税金の移り変わり 土地と港
経済が未成熟な段階では、今日我々が所有している所得税、法人税あるいは付加価値税といった近代税制をすぐに施行することは不可能である。このことは今日のアジア、南米、アフリカの発展途上国を想起すれば明らかであろう。税制はその背後にある経済発展のレベルと密接不可分の関係にある。かかる視点から、税金の移り変わりつまり租税構造の発展パターンを一般化しようと試みるのは、学問的にも非常に興味深い研究テーマとなる。(この接近方法は一般に、tax structural developmentと呼ばれている) まず経済発展のごく初期の段階、まだ資本主義経済が萌芽的な時期において、政府はどのような税金で必要な財源を獲得できるのだろうか。
19世紀後半の日本における明治政府、あるいは現時点での発展途上の諸国を考えるとよい。おそらく主要な税源は、第1次産業と貿易の2つのセクターにのみ存在しよう。まだ国内の流通経路は完備せず、かつ貨幣経済が十分に浸透しない状況では、税務行政は経済活動の特殊な断面に注目するしか方法がない。具体的には、第一次産業の生産手段である土地であり、貿易取引の行われる港(ないし国境)である。税務行政の幼稚な段階にあって、徴税可能な地点はまさにこの2つの個所しか存在し得ない。それらは何よりも物理的に課税物件の把握が容易で、徴税の漏れが少ないという利点を備えている。
どこの国でもその発展初期には、地租(土地税)と関税(とりわけ輸入関税)の2つの税金で税収の大部分を調達していた。日本においては1873年の地租改正により土地所有権が確立し、それを基礎に地租の制度が出来上がった。地租は田畑、山林、宅地等の地価に対し、旧幕時代の年貢と同程度の負担になる税率3%で賦課されることになった。この地租により明治政府の財政基盤は安定化し、日本は近代国家の建設に邁進することになる。1877年までに地租は国家収入の80-90%を占め、78年-88年の間も60-80%の財源を生み出していた。今日最大の税収を誇る所得税は1887年に創設されたが、国税のわずか0.8%に過ぎなかった。明らかに地租が今日の所得税の役割を果たし、当時のリーディング・セクターであった農村がその大半を負担していた。その後、経済発展と共に他の税金が次第に成長し、地租は主役の座をそれらに譲ることになる。事実1945年には国税にしめる地租のウェイトは、0.3%にまで低下し、ほとんど無視しうる程度になっている。
日本の関税は、他の先進諸国の経験あるいは現在の発展途上国のケースと異なり、発展初期に重要な役割を演じていない。本来主要な財源になるはずの関税は、1858年と1866年の2度にわたる対外列強との間の不平等条約の締結により、日本の関税自主権が著しく束縛され十分な収入を確保できない状況にあった。特に1866年条約で我が国の輸出入関税は一方的に定率に決定され、その後30年間変更できない旨が取り決められた。1899年にやっと関税自主権を獲得したが、しかし完全に自由な関税率の改定が認められたわけではない。それ以後も1911年の一般的な関税改定まで多くの制約が残っていた。港から税金を集めるといっても、他の諸国と比較して日本で関税を十分に活用できなかったのは、以上述べたような政治的・外交的要因が大きな原因であった。
今日、近代税制といわれるものの担い手は所得税、法人税、付加価値税の3つである。どこの国でも、この種の近代的な税金をはじめから使用できるわけではない。というのは各々の課税ベースを経済活動の実態に即して正確に把握しえないからである。所得税を徴収するためには、何よりも個人の純所得の概念が確立する必要がある。会社から支払われる給与、現金で支払われる財産収入、利子・配当の所得など、いずれも貨幣経済が浸透した近代社会になって初めて慣行として成立するものである。法人税の場合、もっと困難が多い。まず会社組織が制度として認められ、そこが生み出す企業の純所得が明確にされなければならない。企業会計の確立、納税者側の記帳などの納税協力の体制が整わなくては、正確な税務執行は期しがたい。付加価値税も、売上額、取引高、そもそも付加価値額を決定するには商慣行や経済取引が社会的なインフラストラクチャーとして保障されねばならない。付加価値税は間接税の形態を取るが、伝統的な個別消費税とは基本的に性格を異にしている。この種の近代的な税金はある程度の経済発展段階に到達した社会のみが活用できるものである。移行社会においても萌芽的なかつ不完全な形態でのみ存在することになる。
1987年1月パリ、OECDのある会議でフランスの大蔵大臣が「フランスは、メートル法と共に付加価値税で世界を征服した」と、大見得を切ったのである。付加価値税は、1960年代中頃、フランスの官僚によって考案された非常に精緻な税金である。製造から卸売、小売の各段階を経て消費者が購入するまでの取引に着眼した。つまり各段階に発生する「売上マイナス仕入れ」を付加価値とし、それに一定税率を乗じて徴収する多段階の売上税を考案した。各段階の取引が連鎖して流通経路に現れるので、相互にチェックが可能となる。かくして付加価値税は社会全体の生産・消費活動に張り巡らされたタックス・ネットとなりもっとも徴収漏れの小さい税金となった。この付加価値税は1970年前後からEC諸国で導入が始まりおそらく今日50~60カ国の税制で中心的役割を果たしている。未採用の大物はアメリカであり、オーストラリアである。OECD諸国で、現在付加価値税を有していないのはこの2国だけである。しかしアメリカには州政府が小売売上税を採用しており(50州中45州)、オーストラリアでは製造者売上税を連邦政府が賦課している。いずれも課税ベースの広い間接税である。とりわけ小売売上税は理論的に課税ベースが付加価値税と同じになるため、アメリカで連邦政府が同種の新税を導入することは難しい。
税金の論理 (講談社現代新書) 石 弘光 講談社 1994-12 |
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