民主主義国は不平等が大きくなると富裕層に課税する。
第一の理由は、最上位層の所得や富の総額がそれ以外の社会と比較して大きくなれば、有権者は負のインセンティブ効果が大きくなりすぎない範囲で富裕層への課税を重くすることが自分たちの利益に適うと考える、ということである。支払い能力主義に賛同している有権者も、この選択を好ましいと思うかもしれない。第二の理由は、人々が結果の不平等が機械の不平等から生じていると考えているからである。第3の理由は、不平等の影響が政治体制に及ぶことを恐れるからである。

擁護すべき貧乏人と抑制すべき金持ちが存在する場合には、最大の悪がすでに行われているのである。法のあらゆる力が発揮されるのは、中程度の階級に対してだけである。つまり法は金持ちの財宝に対しても貧乏人の窮乏に対しても同じように無力なのである。前者は法をくぐりぬけ、後者は法から見落とされる。前者は法の網を破り、後者は法をすり抜けてしまう。 by ジャン=ジャック・ルソー
出エジプト記 ここでは神の前では全員が平等だと考えられている。「あなたたちの命を贖うために主への献納物としての支払う額は銀は半シュケルである。豊かな者がそれ以上支払うことも、貧しいものがそれ以下支払うことも禁じる」。市民の平等な扱いということでは、全員が同じ率で払う税も考えられる。「フラットタックス」運動を支持した初期の知識人が考えていたのがまさにこれだ。ロバート・ホールとアルヴィン・ラブッシュカが1981年に次のように述べている。「思い出してほしい。ごく最近まで、公正とは法の下での平等な扱いを意味していた。公正を同一ということに置き換えて、富裕層に多く支払わせるというのは現代の発明であって、彼等は税制度を利用して所得を再配分し、全員を平等にするべきだと信じているのである」

不平等(貧富格差拡大)、民主化(0.1%が50%以上の富を持つ)ことが所得税の累進課税に寄与したか?
いないな、戦争のための大規模動員。

第一次大戦に参加して大規模動員した10国と、中立を保つか、参加は下が大規模動員をしなかった7国について、1900年から1930年までの最高税率に関する入手可能な情報を示したものだ。戦争のための大規模動員をしたとする条件は、参戦国であり、かつ、総人口の少なくとも2%を軍に動員したことである。動員国では、戦争に伴って富裕層課税に向けた大きな動き(平均最高税率50%)が起こっている。非動員国でも最高税率は上がっている(20%+)が、上がり幅はずっと小さい。

1941年7月、合衆国の第二次世界大戦への参加が未決問題だった時に、ギャラップ社は全米の成人人口から調査対象を抽出し、次のような質問をした。-「国防費支払いの一助とするため、政府は所得税を引き上げざるを得なくなると思われます。もしあなたが決定者だとしたら、4人家族で所得がXドルの典型的な家族に、どれくらいの所得税の支払いを求めますか」
この調査ではスプリット・バロット法のアンケートを用いて、年間1000ドルから100,000ドルまで8つの所得層について望ましいと思われる税率を聞き出している。社会経済地位(SES)の異なる集団の回答者のデータを表した。すべての所得層が富裕層課税の強化を指示するようになりうる。

我々は奇妙な現実と直面する。相続税は徴収が容易だが、どの国を見ても、これが歳入の約10%を超えたことは一度もない。過去数十年でも、合衆国の連邦遺産税および贈与税の収益は、連邦歳入の約1%を占めているだけなのである。

戦時利得は「富の徴兵=富裕層課税」すれば良い。

1909年1月、イギリス、労働は、4つの原則が税制度の指針となるべきだとした。

1.課税では、支払い能力と国家が個人に与える保護および利益とが釣り合っているべきである。
2.個人が自らの身体的必要および基本的必要を満たすための手段を侵害する課税は実施するべきではない。
3.課税は共同利益、すなわち富の不労増加分すべての確保を目的とするべきである。
4.したがって、税は不労所得に課されるべきであり、また、莫大な富の私的保有防止を意図的に目指すべきである。

