参謀の不在 独裁者は参謀をおかず、自分で大部隊を動かしたがる
地球連邦軍が予備の艦隊を早めにしかも大量に投入したことと、ジオン軍の指揮をとっていたギレン・ザビ総帥
がキシリア・ザビ少将に殺害され、指揮系統にわずかな時間ながら空白が生じたこと。この2つが、ジオン軍が
ア・バオア・クーでの戦闘に敗れた原因になったと思われる。最終防衛ラインであるア・バオア・クーを失ったジオ
ン公国は同時に戦争指導層を失ったため、急ぎ休戦に傾いた。事実上の敗戦である。連邦の予備艦隊はと
もかく、ギレン総帥がその要職にもかかわらず、最前線で指揮をとったことがジオン公国の死命を決してしまった。
ジオン公国の最高責任者である彼は、前線での指揮を部下に任せ、自分は後方にいるべきだった。しかし、
ギレン総帥に限らず、独裁者というものは自分で何でもやらなければ気が済まないものらしい。アドルフ・ヒトラ
ーは、大隊の動きにまで口を出したと言われる。大隊は連隊の命令で動き、連隊は師団命令を受ける。師
団は責任ある軍司令官の総帥によって行動する。ヒトラーが小部隊の作戦にまで干渉したのは、将軍たちに
不信感を抱いていたからだ。当時のドイツの将軍たちは多くはユンカーと呼ばれる貴族の出身だった。貴族と
は名ばかりで、自宅も抵当に入れてしまうほど困窮したものが多い、どちらかというと下級士族に近い存在だっ
たようだが、貴族は貴族だった。一方、ヒトラーといえば第一次世界大戦に従軍したが位は将校ではなく、伍
長だった。その彼がドイツ国防軍最高司令官に就任したため、貴族出身の将軍たちは平民出の元伍長に忠
誠を誓い、その命令を受けなければならなくなったのである。
参謀を連れずに大部隊を指揮した人物には、ナポレオン・ボナパルトがいる。1789年からの革命によって国
民国家となったフランス全土から、徴兵を行うことができた彼は1800年から1813年までの14年間にのべ
261万3千人を徴兵したといわれる。1812年に行われたモスクワ遠征では45万の兵士を動員している。
ナポレオンがそれまで率いてきた部隊とは比較にならない大部隊だった。当時、一度に動ける兵力は
45,000が限界だ、と言われていた。ナポレオンはその10倍を率いていたのだから、少なくとも全軍を10に分
割しなくてならない。そこで彼は部下を独立した師団に振り分けていく、師団制度を導入した。そこまでは正しか
ったが、ナポレオンは自身を天才だと考えていたので、参謀に頼ろうとはしなかった。命令を発しても、その命令
は師団には届くものの、意図までは伝わらない。指揮官には自分の血縁者を実力を無視して採用していたせ
いもあり、統帥がまるでうまくいかず、モスクワに入城するまでに4分の3以上の兵士が逃亡してしまっていた。
これにロシア軍の焦土戦術が加わりナポレオンは大敗北を喫することになったのである。
後方業務
ホワイトベースはマチルダ・アジャン少尉が指揮するミデア輸送隊から2度の補給を受けていた。補給こそ軍隊の
生命線であり、実戦部隊など前線にいて弾を撃つだけだ、と極論する人さえいるほどだ。この補給を指揮する能
力に優れていたのが、アレクサンドロス大王だった。彼のマケドニア・ギリシャ連合軍がペルシャ帝国軍に勝てたの
は、補給組織が優秀だったからだと言われている。国王が傭兵を雇って戦争していた17世紀ヨーロッパでは、補
給は本当に大事であった。食料の補給がうまくいかず、待遇が悪くなると、傭兵たちはあっさり脱走してしまうから
である。そのため、当時の将軍たちは食糧補給に神経を使った。新たな土地を占領するたびに、そこに貯蔵庫を
作っていかなければならなかった。
スパイ
ジオン軍は連邦軍のエルラン中将を買収してスパイとしたり、ベルファスト基地近くに住む少女ミハル・ラトキエを雇って
情報を集めさせてりしていた。サイド6(中立区域)にも市民を装ったスパイを配置していたし、アレックスの破壊を目指
したサイクロプス隊も一種のスパイ部隊といえるだろう。連邦軍のほうも、レビル大将の手元にジオン軍の新型モビルスー
ツの設計図が大量にあったことから考えて当然、諜報活動を行っていたものと思われる。
戦争にスパイはつきものだ。その歴史は古い。なにしろ『旧約聖書』の「出エジプト記」や『孫子』にその記述があるくらいで
ある。日本では隠密として南北朝時代あたりからスパイが活躍していた。戦国時代には、その活動は活発で、とくに甲賀
、伊賀の地侍は有名だ。伊賀の地侍は、本能寺の変の際に境から領国に脱出した徳川家康の身辺警護でその功を
認められ、江戸時代に入ると幕府に仕えた。ただし、その地位は極めて低かった。
欧米でスパイを組織的に使うようになったのは、ナポレオン戦争や南北戦争のあたりからである。日露戦争では、日本陸
軍の明石元二郎大佐がスウェーデンのストックホルムで、情報収集や後方攪乱活動を行っていた。スパイの組織的運用
が確立したのは第一次世界大戦だといわれる。オランダ出身のドイツ軍のスパイ、マタ・ハリが有名だ。彼女はオランダ軍
将校の妻だったが、パリでインド舞踊のダンサーとして頭角を現した。その裏では詐欺師モンテサック侯爵(自称)とともに
諜報活動を行っていたが逮捕され、銃殺された。第二次世界大戦が近づくにつれて、各国のスパイ活動はその規模が大
きくなっていった。1941年の秋、当時の近衛内閣のブレーンだった尾崎秀実(ほつみ)とドイツの新聞記者リヒャルト・
ゾルゲがソ連のスパイとして逮捕され、処刑された。
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