仙台から石巻まで、仙石線は5月末から開通するそうですが、5月中旬の段階では、途中の松島海岸から矢本の間は代行バスとなっており、電車一本ではいけない状態です。ただ、仙石線ではない別の線、東北本線と石巻線を使って直通電車を一日4本走らせています。震災から4年以上たってもいまだに電車が元通りになっていない。それから電車のことを、線っていうのがよくわかります。線と線をつないでいくのです。その線が途中で切れていれば、目的地にたどり着くことはできないのです。しかも5月13日の早朝の地震の日は、この臨時運行列車は終日運転見合わせ。翌日の5月14日でしたから、当日朝、行ってみないと運行しているかどうかもわからない状態でした。
ご参考経路
http://onagawafm.jp/archives/6789
仙台駅は広く、yahooの経路案内がクソでバス会社が不明なので、バス停がわかりません。運良く4本しかない電車の始発が今日は回復し運行するようなので、電車で石巻まで移動します。2両編成、途中停車駅はありません。1時間ほどで着きます。
石巻駅到着。うん、1年ぶり2回目とはいえ、なんか愛着わいてるなぁ、俺w 今回日本で回ったところでは、石巻が一番田舎なのだけど、ど田舎でもない。仙台との臨時運行直行電車が一日4本というのは田舎なのですが、バスもあるし、それほど陸の孤島感はありません。駅前は道路も信号もビルもある。ただし高層ビルはない。駅前・駅近に都銀も野村證券もないwただし七十七銀行はある。見てないけど郵便局もあるだろう。仙台や博多だと東京駅近傍と比べると地銀の存在感はあるけども都銀や証券会社も見ることができるので、立派な地方都市で、十分に都会です。
駅近を歩いて観測できる金融機関でわかる都会・田舎度
1.首都、東京:グローバルネーム、いわゆる欧米系金融機関、外資系金融機関(中国銀行や中国交通銀行)まである。
2.地方都市、福岡、仙台:地銀(福岡シティ、西日本、肥後、仙台、七十七)が一番存在感があるが、都銀や証券会社がある。外資系金融機関はない。
3.田舎:都銀と証券会社がなく、地銀と郵便局しかない。←石巻はここ
4.ど田舎:銀行がない、あるのは郵便局、JA、JF(女川)。下手すると鉄道や駅もないので駅近という概念もない。←女川はここ
まだ朝7:30でホテルにチェックインはできませんが、荷物だけ置いて、ホテルのロビーにて、翡翠社長と待ち合わせです。翡翠社長は、中国のシンジケート網にアクセスができ、私のお気に入りのアクセサリー、超いかちー数珠ブレスレットをデザインしてくれた人です。翡翠社長自身も数珠ブレスレットを2つもジャラジャラとつけていますが、その筋の怖い人ではありません。
石巻から女川までは車で30分程です。女川は仙台と逆方向、石巻をさらに東に行き、宮城県の最東部分になります。石巻の港の防波堤や補強工事も進んでいるので、石巻を含むこの辺りはトラックがとても多いです。一応、石巻線という線路があり、かなり綺麗な新しい女川駅があるのですが、まだ電車は開通していないようです。その駅の近くに女川町地域医療センターがあるのですが、高台に位置し津波避難所に指定されていたのですが、2011年は、その1階部分にまで浸水し、死亡者が出たようです。女川地区はリアス式海岸上の湾のような形で狭まっているため、津波が想定以上の高さにまで盛り上がり、被害が拡大したそうです。女川駅は海に近く、そこに向かう道路は津波の爪あとが残っており、要は今見ても地面がむき出しになっているところが浸水した部分というのがわかり、それがかなり高いところまで大地が削り取られています。
女川原発、女川原発PRセンターは、牡鹿半島のリアス式海岸沿いの山道をさらに20分ほど。原発の内部には入れないのでPRセンターへ。PRセンターのビルが・・・、バ・・・、バブル・・・、綺麗すぎだろ。駐車場は我々の車だけ。女川原発は東北電力管轄下、東京電力ではないのです。震源地からの距離は福島原発とほぼ同じ。しかし、女川原発は原子力発電所を安全に停止できたとしきりに自慢してくれます。要因は、1.敷地の高さ14.8m、2.海水ポンプ室のピット化、3.6,600箇所の耐震工事を実施、と言っています。原発の停止には、「止める」「冷やす」「閉じ込める」の3段階だそうですが、「止める」は炉心に制御棒を入れ、核反応がこれ以上進まないようにすることです。「冷やす」の段階で使うのが海水で、ポンプ室を立杭(ピット)内に設置することで津波の引き波時においても、冷却に必要な海水を設備内に確保できる構造になっていました。
原子炉は1~3号機まであり、この3つだけで宮城県下の電力全てをまかなうことができます。そして地震直後、すべての原子炉が自動的にすぐに停止。必要な電力は松島幹線、牡鹿幹線、塚浜支線と3系統あり、このうち2系統は、地震で使えなくなってしまいましたが、1系統がつながっていたので外部電力を受電することができました。仮にできない場合でも、発電所内に8つの自家発電装置があり、そのうち2つは地震は動作しなくなってしまいましたが6つは動く状態だったので、原発停止の際に必要な電力をまかなうことができました。
高台にあり、電力もあり、建物も破損しなかったので、女川原子力発電所は、女川地区の住民360名に震災直後、避難所としても使われていました。
という自慢話が聞くことができます。しかし、実際に現場に立ち会った東北電力の社員によれば、「想定していたのは500~600ガルまでで、実際には部分的に1000ガルほど揺れてしまった所もあり、運良く結果的に事故が起きなかったに過ぎない。」という声も聞かれました。
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