鉄道と近代的大規模軍

過去2世紀にわたる工業化社会に戻ってみよう。軍事テクノロジーの、ひいては動員の変化が同様の社会変化につながった可能性はあるのだろうか。この疑問に答えるには19世紀初頭のヨーロッパで戦争がどのように戦われていたかを考える必要がある。戦いは中世から大きく進化し、十分な訓練を受けた国家軍が遂行するようになった。軍の構成は大半が歩兵で、火器を使用していた。しかし、それ以外のことではそれほど大きな変化はなかった。軍はまだ徒歩で戦場へと行進していた。食料はすべて、兵士とともに運ぶか、現地で略奪するか、大型馬車を使って後方から供給していた。供給の問題は任意の時点のある地点で維持可能な軍の規模に上限を課していた。ナポレオンにしてもなお、古代から軍を制約してきたのと同じ兵站上の困難には縛られていた。腹が減っては戦はできぬとわかっていても、この制約を満たす方法は、よほど効果的な略奪か、嫌になるほど遅い後方からの物資提供しかなかったのである。
兵站問題の解決策の端緒が開かれるのは、ようやくナポレオンの死から4年が過ぎてからだった。すなわち、蒸気機関で動く車を供えた鉄路である。鉄道の登場は、電信の発明と併せて欧米の、そしてその他の社会を根本的に変えた。鉄道の登場によって、戦争の規模は劇的な拡大が可能となった。鉄道は人間をすばやく運べるだけでなく、食料となる物資も運ぶことができた。最初の旅客列車は1820年代に走ったが、これはまだきわめて原始的な輸送システムだった。それから数十年かけてようやくレール、機関車、列車の設計にイノベーションが起こり、大人数の部隊を遠く離れたところまで運べる鉄道になっていった。鉄道を軍事面で初めて大規模に利用したのはナポレオンの甥にあたるナポレオン3世で、1859年のイタリア遠征でのことだった。鉄道はもちろんアメリカの南北戦争(1861~1865年)でも盛んに利用された。この戦争は多くの面で、来るべきヨーロッパの紛争の破壊性を先取りするものだった。また先に指摘したように、富裕層課税のための補償論が主張され始めるのもこの戦争である。

大規模軍の終焉

19世紀の技術革新は大規模軍を可能にすることに寄与した。20世紀の技術革新は、大規模軍を線上で望ましいものでなくすることに寄与した。大規模軍の時代は、特定の技術状態の存在に依存していた。この状態では、人員を大量に輸送し、適切な供給を維持することが可能だったが、爆発力の精確な遠隔送達はまだ実現していなかった。20世紀を通じてこの状況は変化した。遠隔地からの爆発力の送達が現実のものとなり、時とともに、それがどんどん精確になっていった。今日では、先進的な兵器システムを有する国は、誤差数十センチという精確さで爆発物を送達することができる。こうした展開が大規模軍の終焉を告げたことはほぼ間違いなく、それとともに、富の徴兵を含めた補償論の可能性も潰えてしまった。
ここまでの主張に反対して破壊的な空軍力は第二次世界大戦からあったし、第二次世界大戦は間違いなく大規模動員の戦争だったとする考えもあるだろう。ここで往々にして見落とされがちなのは、空爆が時代とともにどれほど正確になったのか、約70年前にはどれほど不正確だったのかということだ。空中から送達される弾頭の正確さを判断する最も一般的な基準は、平均誤差半径だ。任意の危機の平均誤差半径とは、標的を中心として弾頭が円内に着弾する確率が50%になる円の半径を言う。1944年、当時の最新テクノロジーであるノルデン爆撃照準器を使った合衆国のB-17の乗組員は300mの平均半径誤差で従来型の爆弾を送達することができた。これは市民に大惨事をもたらすには十分だったかもしれないが、軍事面ないし産業面の特定の標的に命中させられるほど精確ではなかった。時代をヴェトナム戦争まで早送りしてみよう。これはほとんどが従来型の、誘導装置のない爆弾で戦われた戦争だったが、同時に合衆国がレーザー誘導爆弾を初めて使用した戦争でもあった。レーザー誘導装置を備えたBOLT-177爆弾を使って1968年に遂行された攻撃では、23メートルの平均誤差半径が達成された。合衆国によるレーザー誘導爆弾の導入で最も興味深い要素の一つは、これがすぐさまソ連の軍事計画担当者の思考に影響したことだ。ソ連軍は北ヴェトナムからの報告を通して、レーザー誘導爆弾がどれほど効果的かを知った。大規模な装甲部隊で大陸を推し渡るという考えに立脚してヨーロッパでの軍事戦略を立てていたソ連軍にとって、これは深刻な問題だったのである。
精密誘導兵器の発達とは別に列強がもはや大規模動員の戦争を戦わなくなった明白な理由がもう一つある。1945年以後、列強同士が戦わなくなったことだ。今日では、列強の軍が展開するのは反乱軍との戦いがほとんどで、これには大規模軍はあまり効果がない。2000年前の漢王朝は、そうした状況では大規模軍によるものから資本集約的な形態の戦争に切り替える方が理に適っていることに気が付いた。ここ数十年の合衆国も同じ結論に到達していると思われる。

