オデュッセウスは女神カリュプソの住む島に既に7年間も引き留められていた。オリュムポスの神々の会議が開かれ、その議決によって、かれはカリュプソから解放される。筏を組んで海中へ乗り出すのだが、難破してパイエケス人の島へ泳ぎつく。トロイアからの帰途、最初の冒険はトラキア辺のキコネス人との戦争であった。その町を襲い、女や財宝や家畜を掠め取ったが、すぐに逆襲に遭って命からがら船で逃げ出す。流され、ペロポネソス半島の南側を越えて、地中海西部へ迷い込んでしまう。10日目に着いたところは「ロートス常食人」の国であった。ロートスというのは木の実のようなものらしいが、部下のうち3人のものが、その国の様子を探りに派遣され、この実を食べたため、帰郷の意思をを失ってしまった。
次に流れ着いたのはキュクロプスたちの国である。これは一つ目巨人である。この巨人はちっぽけな侵入者たちを発見する。何者かと問い質されて、オデュッセウスは窮状を訴えたのだが、我らキュクロプスたちは、ゼウスその他の神々など問題にしないのだと暴言を吐き、オデュッセウスの二人の部下をいきなりつかんで地面に叩きつけ、むさぼり食ってしまった。オデュッセウスは剣を抜いて、この巨人を殺そうかとも思ったが、もし殺し得たとしても入り口の大岩を除くことができないから、この洞穴の中で死ぬよりほかない。それでオデュッセウスはその計略の才能を発揮して、身長に行動することにした。オデュッセウスは丸太の末端を尖らせ、それを焼いて巨人の目を突いて潰すための準備を整える。夕方になって巨人が帰ってくるとオデュッセウスはまず葡萄酒をすすめる。巨人は上機嫌になり、オデュッセウスに名前をたずねる。すると偽って「ウーティスだ」と答える。巨人が酔って眠り込んでしまうとオデュッセウスは、あの丸太棒を持ち上げ巨人の一つしかない眼の中に突き込んでぐるぐるまわす。巨人は大声を上げて苦しみ、仲間の巨人を呼びつけた。近くに住む巨人どもが、この洞窟の入り口に集まってきて、「だれかが、腕力か計略かで、お前を殺そうとしているのか」とたずねる。この巨人は答える。「ウーティスが計略で俺を殺そうとしている」。ところが「ウーティス」という語は英語のnobodyに相当する意味なので、仲間たちは安心して帰ってしまった。
魔女神キルケ、アイアイエ島
キルケは、偵察に出た部下を魔法で豚に変えてしまった。オデュッセウスは勇敢にもただ一人で救援に行く。途中でヘルメス神に遭遇し、魔よけの草を与えられたため、キルケの魔法を逃れ、この女神を脅かすことさえできた。逆の立場に追い詰められたキルケは、オデュッセウスに対して愛欲の喜悦を共にしようと誘いかける。そこでオデュッセウスは豚にされた部下を人間に戻して貰い、この女神から1年間も歓待された。しかし最後に仲間の意見を容れて帰郷を決意し、キルケに頼んでそれを許される。キルケは親切に、今は死んで冥界にいる預言者テイレシアスを訪ね、帰国の見込みについて予言してもらうようにと忠告してくれた。
冥界への訪問
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オデュッセウスは、冥界の入口へ行くため、オケアノス(大地の周囲を流れる河)の向こう側に渡った。そこにはキムメリオイ人が住んでるが、その国土には、いつも雲が垂れこめており、太陽は照らず、夜闇がひろがっている。このような冥界の様子を語る部分、すなわち第11巻は、この詩篇中でも異色の部分であり、たとえば日本の地獄絵ほどではないにしても悲惨な来世観を示している。
大嵐で遭難し、裸体のオデュッセウスを見て、娘たちは一目散に逃げ出すが、ただ一人パイケエス人の住む島国の王女ナウシカだけが踏みとどまって、毅然として立っていた。ナウシカはこの男を実直な人間と認め、衣類やオリーブ油を与え、体を洗い清め、美しい衣類を身につける。すると、むさくるしかった男が秀麗の丈夫となった。「このような男性を背の君と呼ぶことができたら、どんなに嬉しいことか」 ナウシカは、オデュッセウスと同伴して帰るのだが、都へ近づくと、世間の人々の噂を憚って、オデュッセウスだけは少し遅れて歩かせ、王宮へ着いたら、母なる王妃アレテに嘆願するようにと教えてやった。
カリュプソ
オデュッセウスの放浪中に出遭ったもののうちでは、とりわけカリュプソが、母権制的・地母神的な女神の性格を端的に現わしている。この女神は単身で島の洞窟に住み、訪れてきた男性を引き留めて、同棲させているのである。オデュッセウスは、この女神と7年間も同棲させられていたのであった。その間は、生活の苦労は全然なく、飲食を供され、そして愛欲の相手を務めていたのである。漂流中の飢餓や疲労や恐怖に比較すれば、夢のような安楽な生活であった。しかし、この英雄的な男性は、この安楽で無事な生活に、すぎに飽きてしまった。そして毎日、海岸に出ては海原を眺め、英国の家や妻子を思い慕って、涙を流していたのである。このような女神というものは、肉体は美しいけれども、その精神は、人間の女性よりも、かえってむなしいものらしい。