興銀を手玉に取った尾上縫
「北浜の大物相場師」「謎の料亭女将」「バブルの女帝」。あぶくのような好景気の中で暗躍した怪人物は数多いが、女性はそうはいない。なかでも尾上は、稀有な存在だった。大阪みなみの千日前で料亭「恵川」を経営する傍ら、一日に数百億円の株式投資を繰り返してきた女相場師である。逮捕後、彼女は一躍時の人になった。尾上の奇怪な行動は、今も語り草になっている。彼女は「恵川」の隣にもう1つ「大黒や」という料理屋を経営していた。「大黒や」の中庭には、不動明王や弘法大師の石像、灯籠などがところ狭しと並んでいた。特に珍しいのは、その中央で睨みを利かせていた大きなガマガエルの石像である。彼女は毎日、このガマガエルを拝み、株の相場を張った。やがて尾上は、優良銘柄を事前に的中させる女祈祷師と、北浜の証券マンの間で評判になる。しかも1度に20億円、30億円と投資をする。大物相場師の相場に乗り遅れまいと、証券マンたちが「大黒や」へ日参し、彼女とともにガマガエルを拝んだ。
「エイ、エイ、神のお告げがあった。NTTあがるぞよ!」 尾上が株のプロたちを集め、そう言うと、実際にNTT株が高騰した。尾上縫を囲むその会は、「縫の会」と呼ばれた。決まって日曜日の夕刻に行われ、証券マンたちはそれを「行」と呼んだ。しまいに証券会社の営業マンが「大黒や」の事務所で株式投資の事務作業までした。そうして彼女は、いつしか「バブルの女帝」と祭りあげられていったのである。
「うちは吉野のある豪農の家に生まれましてん。奈良女子高等師範(現・奈良女子大学)を卒業して大阪で働き始めましたんや」 事件当時、本人はこう嘯いていた。だがそうではない。生家は奈良県の新口村という小さな農村にあり、暮らしぶりはすこぶる貧しかった。父・宗太郎は吉野で生まれ、新口村に越してきた。縫の伯父にあたる実兄は、新口村の有名な博徒。宗太郎本人も定職につかない遊び人だ。土木作業や医療事務をし、何とかその日の生計を立てていたという。土木作業や医療事務をし、何とかその日の生計を立てていたという。「お母さんは大地主の娘だったそうですんやけど、家が没落してしもうてから、そないな人と結婚せざるを得んかった、て聞いています。お母さんはさすがに品がようて、色白の別嬪さんでした。そやから、お父さんが亡くなってから、地元のお金持ちに見初められた。農家の地主に二号さんていうか、そんな感じになっていました。だんなさんが長屋へ良く遊びに来てましたで」
尾上が後に吉野の豪農と吹聴したのは、父母の生い立ちや幼い頃のこうした体験をミックスした作り話なのかもしれない。母親が頼ったその男の家は、奈良の豪農だったという。男は戦前、北浜で株の仲買もしていた。成人した尾上が株に興味を持ったのは、この人物の影響だと指摘する向きも少なくない。男は着流し姿で、その服装とは不釣合いなボロボロの木造長屋の木戸を毎日ように潜った。娘の縫は、男が長屋を訪れると、決まって幼い妹や弟の手を引いて家の外に出て、訪問者が帰るまで表の通りで遊んだ。時には男は寒い冬の夜にやって来る。が、それでも外で待たなければならない。近所の住人は、幼い尾上家の兄弟たちのいたいけな姿を何度も目撃したという。
母親に似たのか、縫を含め尾上家の四姉妹はみな美人ぞろいだ。なかでも三女の妹は奈良県の準ミスに選ばれたほどである。デパートでは呉服売り場の準社員として働き、売り場の前を通り過ぎた客が振り返るほどだったらしい。縫は18歳で見合い結婚し、女の子をもうける。だが、結婚生活は6年しか続かなかった。彼女は離婚後、長女を前夫に預け、水商売の道を歩み始めた。それが料亭を経営するきっかけとなる。昭和29年に離婚、大阪市内ミナミのすき焼き店「いろは」の中意図して働くようになったが、その間、客として出入りしていた者の資金援助により、昭和40年頃、「恵川」、大衆料理屋「大黒や」等数点を順次開業した。尾上縫の最初のスポンサーは、関西の大手電機メーカーの経営者一族だという説が根強い。それ以外にも「証券会社社長」や「住宅メーカー会長」などの説があり、真偽は定かではない。84年9月、平屋だった恵川を七階建てのビルに立て替える。尾上縫はこのころから馴染み客相手に占いをするようになる。最初は競馬の予想程度だった。やがて占いの対象が株になる。事件の発覚する3年ほど前、87年から88年にかけて、折りしもバブル景気が絶頂を迎えようとしていた。たいていの株式銘柄は上昇する。彼女の占いが当たるのは不自然なことではない。むしろ証券会社の営業マンにとては、どんなことでもいいから相場を上げる材料がほしかっただけかもしれない。
事件当時の尾上縫は、営業に訪れた興銀の支店行員に対し、1度に10億円分もの「ワリコー」を購入し、度肝を抜いた。そこから大阪支店の副支店長が窓口になり、取引が始まる。すっかり尾上にのぼせ上がった興銀は彼女を完全に信用した。取引を始めた87年の内に、50億円、70億円、180億円と融資を膨らませていく。興銀グループ全体の融資残高は、あっという間に3000億円にのぼった。興銀大阪支店の副支店長が中心となり、「縫の会」を結成する。「大黒や」の中庭でガマガエルを拝む会だ。誕生日には他行の銀行員や証券マンを集め、パーティーを開く。彼女の経営する料理屋には、頭取だった黒澤洋までが、夫婦そろって表敬訪問した。その親密な関係が国会でも取り上げられたほどだ。事件ではあまりクローズアップされなかったが、その実、三和グループも尾上縫とのかかわりは深い。親密度でいえば興銀の次あたりだろうか。三和グループには東洋信託銀行や東洋不動産など、東洋という冠の付いた企業が少なくないが、詐欺の道具と貸した架空預金証書を発行した東洋信金もグループの一員だ。
