まず結論、熊本の魅力だが、夜の熊本の下通り(しもとおりと読みます)は、「ここ日本? アジア?」というのが第一印象であった。なぜか? 東京にも夜のお店はたくさんあるが、店の人(キャバ嬢)とすぐ分かる格好で、電車に乗る人、歩いている人、ほとんど居ないでしょう? しかし熊本下通りでは、売春婦ではないのだが、キャバの客引きとして立っている女性たち(国籍は日本)の雰囲気が・・・、ちょっと日本とは思えない光景なのである。これは口では説明できないので、実際に行って見てみる価値があるだろう。まず黒髪率が低い。かなりの人数で立っているのでちょっと怖い。このあたりがなんだかアジア的なのである。アジア的とは、法や規則は存在していても誰もそれを気にせず、感情と感覚の共有で社会秩序が形成されている状態。つまり欧米的な法の精神や論理は、日本を含むアジアでは通じないと言っているのだ。ユッケ規制後w東京では珍しくなったユッケなど九州では置いてない店はないというほどに規制の影響は軽い。また店内喫煙などにも寛容だ。道を聞いても日本らしからぬ答え、すなわち、間違った道案内を聞くことができる。ただし、九州人は日本人なので、車が居ない通りにもかかわらず、無駄に信号待ちをする民族である。私は早朝7時前に大手町まで出勤していたが、車が走っていないので、一人で信号無視をしていた非国民である。
九州と言えば男尊女卑、男を立てる、男に尽くす女性を思い浮かべることであろう。これについては否定しないが、私の印象では九州女性は、けなげでかよわいというより、したたかで強い。九州女性は強いので、男尊女卑を肯定しているのである。「威張りたければ威張らしてやるよ」という態度なのである。男尊女卑だからといって女性に不利と怒りまくるのは弱い女性、男尊女卑も狡猾に利用すれば、女に有利なこともあると、九州女性は考えているのだ。この態度がアジア女性に共通しているのが私の見解だ。アジアもまた男尊女卑が存在するのだが、アジア女性達もまた、弱いわけではなく、自分に自信があるのである。特に、中国における中国人、フィリピンにおけるフィリピン人、タイにおけるタイ人、インドネシアにおけるインドネシア人女性達の、私に対する態度は、「あなたはこの国ではなんにもできないし、わからないんだから、私が助けてあげる」と相当に強烈だ。また私が九州人ではないので、アジア女性と同様、「九州のこと知らないと思うから、何でも教えてやるよ」と言わんばかりの態度なのだ。だが、決してアジア人女性達も九州女性達も、私に対して露骨に偉そうにしているわけではなく、優しく親切にしてくれるのだが、その背景には、「ここは私の場であり、あなたの場では無い」という意識が働いている。
下通りから徒歩圏にソープ街があるが、熊本のソープ嬢だけでなく、アジアで体を売っている女性達の多くが、カネで体を売らなければならない可哀相な人達ではない(もちろん、中には可哀相な人もいるだろう)。効率良くカネを稼げるなら、売れるものを売れば良いと考えているにすぎない。これがアジア住民として、九州にシンパシーを感じる理由である。アジア住民、アジアを見てから九州を見ると、日本ではあるものの日本とは思えないほどの個性がある。私が「九州人」という言葉を使うほどに強烈だ。