パトリシア・ハースト 誘拐の被害者からテロリストに実を転じた新聞王の孫娘
SLA(シンビオニーズ解放軍)と名乗る過激派は、カリフォルニア州に住む貧乏な人々にすべてに対して一ヶ月につき一人頭
70ドル分の食料費を出せ
というのである。”貧乏な”という基準に当てはまる人々は、推定で470万人ほどいたらしいが、もし
もこれを実行するとなると、なんと一ヶ月で3億3千万ドル、当時の日本円にして990億円ものお金が必要になる。誘拐されて
身代金を要求されるといえば親は金持ちというのが常識だが、これほどの金額ともなればそんじょそこらの金持ちでは出せ
ない。しかし、SLAが誘拐した19歳の女性、パトリシア・ハーストの親は並みの金持ちではなかった。9つの新聞、13の雑誌、
4つのテレビ局とラジオ局、銀鉱山、製紙工場、そして広大な不動産を所有する世界でも有数の金持ちだったのである。パ
トリシアの祖父でありハースト財閥の創始者であるウィリアム・ランドルフ・ハーストは、アメリカの新聞王として名高く、オー
ソン・ウェルズ製作主演の映画「市民ケーン」のモデルにもなった人物である。
それから二ヵ月後、パトリシアはとんでもないところに姿を現した。SLAのメンバーがサンフランシスコ郊外の銀行を襲撃した
のだが、備えつけの隠しカメラがとらえた犯人達の映像の中にマシンガンを構えたパトリシアの姿が映っていたのである。
誘拐されて以来、SLAメンバーの一人ウォルフが恋人だったこと、両親を「商業主義の太った豚」とののしる革命戦士に変身
したことをパトリシアは堂々と世界に公言したのだ。彼女がSLAの残党達とともに逮捕されたのは誘拐事件から1年7ヵ月後、
1975年9月19日のことだった。両親と会うことはできたが、彼女は武装攻撃罪など、11もの罪名で起訴され裁判を受ける身
となった。誘拐されたとはいえ、パトリシアがSLAの思想に共鳴して自主的に彼らと行動をともにしたことは明らかである。な
のに裁判ではまた一転して、彼女はそのことを全面的に否定した。ウィリアム・ウォルフなんか愛してはいなかった、彼とSLA
の黒人指揮官だったシンキューという男は、わたしを暴力で犯した、わたしは自分の意思に反して彼らに従わざるを得なかっ
たのだ、と涙ながらに訴えた

( ゚д゚)ポカーン
しかし、その訴えにもかかわらず、裁判所は彼女に懲役7年という有罪判決を下した。銃撃戦で死んだウォルフが身につけて
いたのと同じペンダントをパトリシアが肌身離さずもっていたことが、有罪の決め手になったという。
(゚∀゚ノノ゙パチパチパチパチ
悪女? 魔性の女? これタダの馬鹿女でしょ?
イサベル・ペロン 踊り子から世界初の女性大統領まで上りつめた女
ファン・ドミンゴ・ペロン、陸軍大佐で労働大臣兼厚生大臣だった頃にペロン派を組織し、51歳で大統領に就任した。貧富の差
が激しかったアルゼンチンで、最低賃金の引き上げ、不当解雇からの保護、といった労働者のための新しい政策を次々と実
行に移した。美貌の妻、エビータの活躍もあって、ペロンはアルゼンチン始まって以来と言われるほどの人気を獲得した。しか
しこの政策は人気取りの大盤振る舞いだった。国の経済はたちまち破綻し、それにともなってペロンの人気も急速に落ちてい
った。1952年にエビータが死去するとその同情票でなんとか盛り返したものの、1955年にはクーデターによってアルゼンチン
を追われ、亡命先のパナマでイザベルと知り合ったのである。1961年正式に結婚した。1971年、17年間も行方不明だった前
妻エビータの遺体が現われ、彼をアルゼンチンへ誘った
のだ。エビータという女の巨大な影は、この時からイザベルの上に重
くのしかかってきた
のである。アルゼンチン軍部はペロンとの和解のしるしとして、仮安置所から盗み出し、遠くイタリアのミラ
ノに隠していたエビータの遺体をマドリッドのペロンのもとに返したのである。
エビータはペロンの二度目の妻で、私生児として生まれ、美貌をいかして女優になった。彼女は野心的な女だった。彼女は出
世のために地位のある男ばかり選んで付き合った。そして陸軍大佐で実力ナンバーワンといわれたペロンと知り合った。二人
は手をたずさえて権力の階段を駆け上がった。大統領になるためには貧しい労働階級を味方につけることだ、とペロンに助言
したのもエビータだった。彼女は自分の持っていたラジオ番組などを利用してペロンの政策を熱心に宣伝した。二人は結婚し、
翌年ペロンは大統領に当選した。だが1952年、彼女は子宮がんで死去した。人々はイザベルによってエビータがよみがえる
ことを期待した。だから無条件で彼女を支持したのだ。イザベルにとって不運だったのはそれから1年もしないうちにペロンが
死んでしまった。こういう時エビータなら積極的にペロンの後を受け、堂々と大統領に名乗りをあげたことだろう。しかしイザベ
ルは違った。エビータのように男を引っ張っていくタイプではない。男の後に付き従って生きるタイプだった。政治の表舞台に
出たのも自らの意思ではなかった。他に有力な後継者がいないペロン派にとって彼女は唯一の看板スターである。下りられ
ては困るのだ。
> 可愛そう。この人も器じゃない人だったのね・・・。

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