当時の口語であるパーリ語で経を残した上座部仏教は正しいと言いました。しかし、上座部が忘れている事があります。それは釈迦は「誰にでも理解できるよう、そのときの言葉で語り継ぎなさい」という意味で弟子に指示したということです。今、パーリ語を日常の言葉として使用している人はいません。ですから、パーリ語のお経で布教活動をしている上座部は、釈迦の言いつけを半分しか守っていないことになります。もちろん、お経をはじめからサンスクリット語で書いてしまった大乗は最初から失格です。
しかし大乗仏教は釈迦のオリジナルの教えから逸脱した、もしくは反する教義を取り入れてしまった反面、釈迦の教えをより理解し発展させた大天才が登場したのです。それが、釈迦の縁起説を「空」という概念で説明したナーガールジュナ(龍樹・150年~250年ごろ)であり、チベット仏教を完成させたツォンカパ(1357年~1419年)です。ツォンカパはダライ・ラマが所属するゲルク派の開祖でもあります。ナーガールジュナは正確な伝記が残されていないため、実在の人物かどうかわかりませんが、少なくとも彼の著作とされる『中論』を読む限り、釈迦の思想を一つの形で表すことに成功しています。ただ、ナーガールジュナの他の著作には、「浄土」といった「空」の概念とは矛盾した記述も多く、すべてを評価できるわけではありません。もしかするとナーガールジュナはひとりではなく、複数の人物の書き残したものがナーガールジュナの作として後世に伝えられた可能性があります。
「空」とはもっとも抽象度の高い概念
人間は概念によって物事を認識しています。例えば、犬という概念について考えてみましょう。人は「チワワ」も「プードル」も同じ「犬」として認識することができます。「犬」に対して「チワワ」「プードル」はより対象が限定された具体的な概念です。これを抽象度が低くなったと表現します。もっと具体的に「隣の山田さんが飼っているポチ」になるとさらに抽象度が下がります。具体的であるほど、抽象度は低くなるのです。反対に、「ペット」は、「犬」より抽象度が高い概念です。さらに、「ほ乳類」「動物」「生物」・・・と抽象度を高めていくと、どんどん具体性が低くなっていきます。抽象度が高い概念は、具体性という情報量は少なくなりますが、より多くの概念を含むことができます。
抽象度は最終的にはどこまで高められるでしょうか。「物質」でしょうか。物質は「有」という概念とイコールと考えられます。仏教では「色」(しき)と呼んでいます。しかし、「有(色)」に対立する概念も存在します。それが「無」です。ナーガールジュナは、「有」と「無」を含む、さらに上の抽象度の概念「空」を説きました。有であれ無であれ、世の中のあらゆる存在と現象を包摂する上位概念が空というわけです。「空」は、釈迦が説いた「縁起」の思想にも通じるだけでなく、不確定性原理や量子力学にも合致しています。電子や素粒子といった、量子レベルに小さい存在は、位置と運動量を同時に知ることができないと言う原理が不確定性原理です。さらに超ひも理論では、ひもが振動しているとき素粒子は有とされ、振動していないときは無だということが発見されました。有と無は表裏一体であり、物理学の世界では完全に分けることができないのです。すべては、「空」であるという思想に見事にマッチします。これが物理学の成果を知る欧米人がにわかに仏教を好きになる理由です。もちろん西洋では、神はいないとする仏教が悪魔の宗教とみなされた歴史があります。宗教を神を信仰するものと定義するなら、仏教は宗教の範疇には入りません。西洋の宗教比較額の研究対象として仏教は当てはまらないのです。しかし、その定義は狭すぎます。「超越的な存在」として人が信じる対象は、すべて宗教現象と考えることが可能です。お金に絶対的な価値を置く資本主義も宗教なら労働を絶対的価値とする共産主義も広い意味で宗教です。神ではなく、「空」や「縁起」を説く仏教を宗教と呼んでかまわないのです。
釈迦の宗教活動はカースト違反だった
釈迦はバラモンの次の階級であるクシャトリヤの出身です。宗教活動はバラモンのみに許されていましたから、身分不相応の行為だったのです。それが黙認されていたのには、2つの理由があります。ひとつは、釈迦の初期の弟子たちは全員がバラモン階級の出身だったことです。釈迦よりも身分が上で、すでに弟子が何千人もいるような宗教者たちが、釈迦の教えに感銘を受けて次々に帰依したのです。バラモンが釈迦を認めたのだから他のバラモンたちもノーと言いにくかったのでしょう。もう一つの理由は、釈迦はかつてシャカ国の王子だったことです。王子といえばクシャトリヤの中でも最上のクラスです。しかも、布教活動のほとんどは、シャカ国はマガタ国など、親の国もしくはその友好国の中で行われていました。
バラモンたちにしてみれば「バラモンの真似事をしているやつがいるらしいけど、王様の息子らしいし多めに見てやるか」という感じで、見逃されていたのでしょう。ただし、それが許されていたのは、釈迦がカーストに対して異議を唱えるまででした。あるときを境にシャカの教団は反社会的だと糾弾されるようになります。最初のきっかけは、女性の出家を認めたことです。インド社会においては、女性は男性に比べて圧倒的に低い位置に置かれていました。たとえバラモンの妻であっても儀礼的にはシュードラとして扱われるのです。しかし、シャカは女性の出家についてある時期まで頑なに拒んでいました。その理由は様々に推測されていますが、私が考える最大の理由は、当時の出家者の生活は到底女性には耐えられないような厳しいものだったからです。出家者に認められた所有物は、ぼろぼろの衣が3枚と托鉢用のお椀、それに虫歯にならないように爪楊枝を1本だけ。衣が3枚なのは、1枚は着るため、1枚は座るときに下に敷くため、もう1枚は選択に回すための予備です。今のような寺院など存在せず、眠るのはその辺りの道端です。当然、女性がそんな生活をしたら身の安全が確保できません。後に精舎が整備されるようになると、釈迦は始めて女性の出家を認めるようになります。弟子が殺され始めるのはこの頃です。
決定的だったのは、もっとも差別されていたアウト・カーストを弟子にしたことです。当時の釈迦は、同じく暗殺によって命を絶たれたマハトマ・ガンジーや、マーティン・ルーサー・キング牧師のような社会活動家だったと考えてもいいでしょう。宗教の違いはあるものの、アメリカの公民権運動(黒人の権利を獲得する運動)を指導したキング牧師にかなり似ています。もちろん、釈迦は表だって「カースト撤廃運動」をしたわけではありません。していればその瞬間に殺されていたでしょう。しかし、釈迦の教えはカーストを根幹から否定するものでした。カーストなどインドの社会制度は、『ヴェーダ』などバラモン教の聖典をもとに形作られました。バラモン教は紀元前13世紀前後にインドへアーリア人が侵入し、先住民族のドラヴィダ人を支配するために作られたとされています。もともとが侵略者の支配を固定化するために作られた宗教なのです。そしてバラモン教の権威を高めるために『ヴェーダ』が編纂されます。