戦後コンセンサスはあったのか

累進課税の主張者が富裕層課税のための強力な補償論を主張できたのは、間違いなく戦後の文脈があったからだ。その中心にあったのは戦争中に犠牲を払ったものは補償されるべきであり、戦争から利益を得たものは課税されるべきだという考えかただった。

イギリスをはじめとする戦勝国の状況を考えてみよう。イギリスではドイツの降伏から2か月後に総選挙が実施され、労働党が下院で大勝利を収めた。これが福祉国家イギリスの確立に道を開いたことはよく知られている。労働党の勝利は、高所得と莫大な富への重課税を含めたイギリスの諸政策を固めることに寄与した。周知のように1945年の選挙では、戦争終結時のウィンストン・チャーチルの個人的な人気にもかかわらず、労働党が地滑り的勝利を収めた。

次にフランスをはじめとする被占領国の状況を考えてみよう。フランスのような国では占領軍との協力が広範囲に行われていたため、補償論は戦ったものを認定することよりも、不公正な利益を得たものから資源を搾り出すことの必要性に重点が置かれた。評議会のプログラムは、とりわけ戦時利得を対象とした累進税の創設を求めていた。フランスの暫定政府は、戦争中に発生した「違法な」利益全てに課税すると発表した。これには闇市場からの利益のほか、敵軍との商取引があった場合には、その利益もすべて含まれた。そこでの論理は明確な補償論だった。占領下で国民が貧しくなったのに一部のものは豊かになった。フランス政府は一連の重要産業の国有化を実施した。ルノーの国有化には、占領期に同社がドイツ国防軍のために車両を生産していたことも与っていた。

第三の例としてドイツのような敗戦国の状況を考えてみよう。この場合、補償論の問題は、勝者をどう認定するかということでもなければ、敵による統治の存在から利益を得た者にどのような制裁措置を取るかということでもなかった。戦争で損害を被った者が強く感じていたのは、自分たちは戦争に犠牲になったのに、敗戦の最中にあってなお利益を得た者がいるということだった。1945年から長い年月をかけて個人にどう補償するのか、敗戦の負担をどう公平化するのかについての考えがまとまっていった。こうして1952年、ようやく一連の「負担調整」法が成立した。このときの法律には、幸運だった者から不運だった者への大幅な富の再配分が含まれていた。これは実物資産に50%の税をかけ、30年かけて支払わせるというもので、結果として事実上の資産税となった。

最後にスウェーデンのような戦争に加わらなかった国の状況を考えてみよう。スウェーデンは交戦国の市民が払ったような犠牲を目にすることはなかったが、それでも戦争によって経済全般がが混乱したことで経済が深刻な打撃を受けた。またスウェーデン政府はうまく中立を維持できるかどうかわからなかったことから、大規模軍の動員も行っている。このような文脈の中で、スウェーデン社会民主労働党は、ヨーロッパのほかの国の左翼政党と同様に補償論を用いて再配分的な経済政策への指示を築こうとした。

