母子の決裂
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ネロは母の権力を弱めるにはまず彼女の腹心の者を除くことが最も効果があると考えた。そのめあてはほかならぬパラスである。彼はクラウディウスによってカエサル家の財産管理を委任され、巨富を積んで王者のようにふるまっていた。それにアグリッピナを妃にのし上げた功労者であり、彼女の陰の愛人でもあった。それでも彼は解放奴隷としてカエサル家に私的に任用されているにすぎないので、公式の手続きなしに簡単に首にすることができた。パラスはすでにこのことを予期していたのか別に抗議もせず、仰山な取り巻きたちを引き連れて悠然とカエサル家から退出していった。
さてパラスの失脚によって足元が崩れ落ちるように感じたのはアグリッピナである。そして実子ネロに向って次のように言い放った。「ブリタニクスはいまや立派な青年です。父の統治権を受け継ぐには、彼の方こそ正統な世子です。お前は他家から侵入して養子におさまり、おまけに母親を虐待する目的で統治権を乱用していますからね。」こういうなり彼女はもう何もかもぶちまける暴露戦術で息子に挑戦した。彼女がネロのために犯した数々の罪悪、とりわけ彼女がクラウディウスと結婚し、また彼を暗殺したいきさつを臆面もなく喋り捲り、さらに、シラヌス兄弟、その他数多くの犠牲者の名を上げてネロを責め罵った。


母の威嚇に加えてブリタニクスの怨みをはっきり知ると、ネロはもう一刻の猶予もできないと感じた。さっそく彼は、アグリッピナの手先となってクラウディウスに毒を盛ったロクスタを呼び寄せようとした。この悪名高い女は他にもある毒殺事件に係わりをもって近衛軍副官のエリウス=ポリスに監禁されていたので、ポリオに命じてロクスタに毒薬を作らせ、その毒薬はこれも手名づけたブリタニクスの家庭教師の手からブリタニクスに飲まされた。しかしブリタニクスは食物と一緒に吐き出してしまった。狼狽したネロは「お前ら2人は世間の噂を気にし、万一の場合の逃げ道を作って、世の身の安全を二の次にしている」とどなりちらし、ロクスタは死刑、ポリオも責任は免れぬぞと脅した。そこで二人は青くなって今度は間違いなく即効のある猛毒を調製することを約束した。ブリタニクスはネロと食事を共にする慣わしだったが、彼の前に出される食べ物はすべて毒見係が試食する建て前になっていた。まず’毒の入ってない非常に熱い飲み物を毒見係が吟味し、ブリタニクスにすすめる。彼はそれを飲もうとしても熱すぎて飲めず冷水を加えるように命令する。そしてその水の中に毒を入れておく。実際計画は筋書き通りに行われた。猛毒はすぐにブリタニクスの体中を回り、この不幸な皇子は一言も発する間もなく絶命した。ネロの方はローマのしきたりの横臥した食事の姿勢のまま、何も驚くことは無いといった顔つきで、「いつもあのとおりだ。癲癇のせいさ。子供の時からの持病なのだ。すぐに息を吹き返すだろう」と言ってのけた。
ネロと母の間柄はもう元へは戻らなかった。アグリッピナはブリタニクスの急死のショックからすぐに回復すると、持ち前の執念で資金を集めてはばらまき、ネロの新しい対抗馬を物色する一方、近衛軍の将校たちを手なづけようとした。これを知るとネロは彼女の手から護衛兵を奪い、素朴な忠誠心を彼女に傾けていたゲルマン人の一隊をも召し上げてしまった。それから彼のところに伺候する人々が母のもとに立ち寄らないように、母を宮殿からもとの小アントニアの居館に映した。ネロはときたま儀礼的な訪問をしたが、いつも100人隊長に厳重に護衛させてそそくさと挨拶しては引きあげた。こうしてアグリッピナはわが子と取り巻きから見捨てられ、訪れる人も稀になった。
あくの強い母に教育されてきたネロは、母からの開放を喜びながらも、無意識に強い女を憧れていた。そこにポッパエア=サビナが登場してきた。妖姫の手管「だってあなたは人の命令に縛られて、統治権はおろか自由までも奪われているではありませんか。もしそうでなかったら、何故私との結婚を伸ばしているのでしょう。私の容姿や私の祖先の凱旋将軍たちがお気に召さなくって。それとも私が子を産めない女とでも、あるいは真実の愛情の無い女とでも思って。いやそうではありません。私があなたの妻となったら、きっとあなたの目を開き、母上の傲慢と貪欲を、元老院がどんなにこぼし、市民がどんなに怒っているかをあなたにわからせるだろうと、母上は恐れておられるのです。もしアグリッピナ様が息子の害になるような女以外はどうしても嫁にしたくないのなら、また私をオトーの妻にしてください。私は世界中どこにでも参ります。あなたの危険にかかわりあって、そばで見ているよりもどれだけ気持ちが楽なことでしょうよ。」 妖姫ポッパエアの媚態と怨み言を混じえた手練手管にはネロ以外の男でも抵抗できなかっただろう。
母と子の危険な関係