三和で尾上と取引していたのは、玉出支店でした。三和の銀行員が彼女のところに通うようになったのは、預金欲しさからです。だから最初は支店からの貸し出しはなく、預金のみの取引だったはずです。やがて、彼女の気前の良い預金が三和行内で噂になった。料亭”恵川詣で”をすれば簡単に1億円、2億円の定期預金をしてくれる。そんな評判が立ち、取引をしようとする。まず手始めは、支店の歓送迎会や懇親会などに恵川を利用するのです。尾上の魅力は、億単位の個人定期でした。当時は、個人の低醵金をいかに獲得できるか、というのが銀行員の成績に直結していました。1ヶ月3000万円の定期預金を獲得できれば、外交優秀と評価され、預金獲得がそのまま、ボーナスや出世に跳ね返りましたから、尾上みたいな存在はこの上なくありがたい。なにしろ億単位の預金ですから、単なる営業回りの行員ではなく、支店長や次長、噂を聞きつけた大阪中の支店幹部が、我先にと”恵川詣で”に汗を流していました。同じ三和銀行の支店同士で、競うように取引を始めていったものです」
問題となった三和系の東洋信金では、今里支店長が預金証書を偽造し、これが詐欺の道具と化した。「東洋信金に預けたという200億円の預金証書を担保に、尾上がいろんなところから融資を引き出しとるみたいだけど、どう思うか」 まだ事件の発覚前、三和のプロジェクト開発室長だった清水が岡野にゴルフ場でこう相談したのは、まさにそんなときだ。尾上と東洋信金の今里支店長が結託し、名だたる金融機関を手玉に取ったといえる。こうして尾上らは、およそ2700億円をだまし取った。岡野が話す。「興銀がバックについているという安心感もあり、銀行取引の輪が広がっていましたね。銀行、証券を問わず、大阪中の支店幹部が蟻のように群がった。私も彼女から店の中庭で撮った『縫の会』の集合写真を自慢げに見せられました」
尾上が興銀のワリコーを担保にして別の銀行から1億円を借り入れる。それをさらにまた別の銀行に預け入れ、預金証書を発行してもらう。その預金証書を使ってまたまた別の銀行から融資を受ける。それを繰り返していったのだという。最も多く使ったのが東洋信金の預金証書だったというわけだ。「そうやれば、元金の1億円があっという間に、10億にも20億円にも化けるわけです。もちろん借入利息は預金利息より高いので、その分彼女にとっては逆ザヤになる。ざっとマイナス0.25%ぐらい。それくらい損をしていたと聞いています。しかし、目の前に億単位のカネがあるので、そんな計算もできないほど感覚がマヒしていたのでしょうね。でも本来ならこれは銀行にとって痛くもかゆくもない。ワリコーや預金証書という担保があるからです。支店への定期預金もしてくれるし、融資をすれば利ざやを稼げる。メリットばかりなのです。だから定期預金担保の貸し出しは、支店長権限に無制限で行われていました。預金担保貸し出しは、大蔵省による規制の対象外でしたから、銀行としても堂々と取引できた面があります」
尾上縫は取引のある各銀行や証券会社の支店や担当者名を一覧表にして、店の事務所の壁に貼っていた。岡野がその三畳ほどの狭苦しい事務所に顔を出すと、よく当人が順番に電話していたという。「○×支店長、明日から1週間、1億用立てて欲しいんやけど。いけるか」というような調子で、電話をかけまくっていました。机の引出を開けて見せてくれたんですけど、そこには100個以上の三文判が並んでいる。それを取引で使っていたのでしょうね。 尾上はこうして作った資金を元に仕手株に手を出していった。そうして「北浜の女相場師」と異名を取り、尾上神話ができあがっていったのである。だが、バブル崩壊が近づくにつれ、その立場が危うくなっていく。尾上は預金証書の偽造にまで手を染めていったのである。
大阪地検に逮捕・起訴された尾上縫には、2700億円の詐欺ならびに特別背任罪で、懲役12年という重刑が科せられる。2003年4月、最高裁でその刑を確定した。岡野は、身が危うくなった彼女が、最後に搾り出すように彼へ残した言葉が、今も耳を離れないという。
「私は銀行を儲けさせただけやないか。その何が悪いんや」
ミナミの料亭で銀行に祭り上げられ、”バブルの宴”に酔いしれた女相場師は、今も和歌山県の刑務所に服役している。尾上事件では松下電器産業グループのノンバンク「ナショナルリース」も、800億円近い被害を受けている。尾上事件には共犯として金融機関の人間が数多く登場する。今一度整理してみると、共犯として起訴されたのは4人。その全員に有罪が確定している。裁判所が認定しただけに限っても金融機関の犯行は以下のようになる。詐欺罪などに問われた東洋信金元支店長には懲役10年の実刑、木津信用組合(1995年に破綻)の元支店長に懲役3年、執行猶予3年の有罪判決が下っている。さらに、背任罪に問われた大信販(現・アプラス)の元出張所長が懲役1年8ヶ月の実刑、それに、ナショナルリースの元審査部主任は担保になっていた900億6600万円分の割引金融債などを自社から勝手に持ち出した背任罪だ。バブルに浮かれていたのは女相場師よりむしろ金融機関の連中だったのではないだろうか。
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