検索市場の優位性をカネに変えるには?
グーグルは検索技術を他のウェブサイトに提供し、収入の一部を受け取ることにした。技術の利用者を広げるとともに、利用の対価を手にするためだ。最も大きな契約が成立したのは、2000年6月、ヤフーの公式の検索エンジンに採用されたのだ。この地位を獲得するため、グーグルはヤフーに370万株分のワラントという莫大な対価を支払った。それにもかかわらずヤフーはホームページ上にグーグルのロゴが入った検索窓を置くことすら認めなかったため、ユーザーにはグーグルを使っていることがわからなかった。グーグルにとってこの契約は新たな節目となった。検索トラフィックは提携初日に1日1400万件に倍増したのだ。2000年末には、専門家の多くはグーグルを最高の検索エンジンと考えるようになったが、その実態をつかんではいなかった。1日の検索処理件数が1億件に達し、世界で40%近い市場シェアを占めるようになったグーグルがネット上で最も利用件数の多い検索エンジンであることは間違いなかった。急成長はグーグルに、ユーザー情報という資産をもたらした。その重要性は、当時完全に理解されていたとは言い難い。検索件数の増加によって、より多くのユーザー情報が集まり、検索の質のさらなる向上に結びついた。それだけではなく、やがて膨大な広告収入をもたらすことになった。


とはいえ当時はトラフィックやデータをカネに換え、検索から利益を生み出す方法はまだ見つかっていなかった。AOLとは異なり、バナー広告やディスプレイ広告を載せるコンテンツページも無かった。2000年10月、グーグルは「アドワーズ」と呼ばれる初の広告プログラムを導入した。広告主は特定のキーワードに対して広告料を支払い、検索結果の横に小さな文字広告を出す。すべてセルフサービスのシステムだった。グーグルに希望するキーワードを送った広告主は、ネット上でそのキーワードが入力された回数を確認していた。アドワーズはネットという新しいメディア上の広告プログラムだったが、発想は旧メディアの使っていたCPMモデルと同じだった。テレビ・ネットワークの広告では、数百万人の視聴者の目の前で30秒のスポット広告が流れているのは分かっていても、実際にそれを見ているのか、またそれが購入に結びついているのかを把握できなかった。アドワーズでも広告主の支払う料金は、広告が表示された回数だけで決まっていた。ユーザーが商品についてより詳しい情報を得られるように、広告から広告主のホームページへのリンクは張られていたが、ユーザーがそれをクリックしてもグーグルには追加収入は入らなかった。
ローレンス・サマーズの子飼い
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ローレンス・サマーズ財務長官の首席補佐官の任務を終えようとしていたシェリル・サンドバーグ、クリントン政権は幕引きに近付いており、31歳のサンドバーグは引く手あまただった。「政府で働いたことで、以前よりナイーブではなくなったの。昔のように『民間部門は悪で、公共部門は善だ』とは考えなくなった。シュミットが彼女に与えたベンチャー・キャピタリストにも秘密にされたその任務とは、まだ利益も出したことも無い創業4年のグーグルが、私募増資で新たな資金を調達することが可能かを探る、というものだった。サンドバーグが打診した人々の総意は、グーグルの企業価値は10億ドルというものだった。創業者とシュミットの反応は「そのような評価は”完全な屈辱”であるため増資はしない」というものだった。増資計画は棚上げ、「また仕事を探さなくてはならなくなったの。ちょうどオミッド・コーデスタニがアドワーズCPC(コスト・パー・クリック)を導入しようとしていた時期で、彼のチームで働きたいと思った」とサンドバーグは語る。コーデスタニらの考える広告の売り方は、サンドバーグには革新的に思えた。もしうまくいけば営業部隊が不要になり、広告販売の効率が高まるはずだ。さらに広告主に対して、キーワードによりふさわしい広告を作ろうとするインセンティブを与える。検索結果ページに広告が表示される順位を、キーワードへの入札価格だけでなく、広告が何回クリックされたかに応じて決めることにしていたからだ。クリックが多いほど、広告単価は割安になり、掲載順位は上がるというわけだ。
