鈴木宗雄の外務省叩きの本を読んだばかりで、これを読むと、極めて冷めた目で読むことになります。
そんなバイアスがかかったものの感想として、読んでいただければ幸いです。
時は昭和38年、1963年の話なのでかなり古い。まだ日本円が固定相場制だった頃の話だ。
香港の第一印象は正直いって幻滅だった。これが何で”東洋の真珠”なのか疑いたくなる。なんて汚
くてゴチャゴチャした街なんだろうというものだった。まず匂いが鼻を刺す。干魚、鳥小屋の糞、ニンニク、
汐風、そして香水など色んな匂いのカクテルだ。
幻滅するかどうかは主観だが、確かに香港ってなんか臭うんだよな。
香港とは一体どんな所だったのか概説しておこう。
香港は99ヵ年の租借条約による英国植民地だと思い込んでいる向きが多いが、それは誤りで、 29平方
マイルの香港島と対岸の3.75平方マイルの九龍市は実は英国の永久領土なのである。香港は1842年
の阿片戦争の結果の南京条約で、九龍市は1860年のアロウ号事件で、それぞれ清国が英国に割譲し
た領土である。その他の九龍半島、新界地、そして235の付属島嶼が1898年7月1日の99ヵ年租借条約
で英国の植民地となった租借地なのだ。位置は東京の南西約3000キロにあるフリーポートで、買物天国
グルメの楽園、1年の2/3は夏というモンスーン吹く亜熱帯。人口は364万2500人(中国人98%)。空の玄
関は新界地にある啓徳空港だけ。当時、海底トンネルはまだ一本もなく、香港島への交通はスターフェリ
ー(人間用)とカーフェリー。北の国境は九広鉄道の終点羅湖。その向こうが中国領の深圳で、当時はま
だ見渡す限りの水田地帯で水牛の姿が見られた。
うーん、古い。人口も少ない。
九龍城に潜入
警察庁出向の香港領事の大事な任務の一つは、麻薬密輸に関する情報を収集し、警察庁に通報するこ
とである。そもそも香港が99ヵ年租借の植民地となった発端は阿片戦争だった。香港といえば麻薬犯罪
の代名詞のようなもの。着任の前々年である昭和38年1年間の香港の麻薬押収量は、ヘロイン112.68
キロ、生阿片709.72キロ、精製阿片37.18キロ、モルヒネ155.73キロという桁違いの麻薬王国なのだ。
香港警察は1年間で11箇所の麻薬密造所を手入れし、年鑑1300件を検挙し、タイラム麻薬刑務所には
昭和39年で652名の麻薬犯人が服役しているが香港の麻薬犯罪は一向に減少しない。それはヘロイン
一包、0.2~0.3グラムが1.5~2香港ドル(90~120円)という廉さであることと英政庁にとって条約上治外
法権で手を出せない旧清国領土の九龍城という無法地帯があって、根絶できないのだ。私は九龍城に
3回立ち入った。そこは東洋のカスパとよばれた犯罪の素であった。広さは日比谷公園の約半分の7万
6千平方メートル。外側はワンチャイ地区のぐらいの汚さだったが、奥に入るにつれ昼なお暗い。狭い迷
路で、下はどろどろ、ベトベト、食べ物の滓や排泄物が散乱し、みるからに病気持ちのような売春婦が
屯し、キセルで麻薬吸引している中毒患者が薄暗い土間にしゃがみこみ、悪臭が漂っている。麻薬は
ラオスの魔の三角地帯で栽培され、バンコック、マカオで精製され、香港に密輸される。
1966年頃、集中豪雨による大水害があるか思うと今度は異常渇水と英中関係悪化に伴う中国本土から
の送水停止による4日に4時間の給水制限という地獄のような生活不便、九龍暴動、「血債」要求闘争、
外出禁止令に国境地帯での英中銃撃戦、そしてヴェトナム戦争と文化大革命の影響を受けた紅衛兵デ
モ、ゼネスト、暴動、爆弾闘争、さらには抜き打ちのポンドの平価切り下げなど、英国の香港統治を根底
からゆるがすような危急存亡の政情不安、経済パニックが次々と起こった。特に1967年の香港はさなが
ら危機の見本市展示場の観を呈したのだった。だが治安状態を意外と良かった。殺人は日本を100とす
ると31%、強盗が44%、恐喝は8%といった具合で、英国の香港統治は麻薬の密輸などは別として治安面
では厳正に行われていた。
マカオの惨劇
事件の発端は、タイパ島での北京系学校の無許可改築工事をタカ派のセルヴェイラ総督代理が腹を立
てて中止を命じたことだった。永年前任者ドス・サントス総督の宥和政策になじんできた北京系住民は、
まさかこんなことで咎めたてされようとは夢にも思っていなかったので、中国大陸にたれこめる文化大革
命の「造反有理」の暗雲に勇気付けられ、12月3日マカオ市内で政庁に対して講義でもを行った。それな
のにセルヴェイラ総督代理は装甲車と軍隊を出動させ、最近本国からきたばかりの不慣れなポルトガル
兵士は、興奮してデモ隊に向かって発砲してしまったのである。この過剰警備によりふだんはのどかな
マカオの町は阿鼻叫喚の修羅の巷と化し、没義道な銃火を浴びてデモ隊の半数は街路の石畳になぎ
