ユダヤ教三派の中で、一番進歩的で柔軟性があったのはパリサイ派だった。三派の中でキリスト教と最も多くの共通性を持ち、キリスト教の重要な母体となったのは、パリサイ派と考えてよい。これは使っていた暦を見てもわかる。パリサイ派がつかっていた暦は、ローマの暦に近い。当時、どういう暦を使っていたか、つまり、どの日にどんな祭りをするかということで、その宗教宗派の信条や主張を知ることができる。パリサイ派の暦はローマ暦に非常に似ていて、それとうまく調和するように作られていたという。エッセネ派のクムラン暦というのはそれとたいへん違って、1年を364日としている。サドカイ暦も同じだったろうと言われているが、これはクムランのエッセネ派が当時の上流知識階級の出身者が多かったからであろう。彼らは神殿貴族のサドカイ派と鋭く対立していたとはいえ、やはり一種の知的貴族であり、自分たちを一般民衆から隔絶した位置においていた。ではなぜ、1年を364日にしたか。1年が365日だと、毎年、何月何日の何曜日にこれこれの祭りを行えと定めても、年によってその日の曜日が狂ってくる。これを狂わないようにするために1年を364日にしたのであろう。そうすれば1年52週できちんとおさまる。余分の日は一種のうるう日として処理をする。現代でも一部で議論されている万国暦は、これと同じ発想である。
イエスの生年月日は紀元1年のクリスマスではない
西暦を作ったのは、スクテヤ人の修道僧ディオニシウス・エクシグスである。彼が533年にキリスト紀元のはじまりを確定しようとしたとき、大きな誤りをおかした。紀元前1年と紀元1年の間にゼロ年を挟むことを忘れ、ローマ皇帝アウグストスと次のティベリウス帝との共同統治期間の4年間を見逃してしまった。そして、イエス誕生の年について、福音書がはっきりとこう記述していることも見逃した。すなわち「イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき・・・」(マタイによる福音書2章1節)。ヘロデの統治期間は紀元前37年から前4年で、この年に死んでいるのだからイエスが生まれたのは紀元前4年以前でなければならない。現在では紀元前6年というのがほぼ定説である。紀元前7年の土星と木星の相合が3回起こったことは明らかで、これは794年に1回しか起こらない珍しい現象だから、人々の記憶にこの現象とイエスの生誕が結びついても不思議ではない。
聖書の常識 6/6~キリスト教と暦の関係
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