要約すれば様々な国が様々な状況にあった1945年には、集団的な負担分配をめぐる議論に大きく影響していたということである。犠牲を払った者に保証し、利益の多い立場にあった者に課税するという最配分的な施策が含まれていたのだ。戦後補償を巡るこうした議論は、所得税や相続税の最高限界率はどれほどであるべきかという問いに直接焦点を当てないものが多かった。戦時中に最高税率が上がっていたために、それが新たな現状法制となっていたのだ。一度現状化したものを覆すのは難しい。

1952年、ギャラップ社は2097人のサンプルに対して、賛成、反対、意見表明無しの3択で回答を求めた。

裕福な人々の多くは現在、所得の90%もの連邦所得税を払っています。連邦議会では、連邦政府が戦時を除いて誰の所得にも25%を超える課税ができない法律を成立させようとしていますが、あなたはそれに賛成ですか、反対ですか?

僅差の51%で所得税制限の支持派が多数派となった。1952年という早い段階で、これほど劇的な所得税政策の再方向転換をアメリカ国民の過半数が支持するということが、本当にありうるのだろうか。

成長への危惧が税の引き下げにつながったのか

富裕層への税を重くしすぎると彼らの活動が縮小して投資が減るだろう、そうなれば誰もが困ることになる。累進課税が成長に与える影響についての批判は5世紀前から存在していた。サッチャー時代のイギリスのマニフェストは、課税による高コストをことさら強調していた。合衆国1980年の共和党の綱領は「税率の引き下げは、経済成長と生産高と所得の増加を生み出し、それが最終的に歳入の増加をもたらすだろう」

グローバリゼーションが富裕層課税を不可能にしたのか

法人は確かにそうだが、個人所得の課税はどうだろうか? 高所得者ではない個人の税率にグローばりぜーしょな影響するというのはあまりありそうもない話だ。ではなぜ高所得者は影響を受けるのだろう。高い個人所得は資本からの利益によるものかもしれないし、労働による利益を通してのものかもしれないという事実だ。資本所得の場合であれば、金融のグローバル化によって個人が簡単に富を国外に移せるようになったかどうかだ。資本規制の多い国では所得税の最高税率も高いかというと、事実はそうなっていない。法定税率を実効税率に置き換えても、また所得税を再考相続税率におきかえても全く同じ結論に到達する。資本移動は法人所得税カットへと各国を誘導したかもしれないが、それを個人所得や相続への課税に持ち込むまでには至らなかったようだ。

累進課税は公正か?

レーガンとサッチャーによる「我々は勤労と責任、成功に報いるために、すべての水準で所得税を削減する」。1980年アメリカ共和党の綱領「削減の根拠は、個人が自ら稼いだものを保持し、使用する権利にある」。富裕層への課税を重くするべきだと結論付けている人は多い。事実、年間所得が25万ドルを超える人の税を上げるべきだと思うか、という問いに明確に表れてくる。
キャメロン・バラード=ローザおよびルーシー・マーティンとの共同研究で典型的なアメリカ人2500人を対象とするフィールド調査を行った。

年間Xドルの所得のある家庭が合衆国国内で支払う税を考えてください。以下のリストから年間Xドルの所得のある家庭が支払う限界税率としてあなたが望ましいと思うものを選んでください。
年間所得 10k、35k、85k、175k、375k 税率 0%、5%、…、80%
全ての回答者に37万5000ドル(375k)を超える区分について望ましい税率を答えるように求めた。望ましい税率の平均は33%だ。現在の合衆国で実際支払う限界税率は39.6%だからそれより低いことになる。この調査からはっきりわかるのは、アメリカ人が最高税率の大幅な引き上げをのぞんでいるという考えはほとんど支持できないということだ。