山崎拓氏が踏んだ逆踏み絵
2005年衆院福岡第二区の補欠選挙である。山崎拓氏が当選したが、問題は山崎氏と公明党・創価学会の
関係である。これが民主国家かと驚くような新聞記事を紹介しよう。
山崎氏も必死だった。公明党地区責任者らを前に、かつての創価学会批判を詫びた。「皆さんとは一心同体ならぬ
異体同心の思いです。」(朝日新聞朝刊)
暴力団が作った自公連立 暴力団に握られた密会ビデオ
創価学会が非自民改革路線から離れたきっかけとして、「密会ビデオ」問題があったことは明らかだ。某暴力団との
長年にわたる「抜き差しならない関係」を象徴するビデオテープの存在だった。このテープを材料にして、当時の自民党
幹事長代理、野中広務さんは、新進党の旧公明党議員を通じて、創価学会を「恫喝」したのだ。
連立は池田名誉会長を守るため
公明党・創価学会は、「平和・人権・福祉」と逆のことをしている事例は枚挙に暇が無い。「心神喪失等医療観察法」
を参院法務委員会で強行採決するという事件もその一つである。この法律は大阪で起きた「池田小学校事件」を
きっかけにした小泉首相の軽率な発言に端を発する「人権侵害法」だ。日本精神病院政治連盟が、法案成立に向けて
巨額の政治献金を使ったことで知られる、利権が凝縮された法律だった。公明党は40年間も参院務委員長のポスト
を独占し、検察と司法を所轄している法務委員長に、なにゆえこだわるのか。ちなみに公明党は東京都議会の
「警察・消防委員会」の副委員長のポストも40年にわたり独占している。警視庁を所轄し、予算や人事に影響を及ぼす
委員会の重要ポストを握り続けていることはいったい何を意味するのか。公明党創価学会の不慮遠謀が透けて見える。
創価学会の前身は日蓮正宗の信者だった牧口常三郎氏が創立した「創価教育学会」である。1930年に作られ
太平洋戦争が始まるころには3000人の会員を擁していたが、1943年に幹部が検挙され、牧口会長は獄死した。
事実上解体される。戦後、戸田城聖氏が1946年「創価学会」として再出発させる。1945年GHQは「国家と神道
の分離令」により、従前の宗教法人法を廃止し、ポツダム勅令で宗教法人令を発令した。国家の宗教支配を排除し
神道を事実上の国教とする政教一致を拒否し、あらゆる宗教法人を平等に扱うことになったのだ。1947年「信教
の自由」が保証され、戸田会長は当時の状況を水滸会記録で次のように述べている。
「今日の日本では、経済界も政界も教育界でも、組織ががっちり出来上がって、これから伸びていく余地は少ない。
ところが宗教界だけは、ちょうど戦国時代のときのような乱戦状態である。法律で縛るものも無い。縄を解いて虎を野に
放ったようなものである。今こそ広宣流布できるチャンスだ」
言論・報道界に存在するタブー
公明党・創価学会の「言論出版妨害事件」とは、昭和44年に出版された内藤邦夫氏の「公明党の素顔」から
始まる。藤原弘達氏の「創価学会を斬る」に対し、学会の出版妨害が国会で取り上げられ、社会問題になった。
社会・民社・共産の野党三党は本会議・予算委員会を中心に、特別委員会の設置や池田大作創価学会会長
の証人喚問などの要求が行われたが、自民党と公明党の反対でいずれも実現しなかった。
「言論出版妨害」で国会質疑を参考に要約すれば次のとおりである。
1.公明党・創価学会、とりわけ池田大作会長への批判の出版は、作成過程で探知され、かなりの抑制的圧力を
かける。とくにゲラ刷りを印刷所から入手し、強い圧力をかけることが目立つ。
2.出版中止・内容訂正などの要求が成功しないとなれば、名誉毀損を理由に裁判所に発行等禁止仮処分申請を行う。
3.作成した出版物を市販しないことを条件に一定部数の買い上げ、その他代償として利益供与を行うよう働きかける。
4.出版物が一般市場に出ることを阻止できない場合、流通過程の取次店に新刊委託のための配本を中止するよう
要求する。さらに抑制効果が無い場合、小売店に広告ビラの撤去、返本、店頭陳列からの撤回を要求する。
5.妨害行為は公明党・創価学会役員・会員だけでなく、自民党・財界・右翼等の有力者が仲介の労をとることがある。
6.作成・流通の段階で、嫌がらせの電話・手紙などの攻撃が、著者・版元・小売店に組織的に行われる。
7.妨害圧力は消極的・抑制的なものばかりではなく、会長との会見、学会施設の見学、資料・便宜提供といった積極的
給付的な働きかけが行われる。
北朝鮮のエージェント
1994年細川首相は訪米してクリントン大統領と会談することになった。北朝鮮の核疑惑で東アジア全体が緊迫していた時
期の日米首脳会談であった。このときクリントン大統領周辺から「日本の政権の中枢に北朝鮮のエージェントがいる」と指摘
されたことがある。米国側から疑われた人物は、かねてから北朝鮮側と交流が深い武村官房長官だった。細川首相は北朝鮮
をめぐる米国政府の懸念をなくすことをクリントン大統領と約束した。ところが細川首相が帰国した直後から、細川さんの過去の
女性問題や金銭問題が週刊誌レベルで報道されるようになった。国会でも自民党の「北朝鮮友好グループ」からの攻撃が
激しくなる。この時点で自民党守旧派は武村さん率いる新党さきがけと社会党左派で細川政権の倒閣をやらせ、その後
「自社さ政権」をつくることで一致し、そのシナリオまでできていたのだ。この陰謀を知らずに「次は経済改革だ」と調子に乗ってい
た細川首相にも問題があった。
オウムと北朝鮮の関係
村山自社さ連立政権はこの事件に対する認識が極めて甘く、単なる刑事事件として扱った。いわんや背後で北朝鮮や国際
テロ組織が国内の暴力団とつながり「日本国家・日本社会への新しい形の攻撃としての公安事件」を起こしていると考えなかった。
オウム・サリン事件でもっとも不透明な部分は、北朝鮮との関係だった。事件の中心人物である早川紀代秀被告はモスクワから
北朝鮮を頻繁に訪ねていた。その目的はロシアとの武器取引の仲介で国際的な疑惑があった。また、オウム教団と北朝鮮の
関係は捜査においても裁判においても闇に葬り去られたままである。その背景には村山連立政権に参加した有力者の中に北
朝鮮とつよいつながりのある人物がいたことになる。この時期、村山連立政権は北朝鮮の米援助の交渉をまとめることになるが、
その後、米援助疑惑という政治問題になる。村山連立政権はオウム・サリン事件は宗教法人法の不備によって起ったものである
というまったく誤った認識を示し、とんでもない政治利用に使うことになった。公明党から新進党の支持団体となった創価学会への
弾圧である。
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