真之の対バルチック艦隊の戦法もかれの独創で、どの国の戦術所にも無い。かれがいま練りつつある迎撃戦法はのちに「七段構え」という名称がついた。真之は敵を一艦残らず沈めるとすれば、原則としてこれ以外に無いと考えている。つまり、済州島あたりからウラジオストックの沖までの海面を、七段に区分するのである。その区分ごとに戦法が変わる
まず第一段はバルチック艦隊が日本近海に現れるや、すぐには主力決戦せず、いちはやく駆逐隊や艦隊といった足の速い小艦艇をくりだし、その全力をもって敵主力を襲撃し、混乱せしめる。この点、真之が熟読した武田信玄の戦法に酷似していた。第二段はその翌日、わが艦隊の全力をあげて敵艦隊に正攻撃を仕掛ける。戦いの山場はこのときであろう。第三段と第五段は、主力決戦が終わった日没後、再び駆逐・水雷という小艦艇をくりだし、徹底的な魚雷戦を行う。これは正攻撃というより、奇襲というべきである。次いでその翌日、第四段と第六段の幕を上げる。わが艦隊の全力ではなくその大部分をもって敵艦隊の残存勢力を鬱陵島付近からウラジオストック港の港外まで追い詰め、しかるのちに第七段としてあらかじめウラジオストック港口に敷設しておく機雷沈設地域に追い込み、ことごとく爆沈させるという雄大なもので、第一段から第七段まで相互に関連しつつ、しかも各段が十分に重なり合っていて。隙間が無い。その精密さと周到さという点において、古今東西のどの開戦史を見てもこのようではない。真之以前の歴史上の海戦というのは、多分にゆきあたりばったりの粗大なものが多く、真之はむしろこの緻密さを、陸戦の戦史を読むことで会得したといっていい。この七段構えについては、真之はそればかりを考えていた。
「ロジェストウェンスキー航海」といわれるバルチック艦隊の苦難の航海は、まだアフリカ大陸の端にさしかかったばかりであった。ロシアから極東の島国まで18,000海里、この記録的な目標に向かって、性能のそれぞれ違う大小四十数隻をひっぱって、この宮廷向きの司令長官は挑もうとしているのである。思うだけでも気の遠くなるような事業であった。「東郷とその艦隊を全部海底に沈めてしまうなら、この苦難も、一つ一つが宝石のように輝かしい記憶になるだが」と、人々は思った。しかし12,000の乗組員のうち、確乎とした必勝の見通しを持っているものはいなかった。というより、それが軍隊の自然かもしれなかった。東郷艦隊においても、その士卒の全員が必勝を確信しているわけではない。確信しているとすれば、よほど無智か、常人でない精神体質の持ち主であろう。
ロジェストウェンスキーの苦難は、この大遠征が、その遠征に必要な条件のすべてを供給されているのではないことであった。18,000海里の航海のうち、大半の港が、イギリスによって握られているか、その影響下にある。イギリスは、世界の海上における日本の代理者であった。イギリスは、国際法の許すギリギリにおいてバルチック艦隊の航海を妨げようとし、その艦隊を疲労させようとした。「この海上の悪漢。海上の優越者。ロシア帝国にとっての不倶戴天の仇敵、かれらがわが航海に加えた妨害の事実は数えきれないが、しかしながらみな恨みを呑んでこれを忍耐した」と、造船技師ポリトゥスキーは、11月2日付で、その愛妻に手紙を書き送っている。


11月3日、ロシアの友邦フランスの植民地であるモロッコのタンジールで士官まで炭紛で真っ黒になって石炭を積み込み、同5日出帆。どの艦もずっしりと石炭を呑み込んでいるため、本来腰高なロシア軍艦が、いっそう身を沈めていた。ある戦艦のごときは3000トン以上を積んでいた。港々で石炭が自由に買えるなら別だが、その点がイギリスの妨害によって制限されているため、このようにして無理積みに積んでゆかざるを得ないのである。
ともかく、石炭を積み込まなければならない。ロジェストウェンスキーの思考の大部分は極東で東郷艦隊とどう戦うかということよりも、石炭で占められていた。石炭が無ければ、戦場まで行けないのである。石炭ぐらいは、水準以上の港なら世界中どの港にもあるはずであったが、バルチック艦隊にとっては、それが極度に不自由であった。イギリスが石炭積み込みを妨害した。さきのタンジール港での場合、イギリス商人が、ハシケとザルを買い占めてしまって艦隊はひどく積み込み作業に不自由したが、そういうたぐいのことが無数に行われるのである。イギリスは日本にとってはこれ以上の同盟国ではなかったが、ロシアにとっては悪魔であった。
バルチック艦隊が、ノシベで2か月も停止したという理由の一つには、石炭問題がある。「良質の英国炭でなければ、機敏な艦隊活動ができない」ということはロシア海軍の首脳たちもむろん知っていた。そのための手も打った。ロシア政府はドイツのハンブルグ・アメリカン会社と既に契約していた。「極東への回航中はずっと洋上給炭をつづけること」ということと、「その石炭は無煙炭たるべきこと」ということがその契約の重要条件であった。ところが、その無煙炭は英国から買わねばならない。が、英国政府は日英同盟を忠実に履行すべく、ロシア艦隊の行動を合法的に妨害すべく、その無煙炭を右のドイツの石炭会社に売ることを一方的に制限してきたのである。ハンブルグ・アメリカン会社としてこれに窮し、バルチック艦隊に供給する石炭のほとんどをドイツ産の有煙炭にした。有煙炭は当然ながら火力が弱く、その分だけ蒸気が上がらず、そのために軍艦の性能どおりのスピードが上がらない。ロシア政府は大いにハンブルグ・アメリカンを詰り、ついに訴訟問題にまで発展するというかたちになっていたのが、このノシベの期間中での出来事である。ロシア政府としては、艦隊の回航中はロジェストウェンスキーに与えることを欲しなかった。艦隊が黒鉛を天になびかせてゆくようでは、敵に早く発見されるであろう。さらに火力の弱い石炭で、敵艦よりものろのろと行動していては、勝てる戦も負けてしまうに違いない
「いい石炭が欲しい」というのはロジェストウェンスキーの熱望であったし、ロシア政府もそれに答えようとはしていた。しかし残念なことに英国がそれを妨害して、ロジェストウェンスキーのもとには、ときに泥のような石炭か、そうでなければドイツ炭しかゆきわたらないようにした。この一事をみても、日本の幸福は英国と同盟できたことであったであろう。
いまひとつの待機の理由は、ロシア本国は、旅順艦隊を失ったかわりに、別な力をロジェストウェンスキーに与えたいということであった。-それまでノシベで待たせておこう。というのが、ロシア本国の考えであった。「もう一艦隊」というのは、要するにロシアに残っている老朽艦隊を掻き集めることであった。「まだバルト海にはロシアの軍艦がある」ということは、ロシアの人間なら水兵に至るまで知っている。ロジェストウェンスキーが、この艦隊を編成するにあたって、あまりに老朽なために置き捨ててきた軍艦たちであった。たとえば戦艦ニコライ一世がそうだが、これは戦艦は1万トン以上というこの時代(たとえば旗艦スワロフは13,516トン)にあって、9,594トンという旧式艦であった。現在ノシベにいる戦艦は二隻を除けば20世紀に入ってからの竣工のものだが、ニコライ一世は19世紀末の産である。一等巡洋艦ウラジミール・モノマーフ(5593トン)も黒海に繋がれているが、これも前世紀末の産で、速力は15ノットしか出ない。足の速さをもって生命とする巡洋艦が15ノットしか出ないというのは、もはや20世紀の概念での巡洋艦ではない。たとえば、いまノシベにいる一等巡洋艦オレーグ(6,675トン)は20世紀に入って3年目の竣工で、速力は23ノットであった。15ノットと23ノットの軍艦がセットになって艦隊行動を行う場合、23ノットは15ノットの方にあわさねばならないのである。「浮かぶアイロン」と、のちに水兵たちが悪口を言ったのはそれらの旧式軍艦であり、-それらの黒海の軍艦を修理して、第三太平洋艦隊を編成し、ネボガトフ少将に指揮させ、ロジェストウェンスキーの指揮下に入る。という案をロシア本国はたて、やがてその旨をノシベにいるロジェストウェンスキーに通達してきた。「冗談ではない」と、ロジェストウェンスキーが叫んだのも無理はなかったであろう。大体、ロシア海軍の最新鋭の軍艦群は、旅順艦隊に集められていた。その半分くらいがロシア製でなく外国製であることがロシア人にとって新鋭という最大の証拠であった。たとえばレトウィザンは米国製であり、ツェザレウィッチはフランス製であった。どの軍艦も建造されて新しくその機会は最新の技術でできあがっていた。それがことごとく海底に沈められてしまっているのである。
現状下において、ロジェストウェンスキーとして取るべき決心を述べている。その決心は、東郷艦隊と正面から決戦をするというものではなかった。むしろそれを避け、一路ウラジオストックに向かって驀進し、ウラジオストックを根拠地にして敵の海上交通を脅かすということであった。「それが、私が取ることができる最良にして唯一の方略である」と、ロジェストウェンスキーは断言している。その方針を取るとすれば、老朽戦艦が参加すれば、ウラジオストックへの「驀進」が不可能になる。となれば、かれらが参加してヨタヨタと極東に近づいていけば、当然東郷艦隊と真正面から決戦せざるを得なくなる。ロ提督はそれを避け、オラジオ遁入主義を取りたかった。ところが、本国はそれを無視した。
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