アドワーズは、広告主はユーザーがクリックしたか否かにかかわらず広告料を支払う、昔ながらのCPM(視聴者1000人あたりのコスト)方式を採用していた。それに対してサンドバーグらが密かに研究していたのが、オーバーチュアが先陣を切ったCPC(コスト・パー・クリック)方式への転換だ。CPCモデルを、広告に対するユーザーの評価と組み合わせてみたらどうだろう?「クリック数が多いほど、広告は支持されている」と考えれば、エンジニアが広告の質を評価するためのアルゴリズムを作れるはずだ。まずグーグルがキーワードごとに最低入札価格を設定し、広告主が15ドルで入札したとする。もし2位の入札価格が10ドルであった場合、トップの入札者が2位の入札価格である10ドルに1セント上乗せするだけで良い。グーグルにとっての利点はいくつもある。単純にクリック数に応じて課金する方式を採用することで、他社の広告も簡単に扱えるようになった。つまり、グーグルの検索結果ページだけでなく、他社のサイト上の広告も販売できるのだ。様々なプラットフォームの広告を扱うほど、グーグルの元には多様なデータが集まり、広告主にとっての魅力が高まる。グーグルはイエローページ(電話帳)以外に広告を載せる機会の無かった膨大な数の広告主にネット広告という選択肢を与えた。グーグルの広告販売システムは完全に自動化されているため、広告主の作業負担も大幅に減る。グーグルに希望するキーワードと入札価格、1ヶ月あたりの予算、それに請求先を送信するだけで良いのだ。その後は「グーグルアナリティクス」を使って、ネット上での広告の効果を確認すれば良い。
アドワーズの新バージョンは2002年の2月に稼動した。だがその前に、ペイジとブリンが大幅な修正を加えている。どうすれば検索広告をユーザーにとってわずらわしくなく、役に立つものにできるか話し合った。ヴァルディ(イスラエルの起業家)が提案したのは、新聞が記事と広告を切り離して掲載するのと同じように、検索ページの2/3に検索結果を表示し、右側1/3を文字広告の掲載スペースとして区切る、という案だ。検索結果と広告スペースの間には、細いブルーの線を引く。広告専用スペースには、小さなグレーのボックスを上から順に並べ、その中に文字広告と広告主へのリンクを入れるのだ。広告をクリックするかは、ユーザー自身が決める。さらに創業者2人は、広告は25文字以内、長さは2~3行程度とし、必ず意味のある情報を提供するもので無ければならない、というルールを定めた。新アドワーズが導入された当初は、グーグルの収益の柱になるとは思えなかった。「アドワーズが素晴らしいのは、予算に応じて広告の量を自由に変えられることだ」
1年後には、2番目の稼ぎ頭であるアドセンスが、同じCPC方式から生み出された。当時Gメールの開発に取り組んでいたポール・ブックハイトは、メールに含まれる単語と、広告主が選んだキーワードをマッチングさせ、小さな文字広告を瞬時に表示するソフトウェアを作ろうといていた。アドセンスでは、グーグルは広告斡旋会社としてブログやホームページに広告を配信し、広告料を分け合う。アドワーズと同じように、広告主は広告がクリックされた場合しか費用を払わない。アドワーズが小規模な広告主をネット上に招き入れることで、広告の民主化を果たしたのと同じように、アドセンスも無数のホームページに金を稼ぐ手段を提供する。グーグルは広告の配信先となるウェブサイトを”パートナー”と称し、広告収入の2/3を与え、残りを自らの取り分とする。グーグルのおかげで数多くの小さな会社が世に見出され、大きな成長を遂げた。アドセンスが広告業界のミドルマン(仲介業者)の職を奪うということは、ほぼ見過ごされていた。こうしてネット業界においてグーグルは、広告代理店をお払い箱にしただけでなく、コンテンツ企業の広告営業部門も不要にしたのだ。アドワーズとアドセンスは、グーグルがどのようにして検索エンジンから利益を上げるかという難題をついに解決した。2001年には初めて黒字に転換した。86百万ドルの売上に対し、7百万ドルの利益を上げたのだ。翌年には売上高は4倍以上の439百万ドルに拡大し、利益は100百万ドルに跳ね上がった。
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