行革の歴史は、予算編成権を大蔵省から官邸に移す動きです。これまで2回ありましたが、いずれも失敗に終わっています。一度目は戦前の昭和12年、総合調整官庁として企画院を設立、セクショナリズムのお行政を公益の点から見直そうとしたのです。しかし結局、企画院は予算の大枠を決め、実態としての予算編成権は大蔵に残り、不成功に終わりました。
昭和24年(49年)の秋だったと思うが、新聞の社会面に”泥棒が入って現金を取った”という見出しの記事があり、私がそのことをドッジに話したら、彼は非常に喜んだ。泥棒が物よりもお金に目をつけたということは、インフレが鎮静化し、通貨に対する信用が生まれ始めたことを示しているからである。
アメリカの陰謀
2000年春、米国で衝撃の書が出版された。ロバート・スティネットの『欺瞞の日』(Day of Deceit)で副題は「FDRと真珠湾の真実」である。日米開戦に至るまでの日本側の電報や暗号は全て米国によって傍受、解読され、実は真珠湾攻撃は全てを知りながら黙認したルーズベルト大統領による陰謀だったというのは、これまで繰り返し語られてきたストーリーだ。『欺瞞の日』は、真珠湾攻撃から半世紀以上がすぎ、紹鴎の自由法によって開示された資料に基づいて”陰謀説”が正しかったことを生々しく証明している。
が、同署の意味はそんな言い古された通信傍受や暗号解読を第一次資料で証明したことにとどまらない。衝撃は米国が日本を無謀な戦争へと走らせるための緻密な対日戦略を1940年10月7日に既に作成したことである。これは真珠湾攻撃の1年以上前、日独伊三国同盟が締結された翌月のことであり、米国の「対日開戦促進計画」は、いかにすれば日本を刺激し、憤らせ、退路をふさぎ、打つ手を失わせ、対米英蘭不信感を深めさせ、ついには国際社会の謗りを受けるような回線に追い込むことができるかを8段階にわたる戦略として、構築しているのだ。同計画をまとめた中心人物は海軍情報局少佐のアーサー・マッコーラムである。彼は日本で生まれ、英語よりも前に日本語を話し始め、昭和天皇にダンスを教えた知日家である。日本の文化に通じ、日本人のメンタリティを極めてよく理解していた。その彼なればこそ、日本人を追い詰めるにはどんな手を打てばよいかを知っていた。
「対日開戦促進計画」のまず第一段階は「英国が太平洋地域、特にシンガポールに保有する軍事基地を米国も使用できるよう英国政府と調整する」となっている。この段階で日本側は当然米国の意図を疑うだろう。計画の第二段階は「オランダが保有するインドネシアにおける基地の米軍による使用と米軍への物資の供給についてオランダ政府と調整する」となっている。こんなことをされれば、日本が米国に対してますます猜疑心と敵愾心を高めるのは当然である。第三段階は、「中国大陸の蒋介石政権に全ての可能な援助を与える」とされた。中国大陸で日本と対立している蒋介石に米国が全面的に肩入れすれば、日本が米国を敵視するのは自然なことである。こうして日本を追いつめていったのがマッコーラムの計画であり、ルーズベルトの狙いだった。同計画は最後の第8段階になって、日本との貿易を全て禁止し、日本封鎖に至るがこの事実については周知のとおりだ。
スティネットは開示された原資料のうち、595点を引用しつつ、その他膨大な量の取材を合わせて10数年の歳月をかけて同書を完成させた。日本が米国の望んでいた”卑劣な戦争”へと、坂を転げ落ちるように走らされて行ったかを日本人には耐えきれないほどの迫力で書き出した当時日本国民が狂喜した真珠湾攻撃の”成功”は、計画と作戦行動の全てをものの見事に米国に逐一把握されていたのだ。スティネットの書に描かれる米国の情報量と冷徹な分析は圧倒的であり、一体あの戦争はなんだったのかと考えさせられる。
米国の強さと凄さの本質は情報と論理を徹底的に追及することによって戦略を組み立てる力だ。とはいえ、これが米国の専権事項であるはずがない。情報力と論理力を備えることはおよそどの国家にとっても常識である。例外は当時も今も日本である。第二次世界大戦以来、日本が失い続けているのはこの情報力と論理的戦略的思考である。戦後の日本は情報欠落状態に危機を感ずることも無く、その状況に甘んじ続けた。国家戦略には思いを致しさえせず、国際情勢に目をつぶってきた。池田勇人内閣の所得倍増計画は、明日の食事を賄い、来年の暮らしを豊かにしたが、情報を分析し、国家を作り上げる作業から、さらに遠く日本人を引き離してしまった。
1970年代に旧ソ連が巡航ミサイルSS20を配備し欧州諸国にとって深刻な脅威として対処策が論議されていた時、西ドイツを訪れた日本の首相・福田赳夫はシュミット首相から同件についての意見を聞かれた。だが、欧州そして米国にとって目前の最大の危機と認識されていたこのSS20について、福田首相は、なんと、その存在さえ知らなかったのだ。日本国の世界情勢音痴、なかんずく、安全保障音痴が暴露された事例だ。竹下登元首相も外国特派員協会、通商外人記者クラブの記者会見に臨み、チベットの直面する中国政府の圧力について問われ、勉強不足で分かりませんと答えざるを得なかった。隣国中国の情勢にさえも日本国の首相は目をつぶった状態だったのだ。チベットにもコソボにも、そして国際社会が直面する新たな問題にも、日本は今よりもっと積極的に発言していかなければならない。そのような発言は、問題意識をもってこそ可能である。
迷走日本の原点 (新潮文庫) 櫻井 よしこ 新潮社 2003-03 |
【日本の国家権力】
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