40歳を過ぎてはいたが、アグリッピナはまだ自分の美貌に自信を持っていた。そこで昼間からネロが酒と饗宴で熱くなっているころ、入念に化粧して現われ、みだらな接吻や恥ずべき行為の前触れと思われそうな愛撫によって息子の頭を錯乱させた。彼女のそばに横になったネロは、彼女が自分の母であることを忘れてしまいそうになることが一度ならずあった。そのつどセネカは、ポッパエアよりもさしさわりのないアクテを呼びにやり、彼女の助けを借りたというが、母子相姦の忌まわしいできごとを阻止できたかどうかは疑わしい。アグリッピナがネロを自分の邸に招いた時などセネカを寄せ付けなかったかもしれない。アグリッピナはいまや「母」から「愛人」になって影響力を回復しようとし、ネロの方は、いままで長い間畏怖の的だった母が、彼の欲情に身を任せるひとりの女に転落したのに倒錯した満足感を覚えたのかもしれない。スキャンダルはたちまちローマ中に広がる。アクテは「母上はそれを自慢しておられますが、兵隊は罪に汚れた元首の命令に従わなくなるでしょう」と真剣に訴えた。ネロはいまさらながら事の重大さを認識し、母と二人きりのデイトを避けた。しかしディオ=カシウスの記すところによると、母との背徳の関係の思い出は彼に甘く苦く付きまとい、肉体的に母に似ている女を見つけて官邸に呼び寄せ、癒しがたい情欲を充たしてはその後でオイディプス王にも似た激しい自己嫌悪に襲われたという。彼は母にローマ近郊の別荘に行くことを勧め、努めて彼女を自分から隔離しようとしたが、ついに彼女がどこに居ようが重荷になることを自覚し、亡き者にしようと決意した。
アグリッピナの暗殺
毒殺はブリタニクスの場合との類似が目立つばかりでなく、アグリッピナのほうが専門家で十分に警戒している上に、食前にあらかじめ解毒剤を服用して身の安全を計っているという。剣では人目につかず殺せる方法は容易に見つからないし、手先がしり込みして、仕損じる恐れもある。3月19日から23日までのミネルヴァ祭の間、ネロはナポリ湾の快適な別荘バイアエに行く慣わしだったが、そこに母も招待することにした。アグリッピナは近頃たえて味わえなかった幸福感に満ちたり、快い酔いも手伝って往路に彼女を運んだかごを呼ぶことも忘れて船に運び込まれてしまった。合図とともに多量の鉛で重くなった部屋の天井が落ち、クレペレイウスは即死した。アグリッピナとアケロニアハは臥床の枠板の背が高く重荷に耐えるほど頑丈だったので命拾いした。陰謀であることをふたりの女はとっさに感じ取った。アグリッピナがアケロニアに目配せすると、その気持ちを汲んだアケロニアは「私はアグリッピナです。元首の母を助けねばなりません」と叫んだ。彼女はたちまち、船竿や櫂で殴り殺されてしまった。彼女は肩に傷を受けていたがこの好機をつかんで静かに水の中に滑り込んだ。しばらく水に浮かんでいると漁夫の小船に出会って助けられ、自分の別荘に担ぎこまれた。
一息つくと彼女は、この陥穽から逃れる道は気づいていないフリをすることだと考え、解放奴隷のアゲルムスを使いとしてネロに報告させた。ネロは、アニケトゥスが来て、アグリッピナは海底の藻屑と消えたと報告したが、それでも心がやすまらなかった。そこに母からの使者が到着し、彼女は災難を逃れたから安心されるよう、委細は直接元首に目通りを願って奏上したいと申し出ていると知らされた。こうなるとネロはもうすっかり気が顛倒してしまった。母が事件の真相を気づかないはずは無い。すぐにも復讐にかかり、奴隷を武装させるか、軍隊を扇動するか、いやきっとローマに急行して元老院と国民に訴え、母殺しの陰謀を暴露するだろうと極度の恐怖に襲われた。
正面切って母を殺すためには正当な理由と物的証拠をあらかじめ用意しておかなければならない。そしてそれはとっさにでっち上げられた。それまで待たされていたアゲルムスが呼ばれた。彼がネロに女主人の伝言を述べている間に、ネロは短剣を一振り床に落とし、衛兵を呼び入れて逮捕させた。アゲルムスはアグリッピナの命を受けてネロを暗殺に来た現行犯に仕立てられてしまったのである。アグリッピナは今度はもう逃れようも無い最後が迫ったのを察しながらも、寝台から少し身を起こし、アニケトゥスに向って気丈に言い放った。「お前が見舞いの使いに来たのなら、もう快くなったと息子に伝えておくれ。もし悪いことをしにやってきたなら、息子がよこしたとはどうしても信じられない。息子が母親を殺すように命令するはずがありません」 刺客たちはこの問いには答えず、ぐるりと寝台の周りを取り巻いた。まず船長が棍棒で彼女の頭に一撃を加え、とどめを刺そうとと100人隊長が剣を抜くと、アグリッピナはあえぎながらも寝間着をまくって下腹を出し「ここを突いて、さあ。ここからネロが生まれたのだから」と叫んだ。
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