大量殺戮兵器 爆弾代わりに使われたスペース・コロニー
宇宙世紀0079年1月3日、ジオン公国軍は、宣戦布告の3秒後、地球連邦軍艦隊に襲いかかった。同時に、
敵対するスペース・コロニーにパルス・ジェット・エンジンを仕掛け、地球に落下させる”コロニー落とし戦略”が開始され
サイド1,2,4の28億人がこの戦略の犠牲となった。一週間戦争である。人間の住んでいるスペースコロニーを爆
弾代わりとし、地球に落とす。この戦略は、いわば究極の戦略無差別爆撃であるといえよう。飛行機は発明されるや
第一次世界大戦で使用された。イタリアのジュリオ・ドゥーエ陸軍少将は1921年に著した『制空権』の中で、戦場
に存在する敵は偽りの目標にすぎず、真に攻撃目標とすべきは都市、産業、鉄道、橋であると主張した。さらに彼は、
敵国の人間を戦闘員(軍人)と非戦闘員(民間人)にわけたこれまでの戦争は時代遅れだと喝破した。これからの
戦争は軍人のみではなく、全国民が行うものだ。だから勝利を得るには敵国民の物心両面のよりどころを撃破し、社
会組織を最終的に崩壊せしめなければならないというのだ。民間人は戦争の打撃に最も耐えられない存在だから、
これを叩け、というのが、ドゥーエ少将の理論であった。同様な理論はアメリカのビリーミッチェル陸軍准将も持っていたが
彼は軍内であまりにも強硬に主張し、反対する上官を罵ったので、軍法会議にかけれれてしまった。ドゥーエ少将の理
論を実践したのがドイツ(スペイン・ゲルニカ)と日本(中国 重慶)だった。
敗者が復活して再び戦争を引き起こしてしまうのは、なぜか?
戦争が終わってみて気づくのはジオン本国がほとんど無傷で残ったということである。多くの成年男子が戦死したし、コロニ
ーのひとつマハルは、ソーラレイシステムに転用されたため、事実上、使い物にならなくなっていただろう。しかし、コロニー落と
しによって荒廃した地球に比べれば、その被害はあまりにも軽微だ。独立を叫んで全人類に挑戦したジオンは、その力の
ほとんどを残したままだったのだ。そのうえジオン本国が戦場になっていないので、多くのジオン共和国国民は敗戦の実感に
乏しかったものと思われる。確かに、多くの者が出征したまま生きて還らなかったが、後方にいた国民は敵(連邦軍)の姿
も未定内。ニュースか何かで敗戦を知っても荒廃した国土を見て途方にくれるようなことは彼らには無かった。しかも1年
戦争の戦われた12ヶ月間のうち、開戦から10ヶ月はジオン軍が圧倒的に優勢だった。ジオン軍の退勢が始まったのは
11月のオデッサでの敗北からだ。その後ソロモンが奪われ、ア・バオア・クーが落ちて休戦協定までわずか2ヶ月。本国の
ジオン国民にとって1年戦争は勝っていたはずなのにいつの間にかに負けたことにされていた戦争、といったところではないか。
そんな彼らを待っていたのは、地球連邦政府によるスペースノイド圧迫の政策だった。連邦政府は宇宙移民の子孫たちに
相変わらず自治権さえ認めなかった。この連邦政府の政策は大きな誤りだった。スペースノイドに自治権を与えるべきか否
かはここでは論じない。しかし、与えないのなら、スペースノイドの力を徹底的に削ぎ、連邦の権力に屈服させるべきだったし
それを行う力が無いのならある程度の自治権を認めて、いわばガス抜きをすべきだった。連邦政府はただ、まだ戦争を引き
起こす余力を残した人間たちを疎外し、弾圧しただけだったのである。強い相手にケンカを売ったようなものだ。連邦政府の
高官はもっと歴史に学ぶべきであった。
第一次世界大戦はドイツの敗戦に終わった。1918年11月11日、ドイツ側の代表がパリ郊外のコンビエーニュの森で
休戦条約に調印した時、イギリス兵もフランス兵も、またこの2国とともに参戦していたアメリカ兵も、捕虜を除いてただのひ