倒され、死者8名、負傷者123名を出す惨事となった。マカオは英国が武力で奪った香港と違い、当時か
らすると約400年前ポルトガル艦隊司令長官レオネル・デ・ソウサが海賊退治の功により明王から褒美
として割譲をうけた純然たるポルトガル領のプロヴィンス(海外州)である。
その後、ポルトガル側は中国側の要求を全面的に受諾し、カルヴァーリョ総督は勝ち誇って歓声を上げ
る数千の北京系住民の中を徒歩で歩かされて降伏文書に署名させられるという屈辱的な儀式を強いら
れるのである。事件責任者のセルヴェイラ大佐とフィゲレド警察長官は国外に逃亡した。こうして400年
に及ぶポルトガルのマカオ支配は実質的には終わり、実権は何賢(ホーイン)ら中共系住民指導者の手
に写った。1979年、西欧諸国のうち中国と国交の無い唯一の国だったポルトガルも北京を承認し、中華
人民共和国と国交を樹立した119番目の国となった。
中途半端なマカオのこの不思議な国際政治上の位置づけはマカオ事件から10年後の1987年に行われ
た中国とポルトガルの外交交渉の結果、「1999年に正式返還する」という共同声明で一応落ち着いて、
爾後は領有権はポルトガルにあるが、実効的支配権は中国にあり、その運用は中国共産党上層部、軍
部、官僚の賄賂などのブラックマネーをマカオ・マフィアの何賢(ホーイン)がカジノでマネー・ロンダリング
をして一定の手数料をとるという東洋のラスベガスの役割を果たしてきた。
1967年香港暴動 第七艦隊も出撃
香港政庁は、公共事業関連労働組合の反英ゼネスト参加者全員1万2000名を事前に警告した通りに解
雇し、ストを煽った北京系三紙を発禁処分にし、責任者を逮捕した上、軍警協力してヘリコプターまで動
因して文革派の拠点つぶしを開始し、実に1272箇所の強制捜査を敢行した。面白いのは12000名を解雇
した直後、悔い改めた者は再採用すると布告して、大多数を復職させたが、この辺が英国の植民地統治
のうまさななのだ。さらに英国政府はシンガポールから英海軍のコマンド空母「ブルワーク」(27300トン、
ヘリ20機、コマンド部隊900名搭載)と地中海から正規空母「ハーミス」(27500トン)と補助艦艇5隻の艦隊
を香港に回航し、さらにオーストラリア海軍の巡洋艦までやってきてヴィクトリア湾内に停泊するなど、断
じて一歩も引かない固い決意を表明した。アメリカ第七艦隊も空母「コンステレイション」や旗艦のミサイル
重巡洋艦「オクラホマ・シティ」を入港させて、友邦英国を支援する断乎たる姿勢を示し、公然とR&R (休暇
上陸)を続けて英政庁を応援した。いざ危急存亡の事態になった時のアングロサクソンの国際的団結力の
固さを見せつけられた思いだった。
「香港は天国だ。難をいえば家賃が高いことだ」という先輩たちの言葉も逆さになった。家賃が下がり始め
たのである。月額1080香港ドルで2年契約したばかりのコートウォールのフラットは850香港ドルになった。
香港進出の日本企業各社はパニック状態といって過言でなかった。人民解放軍や紅衛兵がきたら略奪さ
れるかもしれない厖大な在庫商品をどうする? こういう騒ぎの中、伊藤忠の鶴屋支店長は「私は対応方
針、もう決めてあるから騒がないの」とニコニコしている。
「香港の伊藤忠の全資産を資産目録にして中国語で二通、書類をつくってあってね、社員たちには略奪に
あっても財産守ろうとして抵抗してはいけない。彼らのしたい放題させておけといいつけてあるんです。怪
我をしたり殺されたりしたらいけないからね。それで進駐してきた人民解放軍の一番偉い奴のところに面
会しに行って、二通りの書類にお確かめの上署名してくださいという。司令官の署名さえもらったら、あと
は5年後、10年後、騒ぎが鎮まったところで北京と返還なり、損害賠償の交渉をするんです。」
後年米側が公表したヴェトナム戦争の総決算はそれがいかに悲惨で莫大なエネルギーの浪費であった
かを如実に物語っている。
1961年以降の戦死傷者数 <米軍> 戦死56,096名、<南越>戦死160,375名、<北越>戦死911,499名
投下爆弾量(1965~72年) 755万トン (第二次大戦 206万トン、太平洋戦争16万トン、朝鮮戦争63万トン)
米空軍機(被撃墜) 有翼機3695機、ヘリ4783機、(地上撃破) 有翼機2048機、ヘリ202機
米軍戦費 一次大戦(1年半)260億ドル、第二次大戦(3年8ヶ月)3410億ドル、朝鮮戦争(3年)170億ドル
ヴェトナム戦争(7年)1332億ドル(日本の当時の国家予算1790億ドル)
香港領事佐々淳行―香港マカオ暴動、サイゴン・テト攻勢 (文春文庫)
文藝春秋 2002-03 |
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