「孫子」の読み方 3/3~速く歩く、それが最強の軍

敵に対して、有利な位置に立つ。これは原則で「先手必勝」「先んずれば人を制す」はまさにその通りだが、残念ながら戦闘は囲碁や将棋と同じではない。というのは、碁石も将棋の駒も飯を食わないし馬糧もいらない。いわば補給なしで動く。また盤上には、山林・難所・湿地帯があるわけでなく、すべてが見渡せるから道案内はいらない。現実の戦闘では、先手、先手と追いかけると補給が続かなくなる。補給線が伸びきったところを叩かれる、企業では手を広げすぎて資金難に陥ったところを叩かれる、これが最も危険であって、有利な位置に立とうとすると、きわめて危険な状態になる。「兵は拙速を貴ぶ」は、前に記したような意味で、「拙速で有利な位置に立て」ではない。
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日本史の中で最も敏速な機動力を発揮したのは、秀吉だろう。その速度を測ると驚くなかれ、旧帝国陸軍より速いのである。なぜそれが可能だったか。その謎は、賤ヶ岳の戦いの記録を読むとわかる。まず、先手必勝で柴田勝家側の佐久間盛政が、琵琶湖北岸の秀吉方の砦を払暁に強襲して奪取する。守将の中川清秀は戦死。これが4月20日。彼は確かに有利な位置に立ち戦闘の主導権を取ったのだが、この結果、勝家側は軍が二分される。この危険を感じた老練な勝家は、すぐ引き返せという。だが、盛政は夜行軍と明け方の強襲で兵が疲れ切っているから、今夜は休養を取って明日帰るという。彼がこういうのも当然で、急使が大垣の秀吉の下に到着し、急いで彼が出発しても、到着は早くて明21日の午後か夕方になる。彼は老人は気が早いとか気が弱いとか言って、勝家からの再三再四の指示に従わない。


一方、秀吉は、急使が来た時は昼食中であったが、箸を捨てて立ち上がり、即座に50騎に先発を命じ、準備もそこそこに輜重なしで、糧食を携行せずに出発した。糧食を携行しないのだから身軽で速い。謎は先発の50騎にあった。彼らは行く先々の沿道の大百姓を訪れ、戦勝の暁には10倍にして返すという約束の下に、大釜で飯をたかせ、にぎりめしを作らせ、馬糧からたいまつ、飲料水まで準備させておいた。農民出身の彼はこの点、実に要領がいい。これと比べれば、帝国陸軍の飯盒炊爨は実に時間がかかる。まず穴を掘り、薪を集め、水を手に入れて洗米してから火をつけ、その上に棒を通した飯盒を吊るして飯を炊くのだが、穴掘りから食事終了までどんなに急いでも2時間半以上はかかる。秀吉軍は行軍しながら握り飯を食い、竹筒の水を飲んでいるのだから速い。20日の夜10時ごろ、盛政の部下がたいまつの群が美濃街道を急進してくるのを見、驚いて盛政に報告した。盛政が偵察させると、降ってわいたような敵の大軍が木の本に集結しているという。「しまった」と盛政は夜中の11時に退却を開始したが、夜中で道がよくわからず、3時ごろまでかかっている。秀吉は深夜2時に攻撃を開始し、4時にほぼ勝利を確保し、6時ごろ追撃戦に移った。だがこのことは「孫子」の言葉と矛盾しない。
琵琶湖近辺の地理を彼はよく知っていたから、道案内は別に要らなかったが、これが九州となると彼は全く知らない。しらないときには彼は用心深い。まさに「諸侯の謀を知らざれば…」につづく文章通りにしている。島津征伐のとき、彼は、島津に領地を奪われた小領主を麾下に入れて、道案内をさせている。彼らの「謀」は、言うまでもなく所領を取り返したいであるから、それさえ約束すればよい。その多くは先祖伝来の地だから、「山林・険阻・阻沢の形」はもちろん知っており、旧領内の人脈を利用できる。これを道案内に使う。まさに「郷導(道案内)を用いざれば、地の利を得ること能わず」である。
> 孫子も「アジア一国一愛人構想」をパクっているようである。
「上流に雨が降って泡立って流れていれば。渡河しようとする者は、水勢のおさまるのを待たねばならない。大体において次の地からは速やかに去って近づいてはならない。すなわち絶間(絶壁の切り立つ谷間)、天井(井戸のように落ちくぼんだ地)、天牢(三方が険阻で、牢獄のように狭い出入り口が一つしかない地)、天羅(草木密生したジャングル地帯)、天陥(低地の湿地で天然の落とし穴のような地)、天隙(山間部の細く狭い所で簡単に言えば狭間)。自分はこれから遠ざかって、敵をこれに近づかせ、自分はこれを攻撃し、敵はこの地を背後にするように、するがよい」
地形篇
以上、6つの地は、史上多くの大軍が勝負体の奇襲や遊撃戦すなわちヒット・アンド・ランに敗れた地形である。最近の例をあげれば、「天羅」すなわちジャングルに敗れたのが、ベトナムのアメリカ軍である。彼らの最高の敵はベトナム軍ではなくこの「天羅」であり、そのため枯葉剤を散布して「天羅」を一掃しようとしたが無理だった。また、「絶間」すなわち絶壁の切り立った谷や、「天隙」すなわち山間部の狭い所で立ち往生しているのが、アフガニスタンのソビエト軍である。戦車は谷を進まざるを得ないが、これは峩々たる岩山の絶壁の上からの格好の標的となるに過ぎない。かつてイギリス軍はカブールまで進撃したことがあるが、次から次へと連なる「絶間」「天隙」を見て、さっさと引き上げてしまった。この方が利口だろう。信長は、絶間・天井・天牢・天羅・天陥・天隙のすべてを備えるような長島から、通過の際にどのような挑発をうけかつ損害を受けようと攻撃しなかった。そして周囲を全部平定してから、これへの徹底的な「皆殺し作戦」を展開する。相手は極めて少数なのだが、その準備がすべて整うまで、絶対に手を付けていない。
火攻篇
当時、木造都市であった日本の大都会に焼夷弾をばらまくことは、米政府・軍部内にも反対があった。非戦闘員の無差別焼殺は戦争法規違反で非人道的の非難を受け、そのうえ軍事施設に打撃を与えるのではないから日本の戦力に打撃を与えない。これに対して、日本はアメリカのような工場生産を行っているのではなく、下請けから下請けへという形でその末端は家内工業になっており、軍需工場は、そうやって製造された部品のアッセンブリー・メーカーにすぎないから、一般の住居と工場の区別はつかない。そこでその戦力を破砕しようと思うなら、焼夷弾のじゅうたん爆撃をすべきだという説である。結局、後者の主張が勝ち、これが「火を行うに必ず因あり」の「因=原因」となった。
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