マッカーサー親子
たった17歳でリンカーン軍の中尉になったアーサー・ジュニアは1年後、実戦での武勲に対する米国最高の名誉勲章を受け
る。一方、彼の息子は士官候補生として軍人の経歴を歩みだし、ウエストポイントの陸軍士官学校に学んだ後、1914年、
メキシコ国境紛争が起きた時、ベラクルスに大胆な急襲をかける。ワシントンからの特別指令で、日本軍占領下のフィリピン
からオーストラリアへ撤退したマッカーサーは、パプアで日本軍の侵攻を食い止め、その後次第に勢い盛り返しつつ南太平洋
連合司令官として東京を目指して逆襲を開始する。
アーサー・マッカーサーもダグラス・マッカーサーもフィリピン在任中、いかに自分たちがアジア人をよく理解し、アジア人
から尊敬され、愛されているかということを実証してみせた。二人とも白人には珍しいくらい人種差別感情を持たず、排他的
なクラブや自信たっぷりの優越感を持った白人高官の傲慢さに慣られされていたアジア人たちから尊敬されていた。アジア第
一の彼の政策は、マーシャルが計画しアイゼンアワーそのシンボルとなったヨーロッパ第一主義に大きく水をあけられ、票を
あつめることができなかった。第一次大戦中、マッカーサーは際立った行為、有能さ、戦術にたけた大胆不敵さで、ほかどん
な仕官より多くの勲章を得る。ただ単に部下の先頭に立って見せれば部下が勇敢に戦うと考えるタイプの指揮官ではなかった。
すぐれた素質を多く備えていたものの、マッカーサーには3つの決定的弱点があった。1つは、虚栄心、2つには自分の判断
に対する過度の自信。3つには偉大な人物にはあまり見られない欠点であるが、側近に選んだ人々の能力に問題があったこと。
マッカーサーの広範な知識と戦略的天才は、日本軍の迅速で練りに練った戦略に対しても脅威となったし、連合軍反撃の前に
主要基地となる場所を確保したいとする日本軍に対して威力を発揮した。将軍の南西太平洋戦線は一度も十分な物資補給を
受けなかったハンディがあったのにだ。ちなみに北アフリカに上陸したアイゼンハワーの軍隊は、兵士一人当たり15トンも
の物資が投入され、これは太平洋方面の三倍の量だった。そしてマッカーサーは海外に派兵されたアメリカ兵のたった12%
しか率いていなかった。
ネールとインディラ・ガンジー
モティラル・ネール、初代インド首相の父、インド初の女性首相の祖父。カシミールのバラモン出身で、最高のカーストであ
る。後に息子ネールと孫娘ガンジー夫人がカーストを排除しようと努力するが、昔からの社会的、宗教的差別を撤廃するの
は容易な仕事ではなかった。過去、この試みに唯一成功したのは回教徒であった。イスラム教徒がムガール帝国を築いた時、
何百万という人々のカーストを廃した。カースト制度はヒンズー教の多神教の概念から派生したもので、一神教の教義とは相
容れなかった。
1952年
インドが健全でありつづければ、人口はもちろん増えつづけるだろう。しかし1エーカーあたりの生産高は日本のたった1/3
でしかない。肥料を使わないし、利用可能な牛糞は燃料として燃やされている。農業生産高を15年以内に2倍にするのは
簡単だろう。農民の収入が増えるにつれて、家族数が減少する傾向が見られ始めた。それゆえ、人口が近いうち静止状態に
なりそうだと期待されている。産児制限が奨励され、避妊具を製造するアメリカの工場の現地誘致案も出ている。チェスター・
ボールズは「インドは今、すべての伝統的システムが変化しているところだ。カースト、教育システム、地主と小作人の関係
など。パンドラの箱が開けられ、何が飛び出してくるか誰も知らない。たとえば文盲の人々が教育されるにつれて、共産主義
者のプロパガンダを読むようになるだろう。それがあいにくと我々のプロパガンダよりよくできているとしたら、その結果、
暴動が起きるか否か、起きるとしたらいつかを予見できるものはいない。インドは社会主義者の国ではない。しかし、社会主
義に懐疑的ではあるもののインド人は英国支配時代の貪欲な資本主義もすいてはいない。我々アメリカ人は制限の多い英国
の資本主義より我々独自のシステムと高賃金制を紹介したいと思っている。」と語った。
精神的にインドを一つにまとめている概念は何か?
我々は文化的に統一されている。それはある意味でヨーロッパにおける古いキリスト教世界の概念のようなものだ、しかし我
々の場合、もっと緊密である。政治的分離に際しても、共通文化の基盤はなくならなかった。我々の巡礼の聖地は広く分散
している。そこへインド中から絶え間なく巡礼者が来ては去っていく。過去においてとても重要だったもう一つの要素は、サ
ンスクリット語である。この言語は仏陀の時代、2500年前以来話されていない。しかしそれが依然として学ばれているの
だ。そして現代における統一の要素は、不思議にも英国によってもたらされた。英国人が図らずも我々に統一を強いたのだ。
つまり彼らの支配に対する我々の抵抗が統一の一つの要素であった。
実際、首相であることを彼女は楽しんでいるのだろうか?
祖父(モティラルネール)は「楽しんでやらなければ何事もうまくできない。その職業がつまらないとか単調だと思ったら、
決してその職で成功しない」と教えました。あなたの質問に対する私の答えもこれと同じです。
父親の条件―現代史の権力者たち・その父と子 | |
C.L. ザルツバーガー 香宗我部 恭子
二期出版 1987-11 |
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