地図の歴史は文字の歴史より古いと言われるように、まだ文字のなかった先史時代から地図は存在した。最古の地図としてよく紹介されるのは北イタリア、アルプス山麓カモニカ渓谷の岩壁に描かれた紀元前1500年ごの地図。これは青銅器時代の住民の村落と耕地をあらわしたものと推定され、道路や感慨水路、家屋や畑、家畜などが描かれている。それ以前に作られたのではないかと見られているのがバビロニアの地図である。粘土板に2つの山、水路、集落が描かれていて、楔形文字で「アザラの耕地」と記されている。
間違いの多い地図を作っているタイの不思議
タイの首都バンコク市内には細い路地が非常に多い。そのうえカギ型に曲がっているような道路が多数あり、ちょっとした迷路のようでもある。こんな土地を歩くには地図が不可欠と思いきや、地図を持っていてもたいして役に立たない。なぜならタイ政府が作成した地図ではこれらの道路が省略され、真っ直ぐでない道路も直線として描かれているからだ。態で作られた地図よりも日本のガイドブックに載っている地図の方が正確だとすら言われている。だが、この正確性を欠く地図は実は間違いではない。実地と異なる地図をあえて作っているのだ。タイの地図作成機関は軍隊である。彼らが間違った地図を作る意図とは正確な情報を敵に知られないようにするためである。つまり「地図自体が国家機密」という認識なのだ。世界的にみるとこういったことは決して珍しいことではない。旧ソ連では、詳細な大・中縮尺地図は国家機密とされてきた。中国では今でも詳細な地図は国家機密扱いだ。
イスラム教国のなかに取り残されたキリスト教国ナゴルノ・カラバフ
イタリアの中にあるバチカン市国やサンマリノ公国、フランスの中にあるモナコ公国など、世界には自分の領土を他国に取り囲まれている国や地域が存在する。カフカス地方にあるナゴルノ・カラバフ自治州もそんな場所の一つだがアゼルバイジャンに取り囲まれたナゴルノ・カラバフが置かれている状況はバチカンやサンマリノとはまるで異なる。7割以上の住民がアルメニア人のキリスト教徒なのに対してアゼルバイジャン人はイスラム教徒。民族的にも宗教的にも隣国アルメニアの飛び地のような状態で、アルメニア人とアゼルバイジャン人との民族紛争の原因になっている。本来は二国間における領土の帰属問題だが、この問題をかき回してきたのはロシアだった。
ここがロシア!? 飛び地カリーニングラード
バルト海に面した面積15,100平方キロ人口約97万人のカリーニングラード州、カリーニングラードが飛び地になったのは1991年のこと。ソ連の崩壊にともない、バルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)が独立したためだ。ロシアにとってカリーニングラードの持つ意味はその面積のように小さくない。ロシアは世界で一番長い海岸線を持っているが、その大半は1年中凍ったままの北極海。冬でも外洋に出られるバルト海は軍事的にも商業的にも重要な位置を占めている。カリーニングラードの住民はポーランドとリトアニアにビザなしで訪問することが可能だったが、2004年に両国がEUに加盟したことで、それができなくなってしまった。
衝撃!! キムチの本場・韓国が中国産キムチを輸入している事実
キムチは家庭で作るのが常識であり、店で購入することは主婦の恥とされている。最近は家庭で作らずに店で購入する人が増えてきたというのだ。しかも市販のキムチには中国産のもの(5%)が含まれている。
兵馬俑の武士たちは全員同じ方向を向いている。東にこだわる始皇帝。西安市から東へ35キロほど行った所に秦の始皇帝陵がある。地下には水銀を注いだ川が流れ、総数8000体とも言われる等身大の兵士が置かれている。兵士の顔は一人一人違い、実際の人間をモデルにしたのではないかといわれるほどリアルである。兵士たちの向きはみな東。道教方士の徐福は東海に不老不死の薬があると始皇帝に吹き込んだ。東にあると伝えられる不老不死の薬を待ち続けていたのかもしれない。しかしながら秦はもともと中国西部に興り、そこから東方に領土を広げていったということから、国の発展を祝したものだという説もある。
白夜を見るのに絶好のポイントは、ノルウェーのノールカップ。ノルウェーの北の果て、マーゲロイ島の北に突き出た岬の一つで、ヨーロッパ最北端の地としても知られている。ノールカップは一面を海に囲まれているため。断崖絶壁になっている港の突端に立てば眼下は北極海の大海原が広がる。5月から7月は、夕日がそのまま朝日へと変わる神秘的な光景を見ることができる。
国連加盟国は192カ国、1945年の発足当時は51カ国しかなかったがアジア、アフリカ諸国の独立が盛んになると1960年ごろには100か国に達し、現在では192か国になっている。
トルコ石はトルコでは採れない。原産地はイラン北東部。かつトルコが東洋と西洋の貿易の中心地だったので、イランやシナイ半島で採れた意思はトルコを経由してヨーロッパへ輸出されることになった。トルコから来た石でトルコ石になったという。
国というのは領土を持ってはじめて成立するもののように思えるが、世界には領土を持たない国がある。「エルサレム・ロードス・マルタの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」、通称「マルタの騎士団国」である。拠点はローマにある宮殿とビル一棟だけ。土地自体はイタリアのものなので領土とはいえない。その面積も12,000平方メートル程度。ただし、敷地内の外交特権は認められていて、独自の切手や金貨、パスポートを発行している。しかも世界93か国と外交があり、オブザーバーとして国連も参加している。起源は十字軍遠征、エルサレム付近に宿舎や病院を建て、巡礼ルートの警備を行っていた。ローマ法王から騎士団として公認され各地で戦った。十字軍の奮戦もむなしくエルサレムはイスラム教徒に奪回されてしまうが地中海のキプロス島に逃れ、やがてロードス島に移った。15世紀ごろ、オスマン・トルコが勢力を拡大してくるとロードス島も終われ、彼らと手を結んだのがスペイン国王カルロス1世で、騎士団にマルタ島を与える代わりに島の警護をさせたのである。ところが幸福な時間は長くは続かない。ナポレオンの軍勢によってマルタ島を追われ領土を失ってしまったのである。
自由の国といえばアメリカ合衆国の代名詞のようにつかられているが、アメリカが目指す自由の国の理想を体現したのが西アフリカのリベリア共和国だ。リベリアとは英語で自由を意味するリバティにちなんだもの。リベリアは1847年に独立を果たし、アフリカ最初の黒人共和国となった。アメリカで奴隷が解放されたのが1863年のことだから、これはきわめて早いといえるだろう。ジョージワシントンの甥バシュロッドによって設立された奴隷解放協会がアフリカの土地を購入し、その地へアフリカ人を移住させ援助した。するとアメリカ帰りの黒人たちによる街がいくつもでき、それらの街が大きくなってリベリアという国家が生まれたのである。リベリアの首都をモロンビアというが、リベリア建国の際に援助を惜しまなかったアメリカのモンロー大統領に由来する。
目からウロコ!世界地図の謎 (廣済堂文庫) 地図ミステリー愛好会 廣済堂出版 2006-07-22 |
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