バリ島爆弾テロ 2002年10月12日深夜 爆発による死者は、日本人観光客2人を含む202人。負傷者は200人以上に達した
治安当局は事前に実行組織の不審な動きを察知していたようだった。実行組織とは東南アジアのイスラム系テロ組織ジェマ・イスラミア(JI)を指す。しかし、インドネシアのメガワティ大統領は事件直後、「国際テロはいつでも、どこの国でも起こりうることだ」と強調し、国際テロ組織アルカイダが欧米人を狙って一過性的に、たまたま、バリ島でテロを仕掛けたかのように訴えた。メガワティが「自分たちも被害者だ」と強弁せざるを得なかった背景には、インドネシア人テロ組織の存在を認めた場合、対テロ戦で米国から標的にされるかもしれないという恐怖感があった。また、そのテロ組織を容易に取り締まることができないことも十分わかっていた。なぜならJIは歴代政権が過去に扇動・弾圧を加えてきた国内のイスラム過激組織が国際化したものであり、その存在を審かにすることは封じ込めてきた負の歴史を蒸し返し、裁きを下す作業になりかねないからだ。世論調査によれば、一番多くの人が実行組織として名前を挙げたのは米中央情報局(CIA)で、次に政権の不安定化を狙ったスハルト元大統領のグループ、三番目が国際テロ組織アルカイダだった。インドネシア人の大半が、JIなどという組織は存在しないとかたくなに信じていた。JIの二人の創設者はアブ・バカル・バシルとアブドラ・スンカル。インドネシアは独立の際、イスラム教に立脚した政教不可分の「イスラム国家」ではなく、近代的な法体系と社会制度を持つ「世俗国家」の道を選択した。スカルノもイスラム教徒だが、ナショナリズムに基づいて独立を志向し、政教分離と民主的な選挙を容認する。両者は憲法の前文に「イスラム教徒はイスラム法を遵守する」と「大統領はイスラム教を信仰するもの」を明記するかどうかで激しく対立する。しかし、スカルノを委員長とする独立準備委員会は土壇場でこれらの条項を削除し、独立を宣言した翌日の8月18日に憲法を公布してしまう。バシルとスンカルは弁護士をつけることも許されないまま四年刊拘置され、その間過酷な取り調べを受けた。二人は85年、最高裁の判決が出る直前、マレーシアに脱出することを決心した。99年、スハルト政権崩壊を受けて帰国を決断する。
スハルト
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インドネシア正史が今後、スハルトをどのように評価するのかで同国が取り組む民主化の方向性と深度が決まってくるかもしれない。32年間にわたる独裁体制を敷き、1998年5月、民主化のうねりの中で最高権力者の座を追われ、いったんは刑事被告人となった元大統領のことである。スハルトは福祉目的の財団を使って資金を不正蓄財し、その金で一族の企業に便宜を図るなどして国家に600億円余相当の損害を与えた。欧米メディアは不正蓄財の総額を推定150憶ドルと報じた。65年9月30日に発生した共産党勢力によるとされるクーデター未遂事件がスハルトの運命を決めた。この時、陸軍戦略予備軍司令官の地位に就いていたスハルトは反乱部隊を迅速に制圧し、スカルノ初代大統領sukaruno.jpgに代わって実権を掌握する。66年、スハルトが行った共産党非合法化とその後の弾圧で、数十万人が殺害されたとされている。「9月30日事件」はスハルトを代表する国軍右派による事実上のクーデターという解釈や左傾化するスカルノに見切りをつけた米情報機関の関与説など、現在でも真相は闇に包まれたままだ。共産党の弾圧に米国から資金が流れていたことが最近、米国務省の機密文書から判明している。スハルトの評価が一筋縄でいかないのは、積極的に外資を導入し、開発経済に力を入れたという成果があるからだ。コメの自給を達成し、ことあるごとに数字を挙げて成果を強調した。一人当たりの国民総生産は70ドルの最貧国から1000ドル(97年通貨危機以前)へと上昇。外交面ではスカルノの新共産党政策から西側傾斜路線に転じ、スカルノ時代に脱退した国連に再加盟。67年の東南アジア諸国連合(ASEAN)の設立に参加し、域内の盟主として君臨した。
メガワティ
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国会で目立った発言や活動もないメガワティがシンボル化する背景には、スハルト体制に対する息苦しさが若い世代に蔓延し、メガワティの存在が「スカルノ神話」を想起させたことにあるかもしれない。スハルトの経済的な実績はスカルノをはるかに凌駕し、国家も安定していた。それでも国民は世代を超えてスカルノに敬意を払い、親しみ続けた。スカルノのカリスマ性と人気は、スハルトがどうしても手に入れられないものであった。危機感を強めたスハルトは96年、メガワティが共産党に関与しているとの疑惑を浮上させて民主党の内部抗争を煽っていく。さらに同年6月、スマトラ島の都市メダンで開かれた党大会でスルヤディが委員長に返り咲くように働きかけ、メガワティを正解から事実上追放してしまう。メガワティが熱狂的な支持者を得るのは、この局面で徹底抗戦に出たからだ。
ヨドヨノ
ヨドヨノはテレビカメラの前でこう切り出した。「これは国民の勝利だ。神に、そしてメガワティ大統領に感謝したい」
メガワティに示した「感謝」とは、直接大統領選を実施する礎を築いたことに対するものだ。最後に選ばれたインドネシアの新指導者は「国民の勝利」と「感謝」というふたつのキーワードによって、ハビビ、ワヒド、メガワティと続いた激動の時代の終わりを宣言したのである。おそらくこれらのせりふもメディアを意識して周到に用意されたものであった。メガワティに近い国軍出身のヘンドロプリオノ率いる国家情報庁(BIN)がガルーダ航空の非番の操縦士を使って人権活動家のムニールを飛行機内で毒殺したのは、政権交代の起きた同じ月の6日のことだった。

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