真之は帰朝後ほどなく胃腸を病み、長与病院に入院したことがある。小笠原長生少佐が見舞に行くと「あなたの家に、海賊戦法の本はないか」と、真之はたずねた。小笠原長生は、九州唐津の大名だった小笠原家の当主である。家に帰り、旧家臣などにたずねたりして、珍しい本をさがしだした。「能島流海賊古法」という写本で、5,6冊から成っている。瀬戸内海は日本の海賊の巣窟で、遠くは源平時代から栄え、そのころはかれらは当初平家に味方し、あとで源氏に味方して義経に指揮されて壇ノ浦で平家の船隊を殲滅した。鎌倉をへて南北朝時代になり、世の中が乱れると、彼らの勢いはいよいよ盛んになった。瀬戸内の諸水軍を大統一したのは伊予の村上義弘である。かれは戦法に長じその戦法がやがて村上流と言われるようになった。やがて村上氏は、因島村上氏、来島村上氏、能島村上氏などにわかれた。能島は伊予大島に付帯する島で、全島が城塞化され、能島村上氏の根拠島になる。ここで能島流戦法が生まれた。
とくに真之が感銘したのは「わが全力を挙げて敵の分力を撃つ」というところであった。これが水軍の基本戦法であった。そのための陣形として「つねに長蛇の陣をとる」とその戦法書にある、近代海軍の用語にいう縦陣である。艦隊をながながとタテに並べて敵に向かっていく。この陣形は応変が効きやすく、敵の分力を包囲するにも便利であり、真之が最も感じ入ったのはこの点であった。結局はこれが秋山戦術の基幹になり、日本海海戦の戦法、陣形にもなっていく。
水軍戦法に、虎陣、豹陣というのがあった。ついでながら海賊たちは虎の女房は豹だと思っていたらしい。だから、この場合、亭主陣、女房陣と翻訳してもいい。虎陣が本陣である。それが島蔭かどこかに隠れていて、弱弱しい豹陣が敵の来る水域をうろつき、やがて敵が来ると逃げると見せて虎陣のほうへひきよせてゆく。時機を見て虎陣があらわれ、たちまち噛み殺す。そういう戦法である。のちバルチック艦隊が日本近海に現れた時もそうであった。豹陣として、第三、第四、第五、第六戦隊を出しておき、敵艦隊と接触しつつ、これを沖ノ島の北方に待機している「虎陣」第一、第二戦隊のほうへさそいこみ、見事に成功した。そのほか真之の戦法には古来の戦法から得ている者が多い。
山本権兵衛、海軍建設者としては、世界の海軍史上最大の男の一人であることはまぎれもない。かれはほとんど無にちかいところから、新海軍を設計し、建設し、いわば海軍オーナーとして日清戦争の「海戦」の設計まで仕遂げた。清国海軍が、定遠と鎮遠というずばぬけて巨大な戦艦をもちながら、その他の持ち船となると軽重まちまちで、速力も一般に鈍く、鈍さも平均的でなく遅速まちまちであるということに権兵衛は目を付けた。それに勝ちうる日本艦隊をワン・セットそろえるにあたって、まずできるだけ高速艦を外国に注文した。予算が貧弱だから清国の艦よりひとまわり小粒の艦ばかりであったが、高速で平均した艦隊速度も清国より速く、要するに艦隊の連動性を極めて高くした。極端に言えば軽捷な狼の群をもって犀の群を襲おうという考え方であり、その方法で、艦隊を作った。大砲もそうである。敵は巨砲を持っているが、こちらは艦載速射砲をうんと積み、敵に致命傷を与えないまでも、小口径の砲弾を短時間内におびただしく敵艦に送り込むことによって、敵の艦上建造物を薙ぎ倒し、敵乗組員の艦上活動を妨げ、やがては火災を発せしめて艦そのものを戦闘不能に陥らせようとした。その権兵衛の構想は見事に成功した。
小村はべつに英国好きではなく、英国外交の老獪さを彼ほど知り抜いている者はないといっていいほどだったが、日露同盟案か日英同盟案かを決める場合、まず露英の両国の信用度で判断しようとした。かれは下僚に命じ、ロシアおよび英国がそれぞれ他国と結んだ外交史をしらべさせたところ、おどろくべきことにロシアは他国との同盟をしばしば一方的に破棄したという点でほとんど常習であった。しかし英国には一度もそういう例がなく、つねに同盟を誠実に履行してきている。さらに、「ロシア国家の本能は略奪である」と、ヨーロッパで言われていたように、その略奪本能を、武力の弱い日本が、外交のテーブル上で懇願してかれ自身の自制心によって抑制してもらうというのは不可能であった。
例の三国干渉のあと、干渉した当のロシアが満州をつかみとってしまった時、小村寿太郎は外務省の山座円次郎政務局長に
「アイヌが熊を生け捕りする方法を君は知っているか」
と、いった。アイヌはまず、海岸に数の子を大量に干しておく。熊がやってくる。熊は際限も無しに数の子を食い、ついにはのどがかわいてたまらなくなり、波打ち際に首を突き出して海水を飲む。塩水のためいよいよのどがひりつき、いよいよ飲む。そのうち胃の中の数の子がふくれてきて熊は身動きが取れなくなり、そこへアイヌが近づいてなんなく手捕りにする、と小村がいった。小村が言うこのたとえ話の熊とはロシアのことである。アイヌは日本である。数の子は満州であり、朝鮮半島は塩水というわけであった。熊が朝鮮という水を飲み始めたとき、列国はついに黙っていなくなる。小村にすればその時日本は列国の助けを借りて熊退治をすればいいのだ、ということであり、この預言は的中し、英国といういわば千両役者が出てきてくれた。
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