NPTの無期限延長決定、CTBTの圧倒的多数で採択という、日本をはじめ国際社会がこぞって歓迎した事柄が皮肉
にも結果的にインドを追い詰め、この時期に核実験をやらざるをえない状況を作り出したことを、インド側の証言を通じ
て明らかにするとともに、軍事的には受け身の実験であったことを示し、今回の核実験の本当の狙いがどこにあった
のかを改名する。イラン・リビアの中東地域への核兵器開発が波及していくかなどの点について、米国、ロシア、中
国といった周辺大国の思惑をからめて、21世紀のパワーゲームの行方を展望した。
インド洋に突き出た南アジア地域は、日本がその大部分を依存している中東石油の輸送ルートにあたるだけでなく、
隣の大国中国を背後からけん制し得る地政学的位置を占めている
。21世紀のアジア・太平洋地域の戦略バランスを
考えるうえで、絶対に無視できない重要な地域であることに気付いている日本人は、意外に少ない。
攻撃的防御へ転換したパキスタン
宿命的対決関係にあるインドとパキスタンだが、双方の長大な国境線(およそ2000kmにおよぶ)は、①カシミールを抱
えた北部山岳地帯、②パンジャーブ平原をはさんだ中部平原地帯、③98年5月にインドが核実験を行ったタール砂漠
上に引かれた南部砂漠地帯、④最南部のカッチ湿地地帯のほぼ4つの部分からなっている。
このうち、カシミールの峻険な山岳地帯は他の地域とは地理的に隔絶された独立の単位となっており、ここで相手を
打ち負かした軍隊がそのままインド、パキスタンどちらかの首都になだれ込むという展開にならない。最南部の湿地
帯も、深いぬかるみに足を取られるために双方とも大規模作戦を実施するには困難を極める。ということで残るパンジ
ャーブ平原と、タール砂漠をはさんだ乾燥地帯が、インド・パキスタンの雌雄を決する戦略正面となってくる
。インド軍
が侵攻した中部国境地帯のパンジャーブ平原は、見渡すかぎり平坦な地形であるため、敵がひとたび全力で進撃を
始めると後方の砲兵部隊を温存するいとまもなく防御線は突破されてしまう。このときのインド軍はまるで無人の野を
行くがごとく電撃的に進撃してパキスタンの重要都市、ラホールに迫り、パキスタンは敗戦という形で停戦を受け入
れたのだ。
インド陸軍2000構想
インドはパキスタンに対して軍事的に圧倒的優位に立っている。それなのになぜ、パキスタンを直接的脅威とみなして
いるのか。それはインドが圧倒的優位にあるのは軍事力の量の分野であって、兵器の性能などの質の面ではパキス
タンをあなどれない状況にあるためだ。財政的に豊かではないはずのパキスタンがなぜ兵器の質が良いのか。その
理由は米国の支援にある
。79年12月にソ連軍が突如としてアフガニスタンに侵攻した。米ソ冷戦のただ中にあったた
め、米国はこのソ連軍侵攻を「ソ連が暖かいインド洋に進出するための戦略的行動である」と危機感を強め、アフガニ
スタンの東隣にあってソ連なんかを阻止する防御駅を果たす地理的位置にあったパキスタンに膨大な量の高性能兵
器を注ぎ込んでテコ入れをした。こうして貧しい国であるにもかかわらずパキスタン軍は米国製の高性能兵器で武装
することになった。
中国の主張「わが核は米国向け」
98年5月インドは24年ぶりに核実験を行った。パジパイ首相は、インドが核実験に踏み切らざるえなかった理由として
次の3点をあげた。
①インドは公然たる核保有国に国境を接しており、その国は1962年にインドに軍事侵攻した。(中国を指す)
②この国(すなわち中国)とインドの関係はここ10年間、改善が進んでいるが、国境線問題のために不信感が続いて
 いるうえに、わが国のもう一つの隣国(パキスタン)による秘密裏の核兵器開発を物理的に支援したことで、この不
 信感は増幅された。
③インドはこの隣国(パキスタン)との間では過去50年間に3度も侵略をこうむっており、ここ10年間でもパンジャーブと
 カシミールなど数ヶ所でこの隣国に支援されたテロと軍事行動の被害を受けている。
インドが核実験を合理化する理由としてあげている3点のうち、2点までも「中国の核の脅威」に言及しているのだ。
中国はこれまで45回の核実験を行っている。核戦力の中核であるミサイル搭載核兵器として、中国は長射程の大陸
間弾道ミサイル(ICBM)を約30基、中射程のIRBMを約130基、潜水艦から発射する中射程の弾道ミサイルを約24基
保有している。以上のように中国の核ミサイルは、中射程のIRBMが圧倒的な割合を占めていることがわかる。では
中国はこれら核ミサイルをどのような考え方に基づいて配備・運用しているのか、中国の核戦略を検討してみる。中
国の安全保障戦略は「冷戦期」と「ポスト冷戦期」で大きく異なってきている。
①米ソからの核による威嚇を抑止する。②ソ連による核攻撃に対する報復能力を維持する。③大国の威信としての
核兵器を維持する。91年にソ連が崩壊したことで中国にとっての北の脅威は大幅に減少した。この結果、現在では
中国の核ミサイルの多くは米国を指向しているとみられている。以上が中国の核戦略の外観だが、インドは中国の
核ミサイルが中射程ミサイル(すなわちインド全土を射程内にいれることができる)に重点が置かれ続けていることを
挙げ、あくまで「中国の核はインドに向けられている」と主張しているのだ。62年の 中印国境紛争の遠因は、59年3月
に中国のチベット地区で起きた大規模な反中国暴動にある。この暴動は中国軍によって鎮圧されたが、チベット仏教
の指導者でチベット独立運動の中心人物であったダライ・ラマがインドに亡命を図り、中国の激しい抗議にもかかわら
ずインド政府が亡命を受け入れた
。中印国境はネパール、ブータンの二つの小国を左右から挟みこむ形で、東側国境
のアッサム地方と、西側国境のカシミール東部のラダク地域と、二つの部分から成り、その総延長は約4500kmにお
よぶ。チベット地区内の反中国・独立運動は武力でなんとか押さえ込めたものの、ダライ・ラマのインド亡命はこの運
動の長期化を意味し、そこでチベットとインド領内を結ぶ唯一の幹線道路が通るラダク地域の戦略的価値が急上昇し
た。チベット独立運動支援のインド側からの補給ルートとなり得るからだ。キューバにソ連のミサイル基地が建設され
つつあることが発覚して、世界中がキューバ・ミサイル危機に目を奪われている最中の62年10月、中国軍の大部隊
が中印国境の東部地域マクラホン・ライン(インドが長年主張している国境線)を南下、あわせて西部国境ラダク地域
でも武力衝突が発生した
。戦闘は中国の圧倒的勝利のもとに一ヶ月で終わり、インド側損害は戦死1400人、行方不
明1700人、捕虜4000人にのぼった。この戦闘によって中国はラダク地区のうちチベットに通じる幹線道路を含む地域
を占領、その実効支配は今日まで続いている。

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