とりもドイツ国内にいなかった。だから後方のドイツ国民は、多くの戦死者を出してはいたが、ひとりの敵を見ることもなく、敗
戦を迎えてしまったのである。そのうえ、ドイツの敗戦には11月3日にキール軍港での水兵の叛乱に端を発したドイツ独立
社会民主党によるドイツ11月革命が大きく影響していた。革命はドイツ全土に飛び火し、9日には首都ベルリンでも労働
者が共産スパルタクス団の指導で立ち上がった。これを見た皇帝ヴィルヘルム二世はオランダに亡命。ここにドイツ第二帝政
は崩壊した。皇帝亡命後、政権を押し付けられた社会民主党のフリードリヒ・エーベルトは革命の激しさにこのままではドイ
ツは共産化すると判断。過激な共産スパルタクス団に対しドイツを共和国とすることで妥協を図った。ドイツは共和国として
敗戦を迎えたのである。ドイツの共和国化は軍部も承認した上でのことだった。しかし軍部は戦後、敗戦は革命勢力の裏
切りに責任があると社会民主党を非難した。戦場での打ち続く敗戦を知らなかったドイツ国民はこの言葉を信じ、戦争に
負けたのは敵に敗れたからではなく、”背後からの一突き”のお陰だと思い込むようになった。こうして、休戦条約は失敗だっ
たと考えるドイツ人を待っていたのは、イギリスとフランスが用意したベルサイユ条約だった。1919年1月にフランス外務省
で行われたパリ平和会議は、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本で構成されており、敗戦国ドイツは含まれていなか
った。この会議でドイツの処理は、対独懲罰主義者のフランス首相ジョルジュ・クレマンソーの主導のもとで行われた。ここで
決まったベルサイユ条約の内容は231条から成っていたが、戦争の全責任はドイツにあると断じ、したがってドイツの海外
植民地はすべてを没収され、本国領土の一部はフランス、ベルギー、ポーランドに割譲され、軍備は10万人以下に制限
され、さらに最終的には1320億マルクという天文学的な賠償金の支払いを要求された。ドイツはこの条約の調印を強制
され、もっと穏やかな内容を期待していたドイツ人は戦後のベルサイユ体制を”命令された平和”と呼んで反発した。当時
のヨーロッパで軍備を一方的に制限されるのは主権国家でなくなるのと同義だったし、なにより凄まじい金額の賠償金はド
イツ経済を一気に悪化させた。ドイツ国にはイギリスとフランス、とくにフランスへの怨嗟の声が充満した。ところが戦勝国側に
はこのベルサイユ条約を実行させる力が残っていなかった。イギリスもフランスも国力が戦争で疲弊しきっていた。大国アメリカ
はベルサイユ条約を上院が批准せず、その後の国際連盟にも参加せず、孤立主義をとってヨーロッパ情勢への関与をやめ
てしまった。ソ連は社会主義国になっていたので、ヨーロッパから完全に締め出されていた。結局ベルサイユ条約は敗戦を認
めず、再び戦争を起こす国力を残したドイツを怒らせておいて、怒ったときに対処のできない体制を作り上げてしまったのだ。
ドイツを押さえられないのなら、ドイツを怒らせる屈辱的な条約を押しつけるべきではなかった。1年戦争の後に地球連邦政
府がジオンに対してしたことは、20世紀はじめのイギリスとフランスの失敗とほとんど同じであった。当然、結果もまた、同じよ
うに推移することになる。20世紀にはフランスへの復讐を叫ぶナチスがドイツの政権を取って20年後、再び戦争を引き起こ
した。宇宙世紀には連邦の圧制に反発するスペースノイドがジオンの旗のもとに結集し、デラーズ・フリートの”星の屑作戦”
やネオ・ジオンによる第一次・第二次のネオ・ジオン戦争により多くの人命が失われたのである。
【民族意識系】
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