正しさ、正義、ということですが、果たしてそれは、本当のことを言う正直な態度の事であり、誰かから何かを預かった場合にそれを返すことであると全く無条件に言い切ってよいものでしょうか。それとも、ほかならぬそういう態度でも、時と場合によっては、正しかったり正しくなかったりすることもありうる、と言わねばならないでしょうか。

誰かから金をあずかっても、その返還と受領が害になるような場合、しかも返す人と受け取る人が友であるような場合には、それを返すことは「借りたものを返す」ということにはならぬと、そういうわけだね? シモニデスは正義とは何かということを、それぞれの相手にふさわしいものを返し与えるのが正しい、ということらしいが、ただこのふさわしいもののことを借りているものという言葉で表現したのだから。

シモニデス、医術と呼ばれているものは、何に対して、どのような借りているものを、すなわち、本来それにふさわしいものとして何を、与える技術の事なのでしょうか?

友と敵に対して、利益と害悪を与える技術だということになります。

してみるとあるものの有能な守り手は、そのものの有能な盗み手でもあるわけだ。

よく判断を誤り、実際には良い人間でないのにそう思ったり、あるいはその反対だったりすることがしばしばあるのではないか?

多くの人たちにとって、彼らが人間の判断を誤る限り、友に対しては害を与え-その相手は実際には悪い人間-、敵に対しては益をなすーその相手は実際には良い人間なのだからね-のが正義である、ということになるだろう。

トラシュマコス「もし正義とは何かを本当に知りたいのなら、質問する方ばかりに回って、人が答えたことをひっくり返しては得意になるというようなことは、やめるがいい。答えるように問うほうがやさしいことは百も承知のくせに!」

後の「裁判制度」である。法を定めたとしても、それを杓子定規に適用し、正義と不正を判断するのが難しい。当時から裁判制度はあり、それによりソクラテスは処刑されるのだが。

優れた人たちが支配者の地位につくことを承知するのは、金のためでも名誉のためでもないのだ。なぜなら、支配の仕事のための報酬をあからさまに要求することによって、金で雇われた者と呼ばれることも、役職を利用して密かに自らの手を汚すことによって盗人になることもともに彼らの欲するとことではないからね。もし、支配者となることを彼らに招致させようとするならば、強制と罰とが彼らに課せられなければならない。強制されるのを待たずに進んで支配者の地位につこうとするのはみっとももないことだと一般に考えられているのも、おそらくは、こういうところから由来しているのだろうね。罰の最大なるものは何かといえば、もし自分が支配することを拒んだ場合、自分より劣った人間に支配されるということだ。立派な人物たちが支配者になる時には、こういう罰が怖いからこそ、自分が支配者になるのだと僕は思う。

Forbes The World’s Billionaires
https://www.forbes.com/billionaires/list/#version:static

後の「1ドルCEO、スティーブジョブズ」である。ビリオネアは、相続で得たロレアルのリリアンばあちゃん(最近死んでそのまた娘の新しいリリアンばあちゃんになったが)を除き、生涯現役だ。誰もが持ちえぬその富を、もっとも効率よく配分する、それが彼らの責任なのである。

人に不正を加えることは利(善)、自分が不正を受けることは害(悪)であるが、ただどちらかといえば、自分が不正を受けることによって被る害の方が、人に不正を加えることによって得る善(利)よりも大きい。そこで人間たちがお互いに不正を加えたり受けたりし合って、その両方を経験してみると、一方を避け他方を得るだけの力のない連中は、不正を加えること儲けることもないようにお互いに契約を結んでおくのが、得策であると考えるようになる。このことからして、人々は法律を制定し、お互いの間の契約を結ぶということを始めた。そして法の命ずる事柄を『合法的』であり『正しいこと』であると呼ぶようになった。これがすなわち、正義なるものの起源でありその本性である。つまり正義とは、不正を働きながら罰を受けないという最善の事と、不正な仕打ちを受けながら仕返しをする能力がないという最悪の事との中間的な妥協なのである

後の「米国超大手グローバル企業の租税回避」である。合法的な節税であるw