会社の買いのシェアが30%を超えてはならないとするもので1980年4月に導入されたルールである。あまりにも野村の力が巨大になりすぎ、”野村證券霞ヶ関出張所”と揶揄されている大蔵省の手に負えなくなってきたのがきっかけとも言われる。
証券会社を監督する大蔵省証券局はもちろん、損失補填が商習慣として行われていることを承知していた。知っていたからこそ、1989年には損失補てんをやめるように、との通達を出し、「損失補てん」の温床と言われる「営業特金」を90年までに整理せよと通達を出していたのである。
通達を出し、・・・通達を出していたのである。うーん、この文章の書き方がなぁ、この本のレベルを推察するに十分なヒントだな・・・。
田淵社長は1991年6月27日の野村證券株主総会の席上で、問題の大口投資家に対する損失補てんは「大蔵省了解のもとで行われた」と発言した
田原総一郎はこう述べている。「『野村を叩け』という声が大蔵省内部で出始めてどんどん高まった」
証券取引審議会は、大蔵省の意向で、銀行、証券の垣根を取り払う、という方向でまとめようと図ったのだが、銀行が証券業界に進出すれば証券会社は不利になると、証券界のリーダー企業・野村證券が寝たふりを決め込んでしまったのだ。「田淵社長が『出るところへ出て決めよう』といったというので、大蔵省側はカンカンに怒った。出るところとは国会のことで、つまり、野村国会議員たちに十分鼻薬を効かせてあるので、国会でならば大蔵官僚たちの野望を打ち砕いてやるということなのですよ。」
野村スキャンダルが発表された20日の前日には、証券取引審議会の報告が出され、ここでは銀行と証券業界が、子会社方式で、相互参入する方式を提唱している。
バブルを育み、証券スキャンダルを育んだ土壌は「中曽根民活」である。「NTT株売却」作戦は、大蔵・野村共同作戦であり、両者共謀で国家的株価操縦が展開され、一般投資家が株式市場に動員され犠牲の羊に供された。その延長線上にJR株問題がひかえている。
共謀だってよ。発行会社が一円でも多く集めようとするのは当然。それに野村も協力するのも自然。それが共謀ねぇ。
補填先リスト
1990年7月29日付、4大証券は196法人、3個人、1283億円を発表、中堅13社(386件、437億円)。
株式市場が暴落を始めたのは、1990年1月のことであって、公表されたリストは3ヵ月後の1990年3月までに損失補填した客のリストで、むしろ未発表の1990年4月から1991年3月までの分が補填した額も件数も本当に大であろう。
日立、松下、新日鉄以下一部上場のトップ企業がずらりを顔を出している。公表前に「企業もモラルを正せ」と言っていた経団連も発表後にはクシュンと音なしになってしまった。経団連12名の副会長出身企業のうち5つの企業がリストに顔を並べていたからだ。次に目立ったのが公共団体だ。なかでも厚生年金事業団は補填金額が45億円と大規模である。大蔵省証券局長だった板野常和が天下って会長となっている日本化薬が500万円の損失補填を受けていることに世間はあきれさせられた。

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