ゴルバチョフ氏自身が、軍事支出はGNPの17-18%を占めると述べたことがあり、米国国防総省や中央情報局の専門家たちが長年に渡り発表してきた推定値が確認されたことになった。米国の一部では35%前後にも達すると非常に大きく見ていた。いずれにしても日本の軍事支出のGNPに占める比率が1%程度であるのと比べてはもちろん、米国の6%前後と比べても著しく高い。旧ソ連が米国と競って軍事力を拡張できたのは、1973年の第一次石油危機以後に生じた国際石油価格の高騰がソ連に漁夫の利を占めさせ、ブレジネフ政権が石油輸出で獲得した巨額の外貨を使って軍産複合体を強化することに成功したからである。旧ソ連は1970年代半ばに米国を凌いで世界最大の石油生産国に浮上し、石油輸出国としても世界最大のサウジアラビアに比肩するようになっていた。ブレジネフ政権がもし1970年後半から1980年代はじめにかけての石油高価格時代に米国との軍拡競争に走らず、アフガニスタンへの武力介入という大失敗を犯さず、石油輸出で取得した外貨を民生部門の育成に投入していたならば、その後のソ連経済の状況はよほど違っていただろう。


軍需工業中心の産業構造 巨大な軍産複合体
旧ソ連において軍需産業国家委員会の管轄下に形成されていた軍産複合体は、文字通り巨大であった。それと同時にソ連経済のもっとも効率的な部分であり、工業生産の中核となっていた。軍産複合体には旧ソ連の最良の人材、西側先進諸国から導入したハイテクを含めて最高の技術と設備、そして豊富な資源が惜しみなく投入されてきたのであり、それが米国に拮抗する軍事力を支えてきた。右のような軍需産業は9つの省によって管轄され、約1500の大中企業が存在し、約550万人を雇用していた。9つの省とは、航空工業省、通信機器工業省、国防工業省、電子工業省、一般機械(実際には核兵器)工業省、機械工業省、中型機械(ロケット)工業省、無線工業省および造船工業省であった。軍需産業のポテンシャルは非常に大きく、民需工業の2-3倍に達している。とはいえ、旧ソ連、そしてCISの軍産複合体にみられるきわだった特徴の一つは、非常に広い範囲の民需品を生産していることである。軍需産業は、石油・ガス掘削機や家電品から香水や玩具にいたるまで3000種類にものぼる民需品を生産し、機械工業で生産する消費財全体の約50%を生産している、といわれている。とりわけテレビ、ビデオ、ミシンなどの耐久消費財の100%が軍需産業で生産されている。しかし民需品をそれほど多く生産しているにもかかわらず、世界市場価格で換算してみた場合、1988年の旧ソ連機械工業の全完成品生産高(軍産複合体と民需機械工業の合計)のうち62~63%は軍需品及び兵器で占められ、投資財が占めるシェアは32%、消費財はようやく5~6%を占めたに過ぎなかった。
軍民転換と西側の支援
経済的視点に立ってみれば、国内経済を軍事支出の重い負担から開放し、民生重視策を中心にすえて立て直す政策こそ、旧ソ連そしてCISの施政者たちが選択できる唯一の道である。ゴルバチョフ氏にとってもエリツィン氏にとってもこの点については他に選択肢は無く、軍民転換は必須の方向である。1988~1991年に軍需関連調達費は29%減少、戦車の生産は約1/2に半減、戦闘機と大砲の生産は約1/3、武装先頭車と武装兵員輸送車は約1/4に減少したと述べられた。大掛かりで軍需中心の産業構造を抜本的に民需に転換する計画を市場経済のメカニズムだけに委ねて実現することは到底不可能である。強力な中央調整機関が長期的見通しの上に立って、計画的に軍民転換を進めることが必要不可欠である。しかし、経済が疲弊しきった旧ソ連・CIS諸国がそれぞれ自力だけでこの転換を実現するのはとても無理である。資本主義先進諸国の技術的援助と金融支援がどうしても必要になる。しかし、ロンドン・サミットは、ゴルバチョフ書簡の中の軍民転換提案に対して真剣な考慮を払わなかったし、市場経済への移行を明らかにする証拠を提示しなければソ連に対して金融支援は行わない、という「ないものねだり」の要求をゴルバチョフ氏に突きつけただけであった。ゴルバチョフ氏は、ロンドン・サミットに出席しただけで何の成果もあげえないままモスクワに帰り、それから1ヵ月後に起こった「八月政変」によって最高権力者の座を実質的に失ったのであった。
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(Zone2がウラル地方)
1991年と1992年、軍需産業の中心地であるウラル地方や沿ボルガ地方や極東地方で、数多くの軍需工場を視察し軍産複合企業の経営者達と懇談した。軍民転換は容易には進んでいないし、将来の見通しも明るくない。国家発注による軍需生産の方が企業にとって遥かに楽で有利であることから、従来どおり軍需生産を維持し続けたいという後ろ向きの姿勢を見せているのである。エリツィン政府が武器輸出を続ける態度を公然と表明していることとあわせて国際的に見て大きな懸念材料である。何よりも先にあげられる要因は投資不足で、このために民需生産に必要な新しい機械設備の投入が困難になっていることである。軍需生産に使用されている機械・設備をそのまま民需生産のために転用できるわけではない。また国家予算では軍事費がかなり大幅に削減され、企業に対する軍需品の国家発注が現実に減少し、失業が深刻な問題として浮上している一方、軍産複合体が政府によってかなり手厚く保護され、温存されているという問題もある。コンバージョン(転換)が盛んに言われながら、それは軍産複合体の完全な民需産業へのコンバージョンではなく、ダイバーシフィケーション(多角化)にすぎないのであり、それは軍産複合体の温存につながっている。
極東地方は日本の対岸に位置し、ロシア領土のなかで日本に一番近い地域である。この極東地方の工業は、もともと軍需生産を目的に建設されたといっても過言ではない。沿岸地方やハバロフスク地方の一部には、巨大な軍産複合体が集中している。たとえばウラジオストク市、コムソモリスク・ナ・アムーレ市、アムールスク市などはまさに軍産複合体集中都市であり、いずれも長い間、外国人禁則の閉鎖都市であった。極東地方の工業生産全体に占める軍産複合体のシェアは約8.5%程度であり、極東地方の主導的産業である非鉄金属工業に比肩している。機械工業だけで見ると膳生産高の50%を占めている。極東地方の軍産複合体は主要なもので45を数え、その生産高の約70%は造船工業と航空機産業が占めており、旧ソ連空軍が誇る戦闘機「スホイ」も極東地方で製造されているが、どちらも機械設備がかなり老朽化している。
【軍需産業】
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