「使いやすい労働者」を大量生産する工場

学校はそこに通う人間を、とにかく「規格」どおりに仕上げようとする。建前上は「個性を大切にしよう」「のびのびと育ってほしい」などと言うものの、その裏にはいつも「ただし常識の範囲内で」という本音が潜んでいるのだ。

学校と工場が似ているのは、実は当然のことなのだ。そもそも学校は工場の誕生と連動して作り出された機関なのである。一定の年齢に達した子供を1か所に集め、読み書きや計算を教えるーこうした学校制度の基礎は19世紀、つまり産業革命期のイギリスで生まれた。

読み書きソロバンができ、指定された場所に毎日規則正しく通い、リーダーの指示に耳を傾け、言われた通りの作業に励む。そんなサイクルをこなせる「きちんとした大人」を大量に用意するには、子供のころから仕込むのが一番手っ取り早い。学校はもともと、子供という「原材料」を使って「産業社会に適応した大人」を大量生産する「工場」の一つだったのである。今の学校もこの原則は全く変わっていない。

使用する教科書を国家がチェックするという制度自体、先進国の中では極めて稀である。日本以外で検定制(国定教科書)を採択している国を見ると、韓国や中国、ロシア、そしてトルコやキューバなどの開発途上国が続く。

インターネットがもたらしたものについて、「国境がなくなった」と考えている人は多い。遠い外国の情報を瞬時に、リアルタイムで入手できるようになったと。しかし、インターネットがもたらした本当の衝撃は、国家がなくなることなのだ。僕たちの「〇〇国に住む〇〇人」という意識は着実に薄まっている。一部の年寄りが言うように、日本人が軟弱になったからなんかじゃない。「国はいのちよりも大事なものである」というストーリーに説得力がなくなっただけだ。「日本に住む日本人である」ことよりも、「インターネットがつながっていること」「アマゾンの配達が届く場所であること」「スマホの充電ができること」の方が日々の生存戦略に関わってくる。もちろん、まだ「国」という枠組みは残っている。国家(税金による富の再分配)という機能は今後も残るだろう。だが、それを支える「国民」そして「国民国家」という概念はもはやファンタジーに過ぎない。というより、そもそも想像上の産物なのだから化けの皮がはがれたというべきか。今や「国民」を作るための洗脳装置は不要になった。これから人類は「国」から解き放たれた、真に自由な「民」となるのだ。

うん…そうね。今既に、ほとんど国から解放された民になってる。

グローバルとローカル

ローカル人材の特徴、一つはとにかく保守的な人が多いという点。マイルドヤンキーは、仲間との絆を重んじ、その中に上下関係を作りたがる。どんどん変化していく仲間よりも「はい、兄貴の言う通りです」と付き従ってくれる”子分”を欲する傾向が強い。L人材が好むコンテンツを見れば、その嗜好性は明らかだ。『ONE PIECE』のメインキャラクターたちは、常に仲間のために死に物狂いで戦い、涙する。ジャニーズやAKB48、EXILEといったアイドル歌手が売りにしているのも、歌というよりはむしろグループメンバー間の絆や、ファンとの連帯感の方だ。

もう一つ重要なのは地方の”居心地の良さ”は、非常にもろい条件の上に成り立っている、という事実である。確かに地方は家賃が安く、駐車場代もかからない。少し車を飛ばせば、大型商業施設にたどり着ける。そこに行けば何でも揃うし、遊ぶ手段にも事欠かない。ただ、こうした”楽園”の維持費となっているのは、その地方自体の税収ではなく、地方交付税交付金だ。つまり、大都市圏で働く高所得層の納めた税金が地方に回っているからこそ。地方の居心地の良さは守られているのである。

仮想敵が居ないと生きられないN人材

GにもLにも行けなかった人はN人材になる。N人材は「国家」を生きる人材だ。グローバルな価値観を受け入れられず、さりとてローカルでおだやかに過ごす踏ん切りもつかなかった人たち。つまり、時代の変化についていくことができなかった人たちである。時代の変化に取り残されている人たちの存在は、数年前からはっきり可視化されてきたと思う。例を上げると、2010年頃から、やたらと「日本の素晴らしさ」をネタにするテレビ番組が増えた。ひたすら日本を礼賛する書籍や、逆に中韓への批判を書き連ねた書籍が店に並ぶようになったのも同じころだった

こうしたブームの始まりは、僕がグローバリゼーションの加速を感じたタイミングと完全に一致している。2010年以降、世界規模でスマホの普及率が上がり、インターネット上で世界の人々の連携が進んだ。その中で、変化を恐れる人たちは内にこもり始めた。そして閉じこもる己を正当化するために「どこよりも素晴らしい国、ニッポン」というNのフィクションを作り出したのだ。

「国家」というのは時代遅れの「古い常識」にすぎない。だからそこにしがみつき、居場所を求めている人たちは、メインストリームに取り残され、じわじわと苦境に追いやられる。だがその苦しみの原因がわからず、いつしか「仮想敵」を作り上げてしまう。

日本だけの現象ではない。トランプ支持者とEU離脱はこの現象がグローバルに起きていることの好事例だ。