旧ソ連では、中央集権的な計画化経済のもとで小売価格は原則として全て国が定めた公定価格であった。食料品や家賃は非常に安価に、教育や医療は原則として無料、衣料品や耐久消費財は極めて高価に定められていた。社会主義の下で、富の分配の平等が公には掲げられていた。そして人々は、その理想は実は偽りで、共産党幹部をはじめとする一握りの特権グループに権力と富が集中する一方、働いても働かなくても同じ、という悪平等が支配していることを知り尽くしながらも「親方赤旗」の下での安逸の日々を送ってきた。
アフガニスタンへの軍事介入の長期化があったが、毎日の生活でとにかく食べる心配は無かった。政府は毎年国家予算に価格差補給金を計上して小売価格を農民からの買い上げ価格をずっと下回る安い価格に定めていた。つまり日本における米の食管会計をあらゆる食料品について適用して、低い価格を維持していたわけである。しかしこのことは当然ながら国家財政に大きな負担を強いてきており、そうした状況を改善するため、食料品価格を引き揚げるべきだという意見はブレジネフ時代全盛期の1970年代半ばから出されていた。また弱体な輸送・流通システムが主因となって大都市や北方に偏した中小の工業都市では公営小売店の店先にいつも食料品が不足し、長い行列が見られた。一方、農民達が自留地でつくった野菜や果物、肉やバターなどを自由な価格で販売できる「自由市場(ルイノック)」が市民の対する食料品供給できわめて重要な役割を担ってきた。新鮮な肉も公営商店には無くても、ルイノックに行けば買えたのである。農民が自家菜園として使用できた自留地は、旧ソ連の全耕地面積の3~4%を占めたに過ぎないが、農業総生産高の1/4近くを算出していた。もちろん公定価格と自由市場価格の違いに大きな問題があり、1990年末までゃ後者は通常、前者の3~5倍が相場であった。しかしこれは普通の労働者の平均月収から見て、なんとか手の届く水準であったのである。ところがゴルバチョフ政権がパブロフ首相の指導の下に1991年4月に敢行した公定小売価格の全面的引き上げ(値上げ率2~3倍)の後、安定した関係は崩れインフレが一挙に顕在化した。
ペレストロイカと分権化
「ペレストロイカ」というロシア語は、世界各国で訳語を付けないで使われている。日本でもそうだが、訳をつけるときは「改革」と訳す場合が多い。だが、ロシア語をちょっとでも学んだ人は、「改革」とはなかなか訳せないと思う。「立て直し」とか「再構成」という意味であり、アメリカでもイギリスでも「リコンストラクション」あるいは「リコンストラクチャー」と正しく訳している。ペレストロイカは言い方はいろいろと違っても、エリツィン政権の諸方策に引き継がれているのである。ペレストロイカのもっとも基本的な方向は分権化であり、民主化である。それには上部機構から下部機構への分権化と中央から地方への分権化の2つの大きな方向がある。地方行政庁や地方企業は今では生産や輸出入取引で相当に大きな自主裁量権をもち、地方の自主性の発揮される余地が広がりそれにともなって各地王に活力が生まれてきている。
「地方主義」と「民族主義」
ここで私が言う「地方主義」とは、文字通りの「地方分権主義」であり、それはきわめて中央集権的なシステムであった旧システムを打破して、中央モスクワから地方への分権化を実現しようとする方向のことである。したがって、「地方主義」は、共和国単位の「民族主義」とは直接関係が無い。しかしソ連邦解体(1991年12月)とCIS成立に至るまで約1年間、国際報道では「民族主義」の高揚と「共和国」の独立気運を集中的に取り上げ、それが「地方主義と密着した関係にあると解説する場合が多かった。確かに地方分権の潮流が小共和国の独立意欲を刺激したところがある。また旧ソ連邦を構成した15の共和国は基本的には民族国家でもあったから、まったくの誤りであったとはいえない。しかしながら、ロシアが100を超える民族から成る多民族国家である点を考慮に入れる必要がある。旧ソ連の行政組織では、15の構成共和国の下に民族単位の自治共和国があり、その下のさらに民族単位の自治州があった。そして、ロシアには16もの自治共和国があり、そのなかには人口が500万人を超えるタタール自治共和国をはじめ有力な自治共和国がいくつもある。「タタールスタン」を名乗り、ロシア連邦への加盟を拒否している。グルジアやモルドバのような小国に住む少数民族がきわめて狭い範囲内で独立を宣言し、民族紛争が転じて激しい武力抗争となり、それが果てしなく続く悲劇も起こっている。
ウラル地方は、ゴルバチョフ時代の首相ルイシコフ氏やエリツィン・ロシア大統領の出身地でもあり、エリツィン政権を支える有力な人たちにスベルドロフスク出身が多く、彼らは「スベルドロフスク・マフィア」と呼ばれている。ルイシコフ氏はかつて、有名な重工業企業「ウラルマシ」の経営責任者として敏腕を振るって業績を上げ、それを基盤に中央に登場していった。ウラル地方出身の政治家達の背景には、強力な重工業生産があるわけである。ウラル地方の工業全体の半分は軍需産業で宇宙開発関連産業などもここに集中している。軍民転換政策の遂行で軍事費が大幅に削減され始めたことから、ウラルの軍需産業の半分以上は民需への早急な転換を迫られている。
国営企業の民営化
旧ソ連では、企業経営の大規模化と生産の集中化が進められてきた。その結果、大多数の大企業は、従業員が2万人から5万人という国有大企業となり、日本で言う中小企業は殆ど存在しない状況である。ゴルバチョフ政権もエイツィン政権も、そうした国有企業の民営化を市場経済への移行に必須の条件と重視し、さまざまな措置を取ってきた。だが問題は民営化の実施に当たっての基本的な考え方が極めてプリミティブであるところにある。最上部の国家計画委員会から行政諸官庁を通じた生産企業への計画ノルマ指令による生産方式を放棄して、政府はできるだけ何もせず民営化された企業は独立採算制に基づいて自由に生産し、販売してよい、といった程度の考え方なのである。生産の集中化が進んだもとでは、大企業は独占の利益を享受しようとするのが当然で、国家の管理が無くなったら全てが自由なのだという単純な発想にもとづいて、製品価格を簡単に引き揚げる場合が多々ある。1992年1月の価格自由化の後、ロシアでは企業のこうした行動がインフレ高進の大きな要因となった。
【金と金融の意義】
2013.09.30 解明・拓銀を潰した戦犯 3/4 ~国内初の都銀破綻
2012.11.02 貨幣と銀行の理論
2012.05.08|銀行の戦略転換 1/2 ~メインバンクは劣後ローン
2011.03.04: マルサの女 名シーン名台詞特集 2/3
2010.11.26: 初等ヤクザの犯罪学教室 ~銀行強盗成功のための傾向と対策
2010.08.16: 株メール Q2.企業業績とは何か?
2010.02.09: デリバティブ理論講座のお題
2009.10.22: お金と人の行動の法則