フランスの敗退とメディチ家の復帰
教皇は1510年末からイタリア-イスパニア軍を率いて北上し、モデナ、ミランドラ等を奪ったが翌年フランス軍の逆襲によって壊滅的打撃を受けた。1512年ラヴェンナ近郊で大会戦が両軍の間で行われたが、やがて皇帝およびイングランド王が教皇側に加わり、スイス傭兵も教皇側につくことによって軍事バランスは崩壊し、ロマーニャおよびロンバルディアのフランス領は瞬く間に雲散霧消してしまった。フランス軍を駆逐した同盟側はソデリーニの追放とメディチ家の復帰を決定した。ソデリーニ追放後、彼の「操り人形」としてソデリーニ時代批判の的となったマキアヴェッリは、その職を投げ打つことなく、その職に留まったのである。しかしながらその異才を恐れられて1512年11月全ての職を免ぜられ追放された。
マキアヴェッリはメディチ家に仕官を試みるが失敗し
「私は絹織物業や毛織物業についてなんら論ずることができず、利益とか損失とかについても談ずることができません。運命は私が統治(支配)の問題について論ずるよう定めており、私は沈黙を守るかそれについて論じなければならないのです。」
失意のどん底にあったマキアヴェッリを最初にこの課題に転じさせたのはフランシスコ・ヴェットーリである。
君主論
基本的特質 君主論はその形式に即してみる限り、古来存在しその後も存在した「君主かくあるべし」を論じた君主教育論のジャンルに属している。聖トマスの「君主政について」との関連で、彼は人間が統治権力を内包する政治社会を生来必要とするというテーゼの証明から始める。そして政治的支配は支配者やある特定グループの利益追求を目論む専制的支配との対比で、公共善の追求を目的とするものと規定される。政治的支配は人間の行うべき正しい行為の体型の実現に関わり、政治学は倫理学と不可分のものとされる。
読んだ後だからわかるな。性善説的、理想論的なアオい君主政だ。俺からは、マキアヴェッリに一本。では対する君主論の主張を続いて・・・
第一に「君主論」には権力の正当性の弁証がなく、権力は端的に存在するものとして前提されている。第二に王と暴君との区別がほとんど完全に消滅している。第三に倫理学は政治学と無縁のものとして現われ、治者に関しても臣民に関しても統治と倫理的価値との一体性は全く見られていない。第4に聖トマスにおいて支配問題が一つの政治的共同体を前提にし、その枠内で考えられていたのに対して、「君主論」ではかかる政治的共同体はまったく姿を消し、相互になんら共通項を持たない君主と臣民との関係が全てとなる。第五に聖トマスの場合、外敵の防衛の観点から消極的にその存在を肯定された軍事問題がいまや君主の最大の義務と規定される。
第一章 支配権の種類とその獲得方法
古来人々に対して支配権をもっている権力者、支配者はすべて共和国か君主であったし、今日でもそうである。君主権には支配者の血統が長い間君主である世襲的君主と新しい君主権とがある。ある地域は君主によって統治されるのに慣れ、他の地域は自由な国制に慣れ親しんでいる。また領土を獲得する方法には他人の軍隊による場合、自らの軍隊による場合、幸運による場合、実力による場合がある。
第二章 世襲の君主権について
君主の血統に服従してきた領域を維持するのは新しく獲得した領土を維持するより容易である。先祖伝来の秩序から逸脱しないよう、君主が勤勉であれば、その権力を奪うような非常に強大な勢力が存在しない限り、常に権力を維持するだろう。
【戦争論・兵法】
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