シンガポールで塾の先生をしている方に、最近の教育現場の実態を聞きました。
一つには学校の先生の地位。その地位の高さは田舎>都会、そして、昔>現在 という傾向がある
ものの私が子供の頃はまだ先生の地位は高かったのです。
「俺はお前が頭がいいなんて思ってねぇし、偉いとも思ってねぇ」などと先生に言うとプライドの高い
聖職者であられる先生方はたいそうお怒りでした。
しかし、ようやく時代が追いついてきたようで、今やそれがMajorityだそうです。
その背景には
勉強は塾でするもの。学校は行かなければいけないものという位置づけ。
親による「あの先生は学歴無いから言うことを聞く必要が無い。」という指導の影響もあるそうです。
時代は変わるものですね。授業参観に乗り込んで学校で暴れようかと計画していたのですが、
学校の先生の地位が既に低いとあらば、それは単なる時流に乗った弱いものいじめに過ぎず、
私の望むところではありません。
ここで私の立場を誤解の無いように説明するために引用します。

大学教授は学問を教えるが、小学校の教師は魂を教える。それなのになぜ大学教授が勲一等
で小学校の教師は勲四等なんだ!社会は小学校の教師を大事にしていない。俺は小学校の教師
は教師になる前に1年間どこでも希望の国に国費で留学させろと言っているんだ。そこで見聞を
広めさせ、それから子供たちに教えるんだ。それぐらいのこと国費でやってもいいじゃないか。
by角栄(中卒)

基本的にこの考えに同意です。ですが、魂を教える聖職者が公務員である限り、その評価に対する
ガバナンスが働いていない点を問題視しています。ですから単に鬱憤を晴らすために学校に嫌がらせに
行くのではなく、納税者、すなわち授業のスポンサーとしての立場から、リストラを含めてその選定をして
差し上げる
という信念のもと、授業参観に臨もうという極めて愛国・建設的な行動だと思っております。
さて話を元に戻しますが、さらに先生側にも変化があるようで、昔は教科書を読んで、板書してるだけの
先生が大半を占めていたのですが、最近の若い教師は、教えることを教わっており、多少傾向の違いが
見られるといいます。
以上を踏まえ、授業参観乱入・地方公務員強制リストラ計画はとりあえず棚上げ。
将来の日本を担う若者の意見も直接聞いていきますが、おそらく私の当面の立場としては、逆の
学校教育を支援する方向になっていきそうな気がします。
残念です。手が震えて黒板に字が書けなくするくらいまで、圧力かける自信はあるのですが。
それは別の機会に使うということで。