私がヨーロッパに来た理由は、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」について”にわか”に語っていたことだ。私にとって、フランスは初めてのカトリックカントリーだったので、カトリックとプロテスタントという宗教的地盤の違いが、民の生活にどう影響しているのか? を感じることができれば良いなと思っていたのだが、フランス、オーストリア、イギリスだと、特徴のないイギリスに特徴を感じている。
当然、3国はEU、ヨーロッパ文化なので、アジアからの文化的差異は同様なのだが、その中でイギリスが最も違和感が少ないのはなぜだろうか? 英語と左側通行が親しみやすい理由にもあるのだが、もう少し深く考えて行こうと思う。
アメリカやオーストラリアなどのように、文化的支配には人民の輸出を伴っていた。一方、アジアの植民地支配は、文化的支配ではない。香港もシンガポールも、文化的、主に住んでいる民族も完全にアジアである。文字文化の破壊は、インドネシア・マレーシアとフィリピンにおいて部分的に成功し、自国言語をアルファベット表記に置き換えることができたが、アジア全般に広がるものではない。またアジアにおいては宗教的支配にも成功したとは言い難い。
では、ヨーロッパ列強が大航海時代に、植民地支配と共にアジアに持ち込み、今も影響を与え続けているものは何だろうか?
また、全く信仰心を持たない私が、ヨーロッパで好きなように生活していく中で、「カトリックとプロテスタントの違い以上に感じたヨーロッパ国間の違い」の根源には何があるのだろうか?
直接的には、左側通行、あるいは保護貿易と自由貿易の度合いの違いによる補助金や関税によって生まれる価格差だが、いずれにしてもそれらは「法」による影響である。人民の輸出、文化的支配、宗教の布教は、成功していないが、「法」だけは見事に成功している。ただ、法そのものだと詳細にわたりすぎていて視点が狭すぎるので、より一般化すると法体系と言った方が適切かもしれない。
大陸法系と英米法系 (Civil LawとCommon Law) という観点で切り分ければ、イギリスはヨーロッパの中では、かなり特徴的な独自の法体系を持っている。それをアジアに適用すると、元イギリス植民地支配は英米法系の左側通行の傾向が浮き上がってくる。ただし、完全一致はしていない。例えば、日本は通行はイギリスの左側だが、法は大陸法系なので、アジア各国はそれらが混合しているのだが、あくまで「傾向」がある程度だ。”法体系”そのものの違いが、日常生活に直接的に影響はしないだろうが、今後、数年かけて、具体的に違い分かるようになることを期待したい。