内藤鳴雪「蕪村第一等の傑作は、春の水山なき国を流れけり、じゃな」
そういうと子規はうなずかなかった。この句は蕪村としては劣るという。
「山なき国というのがいけません」
といった。山なき国とは何か。たとえば関東の武蔵野あたりかもしれないが、そういう地図的観念に頼っている。鑑賞する者はあたまに地図でもえがかなければならず、えがいたところでそれは頭で操作されたものであり、絵画的ではない。俳句は読み上げられたときに決定的に情景が出てこねばならず、つまり絵画的でなければならず、さらにいうならば「写生」でなければならない、と子規は言う。
わずかな例外をのぞいて和歌というものはほとんどくだらぬといってのけた子規は、そのくだらぬわけを、さまざまに実証する。たとえば、
「月見れば千々に物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど」
という名歌をひく。上三句はすらりとして難が無いが、下二句はリクツである、と子規は言う。歌は感情を述べるものである。リクツを述べるものではない。・・・もしわが身ひとつの秋と思うと読むならそれは感情としてすじがとおっている、が、秋ではないが、と言い出したところがリクツである。俗人はいうにおよばないが、いまのいわゆる歌よみどもは多くリクツをならべて楽しんでいる。厳格に言えばこれらは歌でもなく、歌読みでもない」
思い切ったことをいっている。古歌をこきおろすだけでなく、古歌をありがたがってそれを手本に歌をつくっているいまの歌人は歌人ではない、その作品も歌ではない、という。
子規は漱石へ送った。
「歌については内外ともに敵である。そとの敵はおもしろいが、内の敵には閉口している。内の敵とは新聞社の先輩その他、交際のある先輩の小言のことである。まさかそんな人(羯南をあたまにおいていたであろう)にむかってりくつをのべるわけにもゆかず、さりとていまさら出しかけた議論をひっこめるわけにもゆかず、困っている」
坂の上の雲二 7~正岡子規の和歌批判
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