6.サラエボ事件
1914年6月28日、ところは“ヨーロッパの火薬庫”といわれたバルカン半島ボスニアの首都サラエボ。オーストリア=ハンガリー帝国皇帝の甥、フランツ・フェルディナント皇太子とその妃ゾフィーがセルビアの一青年の手で殺されたのである。当然ながらオーストリア政府はセルビア政府に対して強い態度をとった。7月22日の最後通牒は反オーストリア宣伝の禁止声明、反ハプスブルク的新聞の発禁、「民族防衛」の解散、事件関与の疑いのある教師・将校・官吏の解職・解任・逮捕などを要求し、25日までに回答するように迫った。結局オーストリア政府はセルビア側の回答を不満として7月28日にセルビアに宣戦布告することになる。このサラエボ事件によって三国協商(英・仏・露)と三国同盟(独・伊・墺)の対立に火がついた。各国は次々に総動員令を発令し、8月1日のドイツの対ロシア宣戦布告でついに第1次世界大戦が開始することになる。
ハプスブルク家の悲劇 7/8 ~失われた軍